凡人るいちの徒然ばなし

徒然なるままに書いていこうと思います。ぼくの考えたことを多めに時事問題と絡めてお届けしようと思います。参考になるかも知れないし、ならないかも知れない。けど、ぼくへの見方は変わるかも知れない。

人と比べることは悪いことなのか?

ずいぶん久しぶりの更新になってしまいましたが、無事に生きておりました。

最後の更新は7月7日だったので、奇遇にもぞろ目の日に更新再開となりそうです。

この半年間くらい、卒論に追われていましたが、ようやく完成し生活にも余裕が出てきたので、ずっと考えていたことをできるだけたくさん書いていこうと思うので、今後の更新を楽しみにしていてください笑

 

さて、今回のテーマですが、「人と比べること」です。

これは昨年1年間でいやになるほど人事担当の人から言われ続けたことでもあったのですが、やっぱり1年経っても腑に落ちなかったので、それと同時に考え続けていたことでもありました。

最近ようやくぼくなりの解答ができたので、つたない文章ながら、みなさんにも共有して考えを深めるきっかけになればいいなと思っています。

前置きが長くなりましたが、それでは本題に入っていきましょう。

 

他人と自分

いろいろな自己啓発の本には「他人と比べると不幸になる」みたいな言葉が乱立しています。

果たしてそれは本当なのでしょうか?

よくよく考えてみると、「それっておかしいのでは?」と思うわけです。

ぼくの人生を振り返ってみると、他人と比べることばかりでしたが、それでぼく自身の人生が不幸になった経験が全くないのです。

小学校の時だと、一生懸命やったサッカーでもまわりの上手い人と比べていながら、その人についていくのが楽しかったからこそ、10年近くも続いたと思っています。

中学、高校だと勉強について人と比べることが多かった記憶があります。例えば、古典の点数だったり、総合順位だったり、模試の偏差値だったり・・・

それでも、中高と不幸だった記憶は無いですし、暗黒時代というほどふさぎ込んでいた記憶も全くないです。

こう考えてみるとぼくの人生の経験では「他人と比べちゃいけない」というのは非常に違和感のある表現なわけです。だって、ここまでの人生で人と比べていない時期の方が短いわけですから。

ここまで、自分の歴史を簡単に話してきましたが、そう考えると次の疑問が浮かんできます。「じゃあ、なんで不幸にならなかったのか?」と。

ぼくのことですから、おそらく「負けたくない!!」という気持ちではないです。負けても「まぁそんなもんか」となるはずですから。

では、一体何だったのでしょう?

これを考えているときにしっくりくる答えにたどり着きました。

ぼくが「人と比べていたときは、自分なりにできることをやったとき」だったのでは無いか?

つまり、「自分で満足するところまでやったから、実際に役に立つのか他の人で試してみよう」ということです。

これは納得のいくところです。この考え方なら、比べて劣っていたとしても、「あそこがたりなかったのかな?」と省察し改善することが可能ですし、優れていたとしたら、「やり方は間違っていない」と自信につなげることができます。

どの道に転んでも不幸になることはあり得ません。

実際に、ぼくは年単位のマインドマップを書いたとき0より下にグラフがいっていたことはほとんどありません。そもそも暗黒期なんてほとんど無かったのです。

どうしてこの考え方に至ったのかは一考の余地がありますが、このような方法で「人と比べる」のであれば、問題はなさそうです

 

「人と比べると不幸になる」の謎

最後ですが、こう思うと「なぜ『人と比べると不幸になる』と書かれるのか/言われるのか?」と疑問が出てきます。しかし、これは実は解決しているのです。

つまり、「先に人と比べてはいけない」のです。

自分が先になんらかの行動を起こした後なら、試験や壁打ちとして実力を測ることができますが、相手と比べてからものごとをはじめるのはとんでもない難易度です。

想像してみてください。テニス初心者なのに「錦織圭選手と比べてへたくそだ。」とか、新卒1年目なのに「先輩よりも企画が上手くいかない。」とか。

悪いところしか見えないんだから、改善する気も起こらないのも当然ですよね。

そして、書いていてもう一つ気付いたことは「人から言われたことを気にしすぎる人が多い」のではないかということです。

そもそも不幸かどうかなんて自分のさじ加減ですから、ぼくみたいな能天気なやつもいれば、事態を深刻に考えてしまう人がいるのも当然な話なのですが、ぼくが見ていて「この人、生きていて楽しそうじゃ無いな」と思う人の多くは「誰かに言われたことにすがっている」ということです。

これは決して悪いことだけではないと思いますが、報酬(褒め言葉)がないと行動しないのは問題です。ましてやその報酬がよいものであることの方が少ないわけです。けなされたり叱責されたりしたら、そういった人はかなりの確率で「自分には良いところがないんだ・・・」となっています。

他者からの評価なんて基本的には一面的なものでそれを鵜呑みにして、「あの人(悪い評価を下した人)と比べて、○○ができない私は無能だ・・・」と考えるのは、あまりにもむなしすぎます。

だいたいの場合、自分のことを一番知っているのは自分のはずですから、他者からの言葉はよいものも悪いものも「そういう考え方もあるよな」としていく方がよっぽど幸せな思考です。

 

ここまでの話をしっかりまとめておきましょう。

人と比べて不幸にならない方法は今のところ、たった2つしかありません。

①まずやれるだけのことをやってみよう

②周囲の言葉なんて気にしないで、自分を信じる

こう書いてみるとすごく簡単な気がします。でも、言うは易く行うは難しです。

ふと弱くなった時に思い出せるかが重要なのかもしれません。

 

それではまた・・・

 

↑質問や意見がありましたら、こちらからどうぞ。

 

ruiyuu-zatsugaku-jiji-1998.hatenablog.jp

 ↑過去の記事です。よかったら読んでみてください。

行動すること、あきらめること

お久しぶりです。凡人るいちです。

前回更新から日が空きすぎていつも通りの文章が書けるのか非常に心配ではありますが、内容的には大差ないようにしていきたいと思いますので、最後まで読んでもらえればと思います。

今回のテーマは「行動」と「あきらめ」です。

全く正反対と思われる言葉ですが、関連するところがあると思って設定してみました。

ぼくが大切にしていることでもあるので、それを忘れないように書き残しておく意味もありますが。

それでは本編に移っていきましょう。

 

行動することとそのパターン

まずは、「行動」について書いていきます。

一般的には「行動」は2つに分けられています。

「考えてから行動する」と「行動しながら考える」です。

前者は、失敗しないように考えてから行動するもので、特徴としてはリスクを事前に回避することができますが、その反面で行動を開始するまでに長い時間がかかってしまうことが問題になります。

後者は、失敗を顧みずどんどん挑戦しながら理由を考えるものです。この特徴は行動量と時間は短くて済む良さがありますが、失敗の回数が増えてしまうことが問題になっています。

では、どちらのほうが良いのでしょうか?

この2つについては、時代によって良いとされるものが変わってきています。

少し前の日本の社会では、「考えてから行動する人」が求められていました。それは、少ない資源でより良いものを作るためには設計段階から良いものを作り上げなければならないためです。

ところが今の日本では(日本以外でもそうですが)、「考えながら行動する人」が求められています。それは、情報化が高度に進展した社会では1分1秒の時間も無駄にできず、絶えず変化し続けていて、それに対応する必要があるとなると自然と行動も早くしなければいけません。すると、失敗が目立つよりも行動量と速度が求められていくのでこちらの「行動」が優遇されるわけです。

ここまでが一般論の話ですが、ぼくはここに少し疑問があります。それは「なぜ、0か100でしか評価されないのか」「行動後の考える作業はないのか」の2つです。

そもそも評価軸が、良いと悪いの2択しかないのも不満です。好手か悪手かしかないなんて普通はありえないはずです。

なので、ぼくがしたいと思う「行動」は「考えてから考えながら行動して考える」です。

思考の回数が少ないのであれば、単純に増やすしかないと思っています。でも、リスクは極限まで減らしておきたい。じゃあどうするか?頭と体を分離させればいいわけです。

実際にぼくがこの「行動」をしたと思う例を挙げておきます。(なぜ「と思う」なのかは、その段階ではそんなこと考えて行動していないので、振り返りの結果となるためです。)

この前お話しした団体の結成などはこれに近い状態でした。

時系列的に話すと、去年の11月ごろに①団体の結成を思いついて、そこからはひたすらに練り上げをして、理念や指針などを固めていく時期としていました。4月ごろになって、就活は落ち着き、コロナ禍にも慣れてきたところで、②もう一度考えをまとめなおし、メンバー集めから始めて結成をした流れになります。そして、活動のたびに、③「次はどうするか?」や「何がいけなかったか?」などを考えて、次に生かす。といった形です。

もちろん活動の最中にも、④時間配分や適切な進行などについて考えているところですが、まだまだ答えは出ません。

ぼくの目指している「行動」と照らし合わせると、①と②が「考えてから」、④が「考えながら行動」、③が「行動して考える」となります。

あくまでぼくが思っているだけですが、この思考パターンにはまった時は失敗をしたことがないです。いわゆる勝ちパターンですね。

では、そんな勝ちパターンを持っているぼくがなぜ「あきらめ」を「行動」と一緒に並べるのかについて答えていきます。

 

あきらめることの大切さ

さて、先ほどは「考えてから考えながら行動して考える」で失敗したことはないといいましたが、それでも「あきらめている」ことはたくさんあります。

それはなぜか?実は「行動」している最中に「あきらめる」選択もとっているためです。ちょっとよくわからないですよね。

うまく言葉にできるかわからないですが、できるだけ伝わるようにやってみますね。

「人前で話す」という行動をとるときに「関西弁で話す」と「標準語で話す」という選択肢を頭に思い浮かべます。その際に「関西弁で話す」を選択すると、もう一方はあきらめたことになります。そのあとに「関西弁でゆっくり話す」と「関西弁で早く話す」の2つの選択肢を頭に思い浮かべます。そのうちどちらか一方を選びます。・・・・・を永遠に繰り返していくわけです。

つまり、「選ばれなかった選択肢だけで話すことができるのにそれをあきらめた」ということです。この「あきらめ」はできるだけ早く行う必要があるので(話している最中に決めないといけないので)、自然と「あきらめる」も増えていくわけです。

もちろん選択の基準はありますが、ほとんどはノリと勘です。選択の基準になるのは経験則なので、この思考法をしている人によって変化していくものとなります。

 

まとめて…

ここまでながながと書いてきたわけですが、言いたいことは2つだけ。

1つは「行動と考えるとあきらめるは常に行うこと」。

もう1つは「考える前にあきらめないこと」。

あきらめるはあくまでも、前進するための手段です。結論ではありません。それは行動も同じです。

車で例えるなら、「行動」も「あきらめる」もエンジンです。ブレーキは「考える」です。ブレーキなしには車は安全に走れません。このブレーキが強いか弱いかはその人の「思考力」次第です。

その思考力については次回の記事で詳しく書くことにしましょう。

皆さんも「行動」と「あきらめる」と「考える」のバランスを保って生存していきましょう。

 

↓質問や意見、感想等はこちらまで

 

↓前回の記事です。読んでいない方はこちらもどうぞ。
ruiyuu-zatsugaku-jiji-1998.hatenablog.jp

SNSのはなし

どうも、凡人るいちです。

緊急事態宣言が明けてからの方がそれ以前よりも活動自粛している気がしています笑

その結果としてですが、いつもよりSNSを見る機会が増えているような気がしています。ぼくはtwitterInstagram、そしてfacebookの3つのSNSをいじっていますが、(と言っても、使っているのはtwitterInstagramですが)自粛期間前と比べて、時間にして二倍くらいになっているのではないかと思います。

今回はそんな「SNS」についての話を少ししていきます。

というのも、2~3日前にこんなニュースがあったのはご存じでしょうか?

news.yahoo.co.jp

ぼくは彼女が出演していた番組を見ていたわけでは無いので、詳しくは知りませんが、少し調べてみたところ、以前の放送で出演者同士でのもめ事があり、その時の中心にいたのが彼女だったようです。その後、彼女のSNSでは誹謗中傷等が書き込まれるようになり、最終的に自らいのちを絶ってしまったということのようです。

もちろんこれはこの件についての概要でしかなく、それ以上のことはぼくに知るすべはありませんが、同世代の活躍している方がこのような事件で亡くなってしまったこと自体がぼくに与える影響は大きいです。

なので、ここからは「ぼくのSNSに対する意見」と「なぜこうなってしまったのか」の2点から話を広げていきます。

今回は結構過激なことも書こうと思っているので、最後まで読むことが厳しいということがあるかもしれません。そういった方はここで戻っていただけると幸いです。

それでは、話していきたいと思います。

 

なぜこうなってしまったのか?

まずはこちらの原因究明を先に書いていきます。

ぼくが考えるに「SNSでの誹謗中傷」や最近改めて出ていると聞く「コロナ警察」なるものなどはおのおのが「自分の正義に基づいて」行動しているために発生しているように思います。

この「自分の正義」は本当に正しいのでしょうか?そして、それは振りかざすだけの「価値」があるものなのでしょうか?

ぼくはそうは思いません。

この記事を「ぼくの正義感によって書いている」ということはきっとそうだと思います。それは「こういった間違いを2度と人類が犯さないように」と思っているところからきていますが、それが正しいかどうかなんて分からないです。もしかしたら、一部には「正しい」と思われていても、もう一方では「間違っている」と思われている可能性すらあります。

と言うことは、だれもが「自分の正義」をもっていることは間違いなさそうですが、それが「万人に対しての正義」となることはほとんど無いようです。そして、それが多数派の意見になることがあるとしても、そこにおいて少数派の意見をないがしろにして良いわけでは決してありません。

つまり、いくら「正しそうな自分の正義」をもっていても、それを行使し「少数派の正義を攻撃」することは悪となります。その時点で、その「正義」には全くの意味が無くなってしまいます。私たちは、「正義を持つこと」を認められていても、「その正義を悪用すること」は認められていないです。

日本国憲法第31条にも「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。(ウィキペディア”私刑”より引用)」とあります。

これを日本国憲法クラス(国の最高法規)で禁じられているにもかかわらず、これを行う人が出てきてしまっているわけですが、やはりそれも「知らず知らずのうちに」やってしまっているのではないかと思います。

だから、このような「SNSでの誹謗中傷」や「コロナ警察」のようなことが連続して起きてしまうのでは無いかと思っています。

「正義の価値」については、ぼくが「その正義に対する価値の断定」をしてしまっては、それはその人とレベル観が一緒になってしまうので言及はしないですが、「知識なき正義は危険」だと思っています。

それは、ここまででさんざん書いていることだと思いますし、今までの記事を見てもらっても変わっていない部分であると思っています。

「すべての行動はすべて自分の知っている範囲でしか起こらない」というわけです。

これについてはまた後で書くとして、次の話題に移りましょう。

 

るいちの思うSNS

では、ここからが問題の場所です。

「実際にるいちはSNSについてどう思っているのか?」という疑問にお答えする時間です。

正直に、そして言葉を選ばずに、かつ主語を極限まで大きくしていうなら「日本人はSNSをやめるべき」だと思っています。

最初にも書いたとおり、ぼくは複数のSNSをしていますが、その上でこういった主張はしています。

これだけ聴いたら、すごく一方的なSNSアンチだと思われるかと思いますが、理由もあわせて読んでもらえたらと思います。

理由1:情報に対して弱い人が多い

理由の1つめです。いわゆる「情弱」が多すぎると思っています。

知っていると思いますが、その上で確認します。ぼくたちの見ていたり、得ていたりする情報は非常に恣意的です。

分かりやすく捉えてもらうなら、複数のフィルタが存在していると思ってください。それは「世界の情報フィルタ」「社会の情報フィルタ」「個人の情報フィルタ」などなどあると思います。

例を挙げていった方が思いつくと思うので、「スマートフォン」についてで解説していきます。

まず、「世界の情報フィルタ」によって「スマートフォンがある」といった情報を知ります。その後、「社会の情報フィルタ」によって、「iPhone」という「スマートフォン」が人気だという情報を知ります。最後に、「個人の情報フィルタ」によって「スマートフォンを買うならiPhone」という意識の元、それに関連した情報を集めるようになります。

簡単に出しましたが、これが情報を得るためのプロセスだと思ってください。ぼくもこの解説が正しいかどうかは再考する必要があると思っていますが。

この「情報プロセス」の中には、大事な物が欠けています。それが「疑い」です。

最初の段階で「本当にスマートフォンがあるのか?」と思った人は少ないと思いますが、このような「疑い」があってもおかしくないはずです。

そして、次の段階では「iPhoneが本当に人気なのか?」や「iPhone以外の機種は人気では無いのか?」などの「疑い」が立つはずです。

最後の段階では、自分の行動自体に「疑い」が成立するはずです。

SNSで見ていると多くの人が「疑い」を持たず、与えられた情報を鵜呑みにしているように思います。だって、そっちの方が都合が良いから。

それでは、与えられた情報が嘘か本当かを知ることは無く、それ以上の知識に発展することはありません。

まずはこの「情報についての疑い」を持てない以上は、SNSをやめるべきだと思います。

理由2:言葉に対する責任感の欠如

理由の2つ目です。SNSでは言論の自由が保障されているはずです。しかし、それは「公共の福祉に反しない限り」の制限付きのはずです。

これを忘れている人が多すぎると思います。

確かにSNSでは自分のアカウントがあり、“まるで”独り言のように発言できます。しかし、それは“まるで”でしか無く、その独り言は全世界に発信されているわけです。それはすでに独り言の範疇では無く、影響力のある「言葉」です。

そこには責任が生じるはずで「忘れていたから」で許されて良い物ではありません。仕事と同じで、「忘れていた」のなら「謝る」しかないでしょう。

これができない人が多すぎるから、ぼくはSNSをやめるべきだと思います。

理由3:想像力が低すぎる

これが最後の理由です。

日本人特有なのか、それとも全世界的なのか分かりませんが、想像力が低すぎやしませんか?

これはSNSに限らずですが、相手に「これをやったらどう思うのか?」や「これを言ったらどうなるのか?」とか考えられなさ過ぎでしょう。

だから、「○○ハラスメント」なんて言葉が無限増殖していくわけです。

平たく言えば、自己中心的なんですよ。「自分は気持ちいいから」とか「自分はどうも思わないから」とか発言の理由として弱すぎる。

人間一人では生きていけないとはよくいったものですが、日本人は一人で生きていると思っているんですかね?

何かを行動するときは「相手のため」であり、その結果「自分のため」であればいいくらいのものです。それをすべて「自分のため」にしてしまったら、うまくいかなくなるはずです。

これを対面でできていないのに、SNSで顔が見えなくなったらもっとできなくなってしまうのも当然でしょう。

この「相手を思いやる想像力不足」が解決しない限り、SNSをやめるべきだと思います。

 

これがぼくが「日本人はSNSをやめるべき」だと思う理由です。

だから、この3つが”自分は”できていると思うなら続けたら良いと思います。

やめるとしても、続けるとしても、今までのSNSでの行動について振り返って考えることが大切です。

「正義」には「価値」をつけられませんが、「学ぶことをやめた人間」には「価値」がつきません。

ぼくたちは学び考えていく中で、自らの間違いを反省し、次の間違いを未然に防ぐ義務があると思っています。

 

記事についての質問・意見は質問箱へどうぞ

 

前回の記事をこちら
ruiyuu-zatsugaku-jiji-1998.hatenablog.jp

 

団体の活動について決まったので、最後に報告。

初回を6月3日(水)14:00~16:00でZoomで行います!!

興味のある方はお声かけください!!

るいち、団体つくるってさ。

どうも、凡人るいちです。

前回の記事からだいぶ経ってしまったように感じるのですが、今回もるいち近辺の話をします。

ですが、前回はすでに実行していることを話したので、今回は近い将来(と言っても、数週間以内)に立ち上げるだろう新プロジェクトについて話していきます。

一応先に言い訳だけしておきますと、暇そうに見えていろんなことやっているんですよ、ぼく。自分でも何の活動しているか分からなくなってきたので、いったん整理の意味も込めて、列挙していきます。

・おうちで福島(取材、twitter運営)

・バイト(某牛丼チェーン)

・ブログ

・卒論(題材は「主権者教育について」)

・授業(今期は公民系の科目を中心に経済系の科目も)

・内定者イベントへの参加

気付いたら、片手で収まらないくらいの活動をしていたわけですけど、割と効率よくやっているので、暇そうに見えてしまっているようですね。

ということで、「上手く立ち上げられなくても、いろんなことやっているから仕方ないよね!!!」という保険をかけた上で、今回新たにやろうとしていることのお話です。

その前に、前回の記事の紹介もしておきますね。

 

ruiyuu-zatsugaku-jiji-1998.hatenablog.jp

 読んだかどうかはさておいて、早速話し始めていきます。

 

団体を結成しようと思うるいち

単刀直入に言って、読んで字のごとく「団体を結成しよう」と考えているわけです。ある人たちにはずっと言っていて、「ようやくか…」という感じではあるのですが…笑

ここで疑問に思うのは、「どういう団体なの?」「なぜ作るの?」「何をするの?」「どんな力が身につくの?」の4つくらいになるかなと思っています。ということで、1つずつ回答していこうかなと思います。

どういう団体なの?

一言で言うと、「コミュニケーション」を主軸とした団体にしようと思っています。「コミュニケーション」も広い概念なので、もう少し狭めてみると「ディスカッション」です。

この「ディスカッション」も人によっては難しそうだなと思う分野ではあると思うのですが、もっと簡単に「意見共有の場所」だと考えてくれると分かりやすいと思います。

なぜ作るの?

今までもずっと思っていましたが、ぼくの身のまわりには「アウトプットする場所」がとても少ないです。しかし、社会に出てから必要とされるのはすべてそのアウトプットです。

であれば、「大学という研究機関の中に属して、大きいコミュニティを作りやすい現時点でアウトプットができるようにしておくことが今後の人生にプラスになり得るだろう。」ということが立ち上げようと思ったきっかけになります。

結構オブラートに包んではいますが、ぼくのまわりの大学生って「伝える力」と「整理する力」をまだまだ伸ばせるのでは無いか?と思う人が多かったのも1つの事実です。

こういった場所を作るために、理想論かもしれませんが、いくつかのルールを設定したいと考えています。

それは、運営していくに当たってぼくも守らないといけないことですし、参加メンバーも守っていく必要があるものだと思っています。

1つが「上下関係や専門・非専門にとらわれないこと」です。

大学の団体なので、それはもちろんぼくのような4年生もいれば新入生もいて、文系もいれば理系もいるわけですが、この団体では「コミュニケーション」を主としている以上、そういったしがらみはすべて妨げにしかならないと思っています。

次に、「判断を保留すること」です。

先に述べたように、この団体では「ディスカッション」をすることになります。その過程の中で、間違った意見や曖昧な意見が出ることも当然あると思います。だからこそ、正誤判定は後にして、とりあえずその人の話を最後まで聞くこととしてこのルールを作ろうと思います。

最後に「思ったことは伝えること」です。

これは話を聞いて思ったことを伝えるだけでは無く、普段の生活において気になったことや不思議に思ったことすべてが対象になります。ただし、悪口や軽蔑、侮辱等はこの類いに含めません。1つでももやもやしたままこの活動を終えて欲しくないと思っています。

3つとも結構簡単なルールでしょ?ルールなんてものは少ないに越したこと無いですからね。必要になったときに、追加したり削除したりするべきなのです。

何をするの?

団体の趣旨通り「コミュニケーション」をしようと思っています。その中でも「ディスカッション」を行うということです。

ディスカッションにもいくつかの役割が必要なので、その練習も同時にできたら良いかなと思っています。

だいたいの活動は「最近気になっていること」を各自持ち寄って、「その人が納得するまで」話し合う形になると思います。

その他、読んだ本の共有(最終地点はビブリオバトル)だったり、ディベートだったり、もちろん授業の発表練習の場にも使えるようにしたいと思っています。

要は、「頭と口を使う事であれば何でもござれ」ということです。

どんな力が身につくの?

これは正直に言って、その人次第としかいいようがありません。しかし、これではあまりに無責任すぎるので、ぼくが思いついた「身に付けて欲しい力」を伝えておきます。知らないより知っていた方が良いと思うので。

「話す力」:コミュニケーションを主体とするので、当たり前ですね。

「聴く力」:こちらもコミュニケーションには欠かせない物です。

「思考力」:批判的、論理的、水平的などそれぞれ話していくうちに身に付けたいです。

「質問力」:ルール3を守るためには欠かせないですね。

「知的好奇心」:何か新しいことがまわりのメンバーによって得られるはずです。

「探究力」:1つの事柄について、しっかり考えられるようになるはずです。

「幅広い視野」:年齢専門問わずに人を集めます。知らないことから新しい発見ができるはずです。                                

                                     etc.

結局は成長してみて初めてできるようになったかどうかが分かるので、まずは実践あるのみだと思っています。

 

こんな感じで主要そうな質問にはだいたい答えられたかなと思うのですが、まだはじまっていない以上、未熟な所は無数にあるはずです。それは、活動をしていく中で「ディスカッション」をして変えていこうと思っています。

 

最後に…

このような形で記事を締めることは普段あまりないのですが、今回はこの特殊な形式を取らせていただきます。

最初にもあげたとおり、ぼく自身はいろいろな活動をしているわけですが、決して「意識高い系の住人」ではありません。むしろ「意識低い系の住人」です。(ウェブ授業も決まった時間に受けてないですから…笑)

でも、こういったことをしているのは「必要だから」でしかありません。それは「ぼくにとって」なのか、「まわりにとってなのか」はよく分かりません。

なので、この団体に入りたい方も「アウトプットの機会が必要だから」「新しい知識が必要だから」「人と話す機会が必要だから」「就活で話すときに必要だから」・・・そんな「必要だからの集団」で良いと思っています。もちろんやるなら全力でやりたいと思いますが…

こういった団体を作る以上、もちろん人数が必要になるので、この記事を使って宣伝と募集をしているわけですが、動機なんて正直どうでも良いんですよ。活動してみたら、絶対楽しくなるし(するし)、ためになったと言えるし(言わせるし)、そういった感じです。

悩んでいても仕方が無いので、まずは行動して、あわなかったら自由に抜けていったいいし、得られるものが無ければ時間の無駄なのでやめたら良いと思います。

その行動のスタートをぼくたちと一緒にしませんか?ということです。

あ、最後になりますが、この団体に加入したことによって、高額な情報料を取ったり、t壺を買ってもらったり、他の団体への加盟をそそのかしたり、その他一切のメンバー(ぼくを含む)への迷惑行為はしないこととします。安心してください笑

 

今回の記事に関する質問や意見は質問箱にお願いします。

 

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最近のるいちの活動の話

どうも、凡人るいちです。

3日に1回投稿する予定だったのですが、記事が思いつかなすぎて挫折してました…笑

ですが、今日からは書きたい記事のストックもできてきたので、投稿ペースが戻せるかもしれません…!!

そして、今回のテーマでもある「るいちの近況報告」ですが、これがまぁ楽しくて止まらないんですわ…

もともとあった知識欲とコロナの影響で人と話せてなかったストレスから一気に爆発してしまっている感じがしちゃいますね笑

とまぁ、いつになくテンション高めでお送りすることになると思いますが、改めて今回は「るいちの近況報告」について話していきます。

 

最近のるいちの活動

実はこのゴールデンウィークに入るか入らないかくらいの時期にFukusima_BASEという福島駅から程近くにあるコワーキングスペースのメンバーの方から「ブログを読んで興味を持ったから話がしたい」とInstagramのDMでメッセージが届きました。

今思えば、とても危ない取引だった可能性もなきにしもあらずですが、暇に暇を重ねていたぼくは何も考えずに「いきます!!」と返事をしました。

そこから、平々凡々だったぼくの日常が一変していくわけです。

何をする場所で何をしているのかを一切知らずに向かったわけですが(みなさんはこういう事があったら、しっかり調べてくださいね)、そこでFukushima_BASEの代表の方から「福島の若い人がもっともっとチャレンジしていける場所を作りたいんだ」と話があり、ぼく自身も話してはいなかったですが水面下で新しいサークルを立ち上げようとしていたこと(今は断念していますが)もあり、人ごとではないように感じていました。

そこで、もう少し詳しく話を聞かせて欲しいとお願いをして、いまメインで行っていることやこれから行っていきたいと思っていることを聴かせていただきました。

どれもこれもぼくにとって魅力的に思えるコンテンツだったのですが、その中でも最も「ぼくの力が活かせるかも…!」と思ったのが、ほとんど立ち上げから(ぼくが来る前からプロジェクトの骨組みがあったので全く最初からではないですが)、関わらせていただくことになる「おうちで福島」の活動です。

この「おうちで福島」の活動が楽しすぎて、そして新しい世界が見つけられているような気がしていて、もしかしたら大学生活の4年間のうち1番ワクワクしているかもしれません笑

「そこまで思わせる『おうちで福島』の活動って一体何なのよ?」となっている方もいると思うので、その概要と活動内容をお話ししていきます。

 

「おうちで福島」って?

以上のような紆余曲折があって、ぼくは1.5期生くらいの感覚で携わっている「おうちで福島」ですが、その内容の話をして、少しでも興味や前向きな感情を持っていただけたら良いなと思います。

この活動には2つの特徴があります。

1つ目は「何をして飲食店の支援をするか」です。少し長いですが、お話ししていきます。

「おうちで福島」のスタートした起源としては、「コロナの影響で福島に限らず、日本中の飲食店が危機的状況にある」という前提が存在します。

連日の報道であるとおりコロナの影響で有名企業や飲食店が「自粛が続くようだと存続が厳しい状況」になっているのはご存じの通りです。かといって、指をくわえてみているだけだと、「自粛があけた後に飲食できる行きつけの店はもうなかった」といった最悪の状況も考えられます。

そういった状況を少しでも打破したいと思っているのは、ぼくたち利用客側も飲食店側も同じです。

そして、飲食店側は「普段は店内で食べていただく商品のテイクアウト」といった施策を出し、実行し始めました。しかし、それを宣伝するための力がどうしても足りないのが現状です。

その課題を解決するのが「おうちで福島」の活動になります。コンセプトとしては、「顔の見える飲食店宣伝をInstagramなどを使って行おう!!」というものです。

実際に多くの媒体がすでに「テイクアウト特集」と銘打って企画を実行している最中です。だけど、どれも商品のことばかりしか載っていない。飲食店のリピーターにあるのは「ご飯が美味しい」ももちろんですが、「良い雰囲気」とか「店主さんと気が合う」とかもっと人間味のあることだと思います。

そこに目をつけて、福島駅を中心として、テイクアウトを行っている飲食店に伺って、「おすすめの商品」や「その商品への思い」、「お客さんへの思い」をインタビューしていき、それを発信していっています。(発信元はInstagramのアカウント:@ouchide_fukushima)

特にぼくがお手伝いしていることは、「テイクアウトをしているお店に行ってアポ取り」「インタビュー」の2つです。

まだまだはじまったばかりでぼく自身右も左も分からない状況ですが、メンバーのモットーでもある「楽しく活動しよう!!!」を毎日乗り越えていっているそんな活動です。

もう1つが、「参加メンバーが20代」ということです。

これは他の媒体には真似ができない強みだと思っています。若いメンバーが行動力を持って、自分たちの行きたい店を守っていく。そんな活動です。

ただ、ここにはまだ課題もあって、メンバーが“20代”しかいないんです。もっと正確に表現するなら大学4年生以上の年齢の人しかいないんです。これでは、継続的に影響を与え続けるのは難しいかもしれません。(1度切りでは意味が無いのです…)

ということで、最後になりますが、「ぼくがこの1週間で感じた『おうちで福島』に参加することのメリットとデメリット」を話したいと思います。

 

メリットとデメリット

こういった活動は自分のためになりますが、その分払っているものも幾分かあります。けど、それを知った上で参加してくれる方が増えるのが本望だと思っています。なので、異例のことかもしれませんが、両方話しちゃいます笑(ごめんね、運営の人。ぼくはそういう人間なんです笑)

メリット

・たくさんのお店をしれる

・お店の人と仲良くなれる

・働きたい場所が見つかるかも

・美味しいご飯が楽しめる

・メンバーと関わることで、視野が広がる

・就活の時に「生きた経験」として話せる

・メンバーが優しい

・コミュニケーション能力がつく

・自分の影響力を高められる

などなど

デメリット

・交通費がかかる

・時間が拘束されてしまう

・断られたり怒られたりすることもある

・まだできたばかりで体制が整っていない

・同い年がいないかもしれない

・まだそこまで大きな発信力が無い

・他の活動との折り合いが難しい

・不要不急の外出かどうかの判断が難しい

などなど

 

こんな感じで箇条書きで書いてみましたが、これから組織が大きくなるにつれてデメリットが増えてしまったり、メリットが減ってしまったりするかもしれません。

ただ、「おうちで福島」としては、デメリットは少しずつ減らして、メリットはもっと大きくしていきたいと思っています。

そして、何より継続ができるように”若い力”も必要になってきます。(言うて、ぼくもまだ21ですが笑)

大学1年生・2年生・3年生にそれぞれの価値が提供できるが強みです。

ここまで読んで「面白そうだな…」とか「もう少し詳しく聞いてみたいかも…」とかがありましたら、今回は質問箱ももちろんですが、ぼくの個人Instagram(@rui_yuu1998)にDMをくれたら嬉しいです。もちろん「おうちで福島」公式アカウント(@ouchide_fukushima)に直接お話しいただいても大丈夫です。

大学にきて、何か新しいことに挑戦したい人やお世話になったお店を救いたい人は声をかけてくれると嬉しいです。

 

こんな感じで、今は「おうちで福島」が4割、勉強が3割、パズドラが3割で暮らしている、るいちの近況報告を終わりたいと思います。

 

☆質問箱に意見や感想、純粋な質問お待ちしております☆

 

★前回の記事です。まだ読んでいない方はぜひ!!★

ruiyuu-zatsugaku-jiji-1998.hatenablog.j

コロナについて思うこと

どうも、凡人るいちです。

この前までは桜が咲いたな…とか思っていたのですが、もう夏になったのではないかと思うほどの天気になってしまいましたね…笑

そして、コロナウイルスについてのニュースが連日話題になっていて、段々飽きてきたな…とかなんとか思っているぼくだったりするのですが、今回はそんなコロナウイルス」についてお話ししていきます。

いままで、長い間コロナ禍でも投稿していましたが、しっかり触れるようになるのは今回が初めてではないかなと思っています。

その理由は、1つは今現在かなりナーバスな話題にもなっているので、間違った情報を発信したくなかったためです。間違えている情報や不確定な情報は人を困らせ、間違った方向に導いてしまうと思っているので、それをぼくがしたくなかったです。

そして、もう1つはぼくの持っている意見が時代とはかなり逆行してしまう可能性があるためです。これは、話さない方が良いかなと考えていたのですが、今回のこの記事でお話ししていきます。もちろん、賛否両論があると思いますが、それも含めてこの「コロナウイルス」だと思っています。

ということで、今回は「コロナウイルス」というもっともホットな話題を取り上げて、できる限り正確な情報とぼくの意見を隠さず書いていきます。

 

コロナウイルスについて

2月の末頃から話題になっている新型コロナウイルスですが、ニュースを見なかったり、気にしていなかったりすると耳に入ってこないものでもあると思います。(ここまで、流れていて全く知らない方がむしろすごいとは思いますが…)

ぼくがここでニュース記事をまとめて発信しても二次情報になってしまうので、いくつかの公的機関のホームページを添付しておきます。

まずは“内閣官房”です。https://corona.go.jp/

こちらのサイトでは、現在の町中の状況や鉄道各主要駅の利用客の前年度比が掲載されています。もちろん、支援や行政の取り組み、各種会議での対応策まとめなども掲載されています。特に、「金銭が絡む支援」についてはtwitterなどのSNSでは様々な情報が提示されていますが、なかなか理解することが難しいと思うので、こちらを読まれることをおすすめします。また、このサイトでは「コロナウイルス対策チャットボット」もあるので、感染が不安な方はこちらを利用して指示を受けることが可能だと思われます。(いくつかの注意事項があるようなので、しっかり確認することをお勧めします。)

次に“厚生労働省”です。https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html

みなさんのご存じの通り、厚生労働省は現在矢面にたってコロナウイルスについての対策を練っています。しかしながら、その情報についてはあまり拡散されていないのが現状です。ここでは、会議の内容や方針についての最新情報が更新され続けているので、どの内容が正確か困ったときは元情報に戻って調べてみてください。

最後に、”日本赤十字社”です。http://www.jrc.or.jp/

コロナ対策ではあまり名前が出てくる公的機関ではないですが、日本の保健を根本から支えている機関です。こちらのサイトには医療従事者対象のものも含めた情報が載っていますが、私たちの生活に役立つような情報も掲載されています。

例えばこんな動画もあります。

今までは公的機関のホームページを載せていたのですが、医療従事者として“山中伸弥”教授のサイトもご紹介しておきます。https://covid19-yamanaka.com/

こちらのサイトでは、山中伸弥教授とその周辺の方々が集めた情報が「信頼度順」に掲載されているのがポイントです。SNSなどでは「○○がいい!!」等と言った情報が錯綜していますが、実際は「憶測でしかなく正しい研究成果ではない」ということが多く見られます。その結果として、「買い占め」や「必要ではないものの購入」につながっていると考えられます。

こういった不測の事態なので「正しい情報」に基づいた行動をとって欲しいと考えたため、こちらのサイトも紹介させていただきます。

 

ここまでで、4つのサイトを簡単に紹介させていただきましたが、正直に言うと、今回のコロナウイルスについて敏感になっている人にとっては非常に当たり前の情報だったかと思います。

けれど、みなさんのまわりにはその「当たり前」が「当たり前じゃない人」がたくさんいます。そういった方にも、「当たり前」が共有されたら良いと思い、こちらの紹介記事を書いています。

 

ぼくがコロナに対して思うこと

さて、ここまででみなさんは正しい情報を得るためのきっかけを手にしたのではないかと思います。その上で、その情報を取るのか捨てるのかはみなさんの判断にゆだねられた訳です。

もちろん、今回の記事を読んで「実態を知らないといけない」という方も一定数いることかもしれません。しかし、その反対で「そんなことを知らなくてもかからないからいいや」と思っている人もいるでしょう。

なので、ここからはぼくの見た「コロナ禍」について話していきます。

まず、ぼくはコロナウイルスが国内で蔓延する前に(緊急事態宣言が出される前の2月)東京にいました。そのときの話からします。

当時東京にいたのは遊ぶためではなく、就職活動のためです。そして、毎日のように電車にも乗っていました。その時点ではクルーズ船でのクラスター感染が確認されていて連日報道されていたのにもかかわらず、マスクをつけて防衛策をとっていたのはごく少数でした。もちろん、電車も満員の状況でした。誤解を避けるために触れておきますが、この時点ではぼくもコロナウイルスに対して危機感は持っていませんでした。

こういった状況が政府だけでなく、国民の「初動が遅れた」原因でもあるかと思います。

そして、3月に入って福島に帰ってきて、その後しばらくしてから東京を中心として感染が拡大するようになりました。潜伏期間等もあるので、ぼく自身が「かかっていない」と断言することは当然できませんが、自身の体調や情勢から判断して、再度就活で東京に行く予定をすべてキャンセルし、バイトも少し休むような形を取っていました。それでもなお世間では、あまり気にしていない様子だったと思っています。

そうでなければ、「学校の中断」についての反対意見や「接触を避ける」ことへの非難はでなかったと考えています。この件に関しては、当然この事象に本質がないのは理解していますが、「手段」としては受け入れるべきだったと思っています。これが政府も含めた日本全体での「次の対応の遅れ」になります。

当然3月中も多くの罹患者が増えていたわけですが、4月に入っていよいよ緊張感が高まったように思います。それは他国の情報が入ってくるようになったためです。「あの国では…」などという投稿がぼくのtwitterにも流れてきていました。

ぼくの周囲でも変化がありました。大学では、学位授与式、入学式の中止に続いて授業開始の延期が通達され、バイト先(飲食店)ではマスク着用の義務化が通達されました。これで、私たちの周囲の状況も「対コロナ」へとシフトしていくと思ったのですが、その後起こった行動はみなさんが知っての通り「対政府」への行動です。

ぼくはこの時点でのぼく以外の意見を見て「日本もいよいよ末期だな」と思うようになっていました。より正確に伝えるなら、「何を考えてこの行動になるんだろう?あほなんかな」と正直に思っていました。ぼくからは「自分たちが変わらなくて良い言い訳を政府のせいにしている」ようにしか見えてなかった訳です。あれだけ首相をはじめとして多くの官僚が協力の声明を出しているのに、自分らが協力しない理由に政府の政策が悪いと話しているのですから、そう思っても当然かと思います。まるで、「国民総野党状態」です。

ちなみに、このときのぼくの生活は1日の18時間を自室で過ごし、生活のためにやむを得ないと6時間はバイトのために出かけていました。休みは1日中引きこもっています。コロナであろうがなかろうが、こんな生活でしたけど…笑

そんな状況を経て来週には「緊急事態宣言」が解除されます。あくまで、予定ですが。そして、みなさんそれぞれが次に取る行動を考える時間は十分とったのではないかと思っています。せっかくのゴールデンウィークで楽しみたい気分があるのはだれでも同じです。この2週間の国民の動きをぼくはベッドの上から確認したいと思います。

 

ここまでが、ぼくが見てきた景色です。では、ぼくは何を考えているのかお話しします。いつも伝えていますが、これは12000万人のうちたった1人の意見に過ぎません。しかし、こういった形で意見を発表する以上は賛否両論あることは覚悟しています。賛成でも反対でも、あるいは批判でも自分の意見を持ってください。そして、その上でぼくに伝えたいことがあるなら伝えてください。そのために毎回質問箱を載せていますし、すべて甘んじて受け入れるつもりです。よろしくお願いします。

対政府について思うこと

ぼくは政府がしていることについて、間違えていることはないと思っています。

話題のアベノマスクについても、一律10万給付についてもです。

ただ、求めることとしては「もう少し説明が欲しい」ということです。もちろん対応対策に追われて、そのような時間を取ることができないのかもしれませんが、21歳で今後の日本を生きるぼくにとっては「日本の未来」について、経済面でも他の面でも不安に思えて仕方ないのです。

その不安を少しでも打ち消せる説明をどんなメディアを通してでも良いから伝えて欲しいと思っています。

コロナを乗り越えるためには、政府の力が必要不可欠だと思っています。

対メディアについて思うこと

情報を毎日更新してくれて助かっているとともに、不要な情報を載せて国民を不安にさせているのではないかと思っています。

メディアは私たちの生活に密着しているもので、それだけ影響力が強いものです。

私たちを少しでも安心させられ、コロナ禍が去った後でも適切な行動ができるように誘導してもらいたいと思っています。

対国民に対して思うこと

不要不急の外出を避け、家にこもってください。もちろん、それについて困っている人を助けるために行動している人を非難しているわけではないです。軽率に「運動不足だから」「飽きたから」といって、自分の利益にのみ縛られて行動する方に伝えたいです。また、そういった人については外に出るのは良いですけど、「政府の批判をしないで欲しいこと」と「主語を国民全体にしないで欲しい」です。「不安だ」というなら外に出なきゃ良いし、「医療従事者が大変だ」と思うなら自分が支援したらいいじゃないですか。世界は簡単には変わりませんが、自分は自分次第で変えることができると気付いて欲しいです。

あと、先にも述べましたが、「政府批判」やめませんか?深く考えれば分かることだと思いますが、「現政府を批判すること」は「国民のこれまでの行動を批判すること」とまったく同義です。だって、今の政府にいる人は“国民が”選挙で投票した人ですから。そして、今批判している方はきっと今までの選挙に欠かすことなく、「名前」ではなく「政策」で投票してるのでしょうね。まさか投票していないのに批判しているわけではないですよね。

最後に、再三述べているとおり、「正しい情報」を「正しく認識」し「正しく行動」してください。ぼくたちができることは外出自粛だけではないのでしょうか。ぼくたち国民の“メディアリテラシー”が問われている瞬間です。

外に出る仕事をされている方々へ

本当にありがとうございます。普段よりも業務の量が増えていることと思いますが、そのおかげで、ぼくたちの生活はなんとかうまくいっています。

最大限、自身の体調には憂慮して、お仕事いただきたいと思います。

自分の身を守るのは自分です。大変な状況でしょうが、これからもお願いします。

対自分について思うこと

最後になりますが、自戒をしておきたいと思います。

もっと早くからコロナについての情報を集めておけば良かったのになぜそれをしなかったのでしょうか?そうしていれば、このブログを通して多くの人に「正しい情報」を届けられたのではないか?

そういった部分の認識の甘さや行動の遅さがいつまで経っても、ぼく自身の弱みで一刻も早く解決したい部分だと思います。

今は受け入れられるかどうかは別として、とにかくたくさんの情報を「正しく解釈」して「正しく伝えていく」ことをするしかないです。

 

今回の記事はこれで終わろうと思います。

国難といえるような、非常事態ではありますが、やっぱりぼくとしては「国民が協力して行動すれば乗り越えられる」と思っています。

そのためにも、今外出自粛をしている方はもうしばらくの辛抱を、そして我慢できず外に出て遊興している方は「自分は大丈夫。」から「まわりは大丈夫?」と考え方を変えて欲しいなと思います。

ここが正念場です。もう少しの辛抱が大きな影響を及ぼす行動になってきます。

それぞれ考えた行動を取ってもらいたいと思います。

それではまたいつか…

 

質問箱のリンクです。たくさんの思いがあると思いますが、それを伝えることで形になることがあると思います。こちらにはけ口としてどうぞ。

 

 前回の記事です。まだ読んでいない方はぜひこちらも!

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自分の価値の話

どうも、凡人るいちです。

3日に1回の投稿と言いつつ遅刻するかしないかぎりぎりのラインでこの記事を書き始めました笑

結構焦っている反面、あんまり見られてないからいいやという気の緩みがあるのも事実です。そういった部分はぼくの弱みとして解決していく必要がありますね…

さて、今回は「価値」について話していきたいと思っています。

この「価値」という言葉は就活を始めるようになって頻繁に聞くようになった言葉です。もしかしたら、なじみ深い人もいるかもしれないし、そうではない人がいるかもしれません。

ですが、少しでも身近に感じられるように書きたいと思うので、最後まで読んでいただけるとありがたく思います。

 

自分の価値

早速タイトル回収ですが、みなさんは「自分の価値」について考えたことはありますか?

多くの人は無意識的に考えている部分かもしれませんが、それを意識的に考えたいと思います。

まず、「価値」とは一体何かについて押さえておく必要があるので、例にならって辞書から引用してみましょう。

 

価値

大辞林:物がもっている、何らかの目的実現に役立つ性質や程度。値打ち。有用性。

新明解:人間の生活において、それを好ましいものとして受け入れ、精神的・物質的に充足を感じさせる程度。

 

「価値」とは「自分の生活に役立つ物に生じるもの」と考えることができそうです。

では、「自分の価値」とは何なのでしょうか?

ぼくは「自分自身の将来の目的・目標のために必要な物」と考えています。

「自分自身の価値を高める」とは、就活の中でよく言われる「美しい言葉」です。しかし、その「価値」は自分で必要な物かどうかを考えねばなりません。

だって、その企業・働き口で身に付けられる「価値」が「自分の将来」につながっているとは限らないですから。

例えば、「話術で食べていきたい」と思う人が、「価値」として「パソコン」を身に付けたところで、直接的な価値にはなりにくいです。しかし、「漫才」を身に付けたのであれば、「漫才=話術」となることは十分に考えられるでしょう。

このように、ぼくたちはこの世の中にある無数の「価値」の中から「もっとも必要な価値」をつける必要があります。

では、その「価値」をどのように見つけるのでしょうか?その方法をぼくの話も含めてしていきたいと思います。

 

自分の価値の見つけ方

まず前提として、「自分の価値」は自分でしか決められません。なので、「この力を身に付けたら他の人からこう思われるかも」といった「価値」を他者におくことはおすすめしません。

理由は先に述べたとおりで、間違った道に進んでしまうかもしれないためです。

では、どのように「自分の価値」を見つけるのでしょうか?

その答えは「なりたい自分やありたい自分を決めること」です。

ゴールが決まれば必然的にルートも決まるものです。それが、飛行機なのか新幹線なのか、それとも徒歩なのかは自分次第です。(正直に言うと、ぼくはどのルートでも良いと思っています。)

とは言っても、「なりたい自分」「ありたい自分」が簡単に決められたら苦労はしません。なので、参考になるか分かりませんが、少しだけぼくの話をします。

ぼくにとっての「なりたい自分」とは、「万能人」です。これは中二病とかではなくて、その過程が単純に楽しそうだからです。

では、そのために何をしているのか。それは「すべての事象に少しずつ触れていく」です。ぼくは「万能人」が目指す姿なので、何でもそのルートに乗っかってきます。

例えば、今専攻している教育学も、これから勉強する経営戦略も、趣味でやりたい心理学も、仕事にするマーケティングも全部ぼくのルートです。

大変ではありますが、ぼくはいつか話したように「楽しいからやる」と決めているので、辛いと思ったことはないです。

 

とまぁ、役に立たない話はこれまでにして、「価値」には「目標」が密接に関連しています。

みなさんが価値をつけたいと願うのならば、将来の目標を見つけてください。そのためなら、どんな困難だって知らず知らず乗り越えて、気付いたら「価値」がついているはずです。

その「価値」は全員つけられるものでも、あなただけにしかない「価値」でもあります。みなさんは気付いていないだけで、たくさんの「価値」をすでにもっているのかもしれませんね…

それではまたいつか…

 

質問箱からたくさんの質問に回答中です。意見や感想お待ちしております。

 

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