様々な愛のかたちと社会の話
少し前になんの気なしにアクセス数を確認したら500を超えていて驚いた凡人るいちです。
400人行きました!!という報告をしたのがちょうど1ヶ月前だったのでかなり速いペースなのではないかと思っています。毎度毎度しょうもないことしか書いていないのに読んでいただいてありがとうございます!!
そしてもう一つご報告なのですが、ぼくが何を書いていたのか気になってみていたところ、記事に貼り付けているニュースリンクが削除されていることがありました。どうやらぼくの記事には賞味期限があるようなのでお早めにお読みください!!
では今回の記事のテーマですが、“LGBT”で行こうと思います。
最近よく話題になっていますが、「そもそもLGBTってなんだ?」という人も多いと思います。
しかし、この話題に関しては今後生きていく上で知らなくていい話題ではないと思います。
この記事を読んでLGBTの一端にでも触れていただければ良いなと思っています。
それでは本編いってみましょう!!
そもそもLGBTって何?
LGBTとは性的少数者のことを指す略語です。その中に含まれているのが、「レズビアン(女性同性愛者)」「ゲイ(男性同性愛者)」「バイセクシュアル(両性愛者)」「トランスジェンダー(性別越境)」です。
この中でもトランスジェンダーに関しては幅広く定義されています。
例えば、心と体の性別が一致しない方はFTM(Female To Male)やMTF(Male To Female)と呼ばれ、心の性別がない方はFTX(Female To X)やMTX(Male To X)と呼ばれています。
これらの単語はヨーロッパでは自らのことについてポジティブに語ることばとして使われています。
日本では、こういったLGBT関連の言葉は主に蔑称としてでしか使われていないのに対して、海外では受け入れが進み始めているのが分かる部分でもあります。
LGBTの方の割合ですが、2016年時点で8.0%いるようです。これは左利きの人やAB型の人よりも多い割合だそうです。
つまり、ぼくたちが左利きの人を差別していないことと同じように、またAB型の人を悪くいわないことと同じようにLGBTの方に対しても同じように接する必要があるということです。
そして、LGBTは4つだけを対象にする用語ですが、他にもインターセクシュアル(I)やアセクシュアル(A)、クエスチョニング(Q)なども存在しています。
何が問題になっているの?
LGBTというものがどういったものなのかある程度分かったと思うので、次に社会はどういう風になっているのかということについてお話ししていきましょう。
日本ではLGBTの方への対応はまだ十分とは言えないのが現状です。
2015年には渋谷区議会で異性カップルと同等の権利が保障することを条例で採択し、話題になっていました。この採択をきっかけに他の市区町村でも実施されました。
しかし、あくまで条例に過ぎないので法的拘束力が存在しないことが課題です。(法的拘束力がないと聞くと良いことのように聞こえますが、法に守ってもらえないということでもあります。)
これによって、同性パートナーへの遺産相続権がなかったり生殖医療の適用が出来なかったりという問題が発生しています。
また、2017年3月には、いじめ防止基本方針の改訂も行われLGBT生徒の保護という観点が初めて盛り込まれました。
ですが、やはり学校ではLGBT生徒へのいじめや差別がなくならないのが実情です。
それでは海外ではどうなっているのかということも気になりますよね。
海外では日本よりももっとLGBTの方への対応が進んでいます。
2010年にアイスランドで同性婚を認める法案を全会一致で採決し、首相がレズビアンであることを告白しました。また、2011年には国連人権理事会が性的志向や性自認に基づく暴力や差別に重大な懸念を示す議決を採択しました。
その他にも、2014年にはインドでトランスジェンダーが法的に認められ、2015年にアメリカ全州で同性婚が合憲化されたりしています。
一方で圧力をかける国もあるといったことが現状です。
話を日本に戻して、今度は会社ではどうなっているのかということについてお話ししていきます。
近年多くの有名な会社で制度改革やサービス改革が行われています。そして、人事等も改善されつつあるようです。しかし、日本労働総組合総連合会が実施した調査によると、職場にLGBTの方がいることに抵抗があると答えた割合は3人に1人で男性の方が女性の2倍抵抗を示すことがわかりました。また、年齢層が上がるにつれて抵抗も強くなるようです。
これらのことから、会社では制度は変わっても人の心に根ざすものまでは変わっていないということも分かります。
愛のかたちについてのぼくの考え
最後にぼくの意見を紹介して終わろうかなと思います。
まずぼくはそこまで性的少数者について抵抗がありません。それは普段からぼく自身が社会において少数派だからかもしれませんが、それとは別に価値観は違って当然という考えを持っているためです。ただ、ぼくはこれまでに一度もLGBTの方から好意を寄せられたことがありません。(というか普通に異性からもないのですが…)もしそうなったときにぼくはどういう行動をとるのか、相手のことを考えられるのか正直分からないというのも本音です。
次に、考え方のベースとして知っておいてほしいこともあります。
プラトンが書いた『饗宴』という著作に人間の起源について述べられているものがあります。そこには、「もともと人間は背中合わせの1対の状態で存在していたが、神の怒りによって引き裂かれた」というようなことが書かれています。
この1対は「男女」「男男」「女女」という3つがあって、おのおの自らが最もあう性別を求めているという考え方につながります。「いま多数派の人たちはたまたまそういうことであって、もともとは3種類だったんだ」と考えると面白いですよね。
ほかにも、結婚のプロポーズの時に「2人で完璧になりませんか?」という風にいう国もあるそうです。なかなかロマンチックですよね。
話がだいぶずれてしまいましたが、こういうように昔の著作や他の国の風習から学ぶことも多いものです。日本だけや現在だけにとどまらない考え方を持って接していってください。
最後に、ぼく自身は差別やいじめといったものは人の心が変化していかない限りなくならないと思っています。心を変えるためにも現状を知った人は告白しやすい環境を整えていくべきですし、LGBTの方はもっと告白していってほしいなと思います。
今回の記事はLGBTについてで進めてきました。
人の多様性を認めようと社会が主張していても、その社会に受け入れる基盤がないことは非常に残念で悲しいことです。もっとLGBTについて調べていってほしいですし、知ってほしいとも思っています。ぜひ、理解を深めていってください。
それではまた来週お会いしましょう!
そして、しばらく諸事情によりストップしていた質問箱の方も再稼働をはじめたので、「こんな記事書いてほしい!」というリクエストやぼくの私生活についても質問してみてください!!100%回答します!!
〈参考サイト〉
https://www.weddingpark.net/magazine/97/
〈参考ニュース〉
学問とはどういうものなのか
どうも、凡人るいちです。
今回の記事は意外にも人気があったりしたり無かったりする凡人るいち哲学です。
テーマは“学問”です。ぼく自身が大学という学問をしていく場所に在籍していることもありますが、今後大学を卒業していっても“学ぶ”ということは継続していかなければならないと考えています。
ということで、今回はぼくが考える“学問”とは何であるかを少しお話ししていきたいと思います。
学問と勉強の違い
ぼくは学問と勉強については一定の差別化が出来ているものだと考えています。
もっと具体的に言うと、高校まででしてきたものは“勉強”で大学以降でしていくのが“学問”といった感じです。
では、まずなぜ高校までは“勉強”でしかないのかということについて話していきます。
高校までの学習(ここでは“勉強”とも“学問”とも違ったものとして“学習”を使っていきます。本来の意味とはちがいますがご容赦ください)は、基本的には「誰かにやらされてきた」ものではなかったでしょうか?
たとえば、「義務教育だから小学校や中学校に行く」とか「高校に行かないと今時働き口がないから進学する」などなど、家庭や社会に要請されて学校に行くという受動的なものだったと思います。
とか言っているぼく自身も高校時代にはそこまでモチベーションは高く維持できませんでしたし、なので高校までの知識はほとんど残っていないです。おそらく好きでもないことを無理矢理ごまかしてやっていたからだと思います。
こんな感じで高校まででは、どう頑張っても「やらされている」という気持ちが前面に出てしまうような気がします。(もちろんそうではない人もいるとは思います)
ただ、それと比べると大学という機関、それに加えて大学院という機関はそれではやっていけないが実情です。
それはなぜかというと、大学以上の学習では自発性が求められるからです。
ここまで12年間も受動的だった人たちがそんなすぐに変われるのかというとそれこそ人それぞれだと思います。
大学という機関は、「行かされているから行く」という場所ではなく「これをもっと知りたいから行く」という感じで明らかに目的が変わっていくのは気付くと思います。
例えば、「経済学を知りたい!」だったり「人の心の動きってどうなっているのかな?」など動機はそれぞれだと思います。
ぼくの場合は「教員になりたいから行く」というのがスタート地点でしたが、大学で“学ぶ”うちに「政治教育をどうにかしてあるべき社会にしたい」という風に変わったりしています。
これが“学ぶ(=学問)”と“勉強”の違いだと思います。
何も目的を持たずに大学に来るぐらいなら、その4年間をさっさと社会のための労働力として提供したらいいとも思っています。
なぜぼくたちは“勉強”をしてきたのか
前の章では結構厳しい話もしましたが、ここからはなんでぼくたちは“勉強”をしてきたのかを考えていきたいと思います。
あくまでもぼく個人の見解ですが、「“勉強”は学問や何かを考えるための材料づくり」だと思います。
なぜそう考えるようになったのか?というと、あるとき高校生に「勉強して何の意味があるんだ?」と聞かれたことがありました。その当時はそんなことを考えたことなど無かったので「特に理由など無いと思うよ」という話をしました。考えていないことをそう話したことはかなり無責任だったと思います。そのときその話を聞いていたある人に「まだ勉強の本当の意味に気づけていないけど、これから分かるよ」というように言われました。そこから思考していき、「全てのことはつながっているな」とまとまっていきました。これが理由です。
わかりやすく具体例を出していきましょう。
ある知り合いにピロシキを作ってくれと頼まれたとします。
何も知らない中でピロシキを作れるでしょうか?おそらく、「とりあえず、和食ではなさそうだ」と思うぐらいが限界かと思います。材料も分からなければ、調理法も全く分からないという状況に陥ると思います。
でも、もし「ピロシキはロシアの方の料理だ」や「温かい食べ物だ」など情報を事前に“勉強”していればある程度の想像はつくと思いますし、調べて確認することも可能です。(調べること自体が“勉強”なので何も知らないときに調べても“勉強”になるのですが)
こういうことだと思います。知らないことは深く考えられないし、そもそも言語化できないかもしれません。
これが“勉強”する意義でもあり、価値でもあると思います。
こう考えていくと少しは“勉強”を楽しめるのではないでしょうか。ぼくは「楽しくなければ勉強じゃない」と思っているので、魅力が伝わっていれば嬉しいです。
結局、学問とは何であるか
ここまで長々と書いてきた“学問”と“勉強”についてようやく結論を書いていきましょう。
ぼくは、「学問とは、既存の知識や常識を疑い、新しい発見をするものである。」と考えます。これに関しては十人十色の“学問”があると思います。
だから、学問を極めていくものは時に孤独であると思います。なぜなら、100人が正しいと思っていることに1人で嘘だと主張していくのですから。
ぼくはまだ“学問”を究めたことはないです。もっといえば、何も究めたと言えるものはないです。ただ、それでもこう想像をすることは出来ます。学問を究めたあとは、なんともいうことができない感情に達するのだろうと。
ぼくの究極的な目標は、「世の中の常識をぼくがつくること」です。それは学問でのみ達成できうるものだと思いますし、それが一番の楽しみだとも思います。
今回は、“学問”と“勉強”という暮らしに密着したものをテーマに取り上げてみました。
ぼくの話が多くなってしまったのが恐縮な点なのですが、これがきっかけで明日から“学問”や“勉強”をやってみようというようになってもらえれば、書いたかいがあります。
最後にもしかしたらピロシキが気になるという方がいるかもしれないので、レシピを貼っておきます。もし作ったらぼくに差し入れしてくれると喜ぶと思います。
今週も最後まで見ていただきありがとうございます!!では、また来週お会いしましょう!!
<ピロシキ>
ハロウィンってそもそも何?
冬の寒さが身にしみるようになってきてこのまま冷凍されてしまうのではないかと思っている凡人るいちです。
たぶん凍ってても誰も気付かないんじゃないかなと思っています。「あ、こんな所に新しいオブジェおいたんだ~」的な…
ん?誰が「炎上人だからすぐに解凍される」って?まあ、否定はしませんけどな…
今回のテーマは「ハロウィン」です!完全に便乗しております…笑
ただ、日本でのハロウィンしか知らないからどういうお祭りなのか意外と知らない人も多いのではないでしょうか?
かくいうぼくも分からないので一緒にハロウィンについて知っていきましょう!!
ハロウィンってどんな祭りなの?
ハロウィンは毎年10月31日に行われる行事ということは皆さんも知っていることかと思います。(だから今日書いてるんですけどね…)
その由来は古代ケルト人のお祭りだそうです。古代ケルト人は10月31日が一年の終わりだったことから、収穫祭という形で一年の終わりを祝っていました。同時に死者の霊が帰ってきていたずらをすることから追い払おうとすることもしていたようです。
そしてその後、カトリック教会の祝日の一つである11月1日の「万聖節」というものと融合し「万聖節」の前夜祭として祝われるようになったそうです。
「万聖節」とは日本のお盆のようなもので全ての聖人と殉教者を記念する日でお墓参り等もするようです。
それではなぜ「ハロウィン(Halloween)」というように言われるようになったのか語源についても触れておこうと思います。
語源は諸説あるのですが、2つ紹介します。
①「万聖節」の前の晩なので、「万聖節」の英語の旧称「All Hallows」と前夜という意味の英語「eve」の合体で「Hallows eve」がなまって「Halloween」となったという説
②神聖なという意味の英語「hallow」と夜という意味の英語「evening」が合わさり「Halloween」となったという説
この二つともに共通するのは“神聖な”という意味を含んでいることです。
そして、ハロウィンといったら仮装ですよね!その仮装の理由についても紹介します。
①悪霊や魔物の仲間だと思わせてあの世に連れて行かれないようにするためというものと②人間の怖い姿を悪霊たちに見せて怖がらせて逃げるようにするためというものがあるそうです。
こちらも両方とも“魔除け”という意味が含まれていますね。
最後に、ハロウィンといったらこのセリフ!!という「Trick or Treat」というもの由来です。
元はさまよっている霊魂たちのために干しぶどうの入った四角いパンを乞うというやりとりで、渡せないと庭の木がトイレットペーパーまみれになったり、ドアに卵をぶつけられたりしたようです。
現在このセリフが決まり文句になっている理由としては、ディズニーの『ドナルドの魔法使い』というものだそうです。さすがはディズニーといった感じですね。
毎年起こっている騒動・事件について
ハロウィンといったら悪いニュースが悪霊のようにつきまとっていますが、特に今年起こった問題について触れていこうと思います。
渋谷がハロウィンの舞台として有名ですが、100万人以上の人が来ることが予想されています。あの小さな町に100万人も集まったら、人口密度がサウジアラビアですね…
そりゃ、それだけの人が集まれば問題も多発するわけです。連日話題になっているのは、軽トラを横転させるというものですが器物損壊罪に問われる立派な犯罪です。
他にも、殴る蹴るといった暴行事件やエアガンを発砲するといった傷害事件、財布やスマートフォンのスリやひったくりという窃盗罪、痴漢といった事件が大量に起きています。
犯罪に問われないものでは、ゴミ問題があります。ボランティアの方が次の日に仮装してゴミ拾いをするというすがたもみられていたり、芸能人の西野さんは出たゴミでアートを作ろうとする活動をしたりしています。
まだまだたくさんあるのですが、多すぎるのでこの話はここまでにしておきます。
ハロウィンについてのぼくの考え
毎日のように話題に上がるハロウィンですが、ぼくも有名人と同じように自分の立場をいってみようと思います。
単刀直入に言うと「そんなにやりたいなら仲間内でやれば良い」ということです。
ハロウィンに限らず渋谷という町は人が多いのですが、その中にはもちろん普通に買い物に来ていたり、劇場に来ていたり、デートをしていたり、通勤通学をしていたりという人がいるわけです。それは当然ハロウィンの日だってそうです。ハロウィンではなく日常生活を送っている人がいる中で、普段と違うことをしている人が譲るのが当然だと思います。
ただ、こういう風にいってしまうと「ハロウィン禁止派」と思われてしまいそうなので補足しておきます。
毎年問題になるのは一部の人でその他大多数の人が普通に楽しんでいる人のはずです。その人たちの邪魔を一部の人がしないであげてほしいということです。そんなにものを壊して暴行して迷惑をかけたいなら、どっかの体育館でも借りてやってくれという立場です。
「神聖な」祭りにふさわしく「神聖な」スタイルでやってもらいたいと思います。
最後に日本流に変化させることは何も悪くないと思っています。ただ、それは元の文化を尊重してようやく成り立つものであり、今の状況では“改悪”といわざるを得ません。“改良”していって独自のものにしていってほしいと思います。
今週の記事はここまでです。今回は今日リアルタイムで行われているであろう「ハロウィン」についてまとめました。
みなさんはこの「Japan's Halloween」についてどう思いますか?よかったら皆さんの意見も聞いてみたいです。
来週も更新するのですが、またまたるいち哲学の記事になります。
それではまた来週お会いしましょう!!
〈参考サイト〉
ハロウィンとは?由来や意味&起源は?なぜかぼちゃ?ジャックオーランタンの意味は? | Today's Trend News
ハロウィン渋谷2018の人数・混雑事件やゴミがやばい!海外の反応も! | 彩都の情報の泉
〈参考ニュース〉
“好き”と“嫌い”、だいたい“普通”
凡人るいちです。
今回取り上げるテーマは“好き”と“嫌い”についてです。
とらえ方によっては恋愛にも活かせるかもしれませんが、ぼくは主にぼくが感じる最近の風潮からこの2つを見ていきます。
正直ぼくもまだ20年そこらしか生きていないので「必ずこれが答えだ!」というものではありませんし、もちろん感情なので人それぞれのものであっていいと思います。なのでぼくの考えを押しつけたりするということはないです。
実際ぼくはこのブログ自体を好きで書いていますが、見てくれている人からしてみれば何通りもの考え方があると思います。見てくれている人の意見をぼく自身は取り入れていきたいと思っていますが、そうもいかないのも現状です。
そういったジレンマもあるなかで、そして最近の風潮をみての意見を少し書き連ねていこうと思います。
“好き”になることとそのまわり
ぼくは“好き”になることに理由はいらないと考えているタイプの人間です。
なので、「読書が好きなんだ!」と人に言うと、「どの作家が好きなの?」と聞かれるのがかなり苦痛だったりします。
ぼく自身は“本を読むこと自体”が好きなので人で選んだりはしないわけです。(ジャンルで選ぶことの方が多いです)
こういう質問って結構あると思います。もしかしたら自分もしているかもしれません。
さらに、好きだと発信すると「○○知ってる?」などの質問が来て、知らないと「にわかだ~」とか「新参者のくせに~」とか言われてしまうわけです。反対にそのことについて少し詳しいだけで「ガチ勢かよ~」とか「オタクじゃん」とか言われるわけです。
こんな状況では簡単に好きということもできなくなってしまいます。
“好き”に関してはまわりはもっと寛容に、そして自分はもっと発信的な方がいいと思います。
今後の動きを作ってくれるのは、新しく好きになってくれる人です。もっと優しく出来るとみんなが楽しくコンテンツを利用できるのではないかと思います。
“嫌い”にはなぜ理由が必要なのか
反対に“嫌い”になることには理由が必要だと思っています。
ぼくはあいにく人に嫌われやすいタイプの人間なのでそういったことには慣れっこだったりするのですが、そうでない人も結構(というかぼくが異常なのでしょう)いると思います。
“嫌い”なコト/モノ/ヒトがある人もいるかと思います。なぜ、苦手ではなく“嫌い”なのか、自分自身に問いかけてみると案外分からないかもしれません。
ぼくが“嫌い”に理由が必要だと考えるようになったのは、ある先生の考え方があります。というかむしろ、その考え方に納得したというのがとても大きいです。
その先生がどんな考えを持っていたのかの話をしていきます。
ぼくが高校生だった頃、日本史に若くて生徒に人気な先生がやってきました。ぼく自身は日本史をとっていなかったので、その先生に教わることはありませんでした。その先生は野球がとても好きでしたが、巨人がとても嫌いでした。そのため、巨人のことはよく知っていました。これだけ聞くとおかしな先生で片付いてしまいそうですが、実際はその裏にはその先生なりの思想がありました。それが、「嫌いなものを嫌いになるためには理由が必要だ。だから、嫌いになるために嫌いになる情報を探しているんだ。」というものです。高校生ながらこの話を聞いたときになるほどなと感じたのを覚えています。
そこから時は流れ、いろいろなことをぼく自身学んできました。その中で考えることが増えてきてこの考え方を発展させていきました。
みなさんがいっている“嫌い”って本当に理由があるのか?その裏の背景を知った上でやっぱり嫌いなのか?ということです。
たとえば、ある野菜が嫌いだとしましょう。その野菜が嫌いな理由が苦いからだとします。でも、その野菜が苦い理由が体を構成するのに必要な栄養素だ、と知っても嫌いのままでしょうか?それで、それなら仕方ないとなれば、それは“苦手”なのではないでしょうか。
簡単に言うとこういうことです。なのでぼくは“嫌い”という言葉をあんまり使わないです。それは、そのもののことを完全に知っているわけではないからです。
しかし、このことはあることの全てを知っていなければ好き嫌いの話をしてはいけないということではないです。それはもう人の自由だと思っています。
ただ、“嫌い”ということは人を傷つける可能性があることは知っておいてほしいです。(好きが傷つける場合もありますが…)
だいたい“普通”?
日本人はよく真ん中を選ぶと言われます。
これにはぼくもそうだなと思っていて、アンケート調査とかすると毎回3に○をつけているような気がします。
嫌いではないけど好きでもない場合はだいたい“普通”なんですよね。なぜかは分からないですけど。そもそも「どちらかというと好き」とか「どちらかというと嫌い」とかも日本人の特性をよく表わしている言葉だなと思っています。
はっきり言わない方がうまくいくこともあるとはおもいますが、それでも毎回“普通”でやり過ごしていてもいいかというとそういうわけでは無いと思います。
あまり自分自身の意見を押し殺しすぎるとここぞというときに自分の意見が出せなくなってしまうかもしれません。
何事も状況を見て対応は考えないといけないですね。
今回の記事は、ぼくの考えを本当につらつら述べるだけになってしまいました。でもここから、好き嫌いについて深く考えてもらえるようになればいいなと思っています。(そして、ぼくのことを“嫌い”ではなくなってほしいなと思います)
嫌いになられてしまったらなられてしまった方も少し理由を考えていきたいものですね。
また来週は時事問題についての記事をあげようと思っています。正直何日か前に決めるのでどんな記事になるかは分からないです!面白そうと思ったらまた見てください!
税金って得するもの?損するもの?
最近本屋さんに行くと毎回2冊ずつ本を買ってしまい気付けば積ん読がはかどってしまっている凡人るいちです。
本って不思議でなぜか表紙を見て面白そうだなと思うとつい買ってしまいますし、買っただけで満足しちゃうことがおおいんですよね…
秋の夜長は読書が進むと言うことで10月11月中には積ん読解消を目指したいですね~
段々長くなってきた前振りはここでいったんお別れして、今回のテーマは“税金”です。
来年の10月から消費税が10%に引き上げられることが発表されたので、今のうちに“税金”とは一体何なのかを一緒に学んでいきましょう!!
税金ってなんだ?
では、もともと“税金”とはなぜ存在するのかを見ていきます。
「出来るならば税金は払いたくないよ~」って方がほとんどだと思います。実際払ってしまうと、実質的には手元に残るお金が減ってしまうわけですし、それは当然な反応です。
もっと簡単に言い換えると、「減税するとみんなが幸せになって、増税するとみんなが不幸になる」となりますかね。これって本当なのでしょうか?
本来の“税金”の存在意義とは、「高所得者と低所得者の収入格差をなくす」ということです。この意義を見ると、減税することは低所得者にとっては悪になると言うことです。もちろん高所得者にとってはラッキーと言うことにもなります。
しかし、実際の社会ではこうはならずに全員が減税を願います。それは、ぼくたちが納めている税金がどのように使われているか分からないためでしょう。
この問題を解決するために“税金の種類と簡単な制度”についても見ていきましょう。
税金はいくつかの種類に分けられます。一番大きく分けると、国税か地方税かになります。この二つに関しては名前通りです。
国税:納税者が国に対して納める税金
地方税:納税者が地方公共団体(都道府県、市区町村)に納める税金
そして、さらに細分化していくと直接税か間接税かに分けられます。
直接税:収入をもらう人と納税者が一致しているもの
間接税:税負担者が国民で納税者が事業者と分れているもの
これをさらに細分化していくと、それぞれ個別の名前を持った税になっていきます。例えば、直接税なら所得税、法人税、相続税があり、間接税なら消費税があります。
この個別の名前を持った税にはそれぞれ特徴があります。それがいわゆる税制度というものとも関係していきます。
所得税や相続税には、累進課税法という所得が上がれば上がるほど、税率が上がるというシステムが採用されています。これは、少し前に出てきた収入格差をなくす為に導入されています。
しかし、その反対に消費税には逆進性があります。これは制度ではなく、意図せずついてきてしまうものなのですが、内容は収入が低いと税率が上がるというものになります。
逆進性については、少しわかりにくいかもしれないので数字を出して解説していきます。「もう分かったよ!」という方は飛ばしてしまって大丈夫です。
年収1000万の人にとっての1万円の消費税800円(来年10月からは1000円)は所得に対して0.00008%しかしめませんが、年収100万の人にとっての1万円の消費税800円は所得に対して0.0008%をしめることになります。
こう見ると、所得に対しての割合が年収の高い人の方が低くなっていることが分かると思います。これが逆進性です。
なので、消費税増税は格差が広がることになりかねないと言うことになります。
税金は何に使われているの?
ここまで一通り、税金とは何かについて考えてきましたが、いよいよ本題の何に使われているのかについてみていきましょう!
日本の平成30年度予算案には、税金からの歳入として59兆790億が見込まれています。これは国税のみの値で、地方税も含めると103兆1506億にもなります。
皆さんが知っている主な使い道と言ったら、公共施設の整備や公務員の給料、病院に行ったときに安くなるやつというものがあります。
ただ、それだけではなく日本の様々なところに税金は使われています。
使い道として1番多いのが社会保障関係費です。これは、年金とかさきほどの病院に行ったときに安くなるやつとかに使われています。(2015年時:33.2%)
2番目に多いのが国債費です。これは、毎年多く発行している国債を返すために使われています。(2015年時:24.3%)
3番目に多いのが地方交付税交付金等です。地方により財政状況が違う中で、それを均等化するために使われていると言うことになります。ちなみに、地方交付税交付金は東京と以外全ての道府県に支払われています。(2015年時:16.2%)
以下、公共事業費、文教および科学振興費、防衛関係費、恩給関係費、経済開発費と続いています。
日本の現状では、少子高齢化の進展により社会保障費が増えつつあり、災害等も多いためその復興費などに国債を発行するためそれを返さなくてはいけなくなってしまい、地方間間格差もはっきりしている。といった社会状況を一目で表わす使い方になっているのがわかります。
そして、よく防衛関係費が増加しているとは言いますが、割合だけ見れば減少傾向にあると言って良いと思います。ただ、その分収入も増えているので使っている金額は高くなっているとも見ることができます。(技術が進歩すれば、その分値段は上がるものなので仕方ないような気もするのですが…)
税金を払うのは得?それとも損?
最後にようやくタイトル回収をしていきましょう!
すごく当たり前のことですが、ここまで見てきた税金が「自分に役立つなら払ってもいいし、役立たないなら払いたくない」という感情になるはずです。
では、実際はどうなのでしょうか?
何ごとも完全な形というものは存在しないので、必ずしも得する面(メリット)だけというわけではないです。どうしても、損してしまう場面(デメリット)も存在しています。
税金を払うメリットとしては、病院に行ったときの負担が軽くなること、図書館などの公共施設が無料で使える点が目に見えてあります。
その他にも、公務員の給料として税金が使われているので治安の維持、教育の保障にも役立っています。また、道路が舗装されていたり、堤防があったりと市民生活を安全に過ごせるといったメリットも存在します。
反対にデメリットとしては、税金が平等に取られているのか分からないこと、正しい使い方がされているのか分からないということがあります。
前者では、捕捉率の違いがよく出されています。源泉徴収のサラリーマンは9割の捕捉率、事業者は6割の捕捉率、農業従事者は4割の捕捉率というクロヨン問題というものです。最終的には、全員が確定申告をすれば帰ってきたりすることもあるようですが、面倒なのでしないという人も増えてきています。
後者については、途中でお話ししたので大丈夫だと思います。ただ、これが本当に正しいのかと言われると自信を持って「ただしい」と言えるような状況ではないのも事実です。
得することも損することも両方あるのですが、得することの方が損することよりも多いから税金を払っているということになると思います。
今回は“税金”というテーマで見てきましたが、“税金”とはなにかが分かったでしょうか?ぼくは調べていて分からないことが多く、もう少し知らないといけないと思いました。
ただ、それでも目の前の減税に目がくらんでしまうと本当の意味での“税金の機能”が果たされなくなってしまうので、そこは注意して考えていかなければならないと思います。
それでは今週の記事はここまでです。最後に参考サイトとニュース記事のリンクを貼っておくので、興味のある方は見てみてください!
来週は久しぶりの凡人るいち哲学の記事の更新になります!お楽しみに!!!
<参考サイト>
http://www.freshmanmoney.com/tax/how_to_use.html
税金のメリット・デメリットを教えてください。 - 税金が無い世... - Yahoo!知恵袋
〈ニュース〉
日本の領土ってどこまで?
アクセス数を見てそろそろ400近くなっていることを見て驚きが隠せない凡人るいちです。
ブログ初めてまだ1ヶ月ぐらいしか経って無くて、記事もこれを含めて8本しか書いていない状況なのにこの数字でただただ驚いているばかりです。本当にありがとうございます!実はこういうこと言うと、「本当は自分でF5連打してるんだろ!!」とか言われるんですが、たぶん400回も押してないので違うと思います。(無意識にやってたらごめんなさい)
前振りが長くなってしまいましたが、今回のテーマにいきましょう!
今回のテーマは「領土問題」です。
最近では割と落ち着いてきたようにも感じますが、日本はいくつかの領土問題を抱えています。その問題のことについて一緒に考えていきたいと思います。
そもそも領土ってどの範囲?
領土問題を語るときに欠かせないと思うのは、“領土”とはどの範囲か?と言うことだと思います。
実は、中高の社会科で少し触れられている部分なのですがもう少し詳しく見ていきます。
“領土”というのは、その国の主権が及ぶ範囲の一部のことで“領域”の一部です。
じゃあその領域は?というと領土・領海・領空の3つに分けられます。
領土:地面の部分(日本で言うと、北海道・本州・四国・九州沖縄・その他の島々)
領海:海の部分で沿岸から12海里以内(1海里=1852mなので、12海里=22224mになる)
領空:空の部分で領土と領空の上空200~300kmの大気圏内
上のようになっています。これを見ると、宇宙はどこの国のものでもないことが分かるかなと思います。
ちなみに、領海の話ですが日本には国際海峡という海峡が5つあり、その海峡は領海が3海里に設定されています。理由は他国の経済的なものと非核三原則を強固に守るためです。
先ほどの3つ以外に“領域”に関する規定がされているものもあります。(国連海洋法条約)
排他的経済水域(Exclusive Economic Zone:EEZ):200海里以内での資源の開発・保全・管理に対する沿岸国の主権的権利を認める
公海:領海と排他的経済水域以外の部分で航行や漁などもほとんど自由に出来る
一口に“領域”と言ってもこのようにいくつかの種類があります。ニュースなどで良く耳にする言葉でもあるので知っておくといいかもしれません。
日本の領土問題って何があるの?
最近騒がれなくなってきているので、「あまり覚えていないよ~」と言う方もいると思います。ただ、時たまニュースなどでは見たりするので、今どういう状況なのか、そしてどうしてそうなったのかを知ることも大切だと思います。
日本とロシア(旧ソ連)の領土問題
この問題は、最近ニュースでも話題になったものなので覚えている方も多いと思います。「日ロ平和条約について~」などと言う話がメインだったのですが、これの理由はこの問題だったりします。
いわゆる“北方領土”と言うものなのですが、対象となっているのが“歯舞群島・国後島・色丹島・択捉島”の4島です。
めちゃくちゃ難読な地名なのですが、読めるとかっこいいです。(政治家が読めなくて野党から批判されてたことがありました)
この問題の歴史は、第二次世界大戦から始まります。
第二次世界大戦前までは、この4島は日本固有の領土だったのですが、戦中ソ連が占領し秘密会談だったヤルタ会談で結ばれたヤルタ協定を根拠にソ連(ロシア)が領土を主張していると言うものです。
実際このヤルタ協定の存在を日本は知らず、参加もしていないとして問題化しているというかたちです。
また、この協定には“千島列島はソ連の領土”と書かれているのですが、ソ連側(ロシア側)は「北方4島は千島に入る」としており、日本側は「過去の歴史や地理的条件を見ても千島とは違う」と見解が分かれています。ちなみにアメリカは「ヤルタ協定やサンフランシスコ平和条約の千島に4島は含まない」と明言していたりします。
その他にもいくつか対立軸があるのですが、どれもお互いの見解の相違といった感じです。
日本と中国の領土問題
日本と中国の領土問題としては、尖閣諸島(中国語では魚釣島)問題があります。
この諸島は、歴史的にも国際法上も日本の固有の領土だとされていて、中国側もそれを長い間認めていました。
日本が領有を宣言したのは、1895年(明治28)までさかのぼります。その際国際法に則って明治政府が宣言を出しました。
その国際法とは、第1に先占することをあげていて、先占するためには無主、領有の意思、実効的支配となっています。
この宣言を出してから75年間もの間領有に関して異議を唱えなかったのですが、尖閣諸島周辺の海域(排他的経済水域内)に石油資源が豊富にあるということを知ってから、異議を唱えはじめた形になります。
2012年に東京都が買収しようとしましたが、中国が反発を強めることを嫌って日本国として国有化しました。
日本と韓国の領土問題
日本と韓国の領土問題は、竹島(韓国語では独島)問題です。
この島も日本固有の領土としています。
その根拠として日本政府は、①古くから「松島」とも呼ばれ、当時から国民によく知られていました。さらに、江戸時代初期には、伯耆藩(ほうきはん:鳥取県)が幕府から拝領して漁をしていたという歴史的事実②1905年2月閣議決定と島根県告示による領有の意思を確認③1905年5月には竹島周辺でアシカ漁が許可制となり、第二次世界大戦で中止されるまで続けられ、漁業関係者は毎年土地使用料を国庫に納入していたことなどを挙げています。
韓国が独立後領有権を主張して1952年に不法上陸しはじめたことが問題になり紛争が激化しました。これに対して、外務省は何度も抗議していて当時の首相も固有の領土と強調していました。
現在では、韓国が実効支配をしています。
この問題の解決策ってあるの?
このように戦後になって生じ始めたこの問題に解決策はあるのでしょうか?
このような国と国の問題が起こった際に国際司法裁判所という機関に訴えを起こすことが出来ますが、その場合両国が承認しなければ成立しないという問題があり、実際に竹島問題では訴えを起こしたものの韓国側が拒否したため成立していません。
北方領土問題では、少し話を出した日ロ平和条約を締結することで4島返還という条件もあります。
ただ、この問題に関してはお互い納得のいくかたちで進めなくてはならないだろうし、慎重に解決する必要もあると思います。
日本政府はこういった問題が生じるたびに抗議や会談をしていると言ったことも評価できると思います。
今回は最近の時事問題ではなく、長い間の時事問題をテーマに取り上げてみました。調べてみるとどれも戦後からの問題であると知り驚きましたが、どれもおろそかに出来ない大事な問題だなと痛感しました。
そして、ぼくたちも考えなくてはいけないテーマでもあるなと思いました。皆さんは、この領土問題についてどのような考えを持っていますか?
こういった政治問題に関しては「どちらでもいいや」と言うわけにはいかないなと思います。賛成でも反対でもいいし、調べた上で中立ならそれでもいいと思っています。まずは興味を持って調べていくことがこういった問題が解決するための一番の近道かもしれません。
今回の記事については下に関連ニュースの記事を貼っておくので興味がわいたら見てみてください。
今回の記事はここまでです。また来週も更新するので、「面白かったな」や「ためになったな」と思ったらまた見てもらえると嬉しいです。
<関連ニュース>
ノーベル賞は偉大な賞?
ハイチュウを買うと量を忘れて食べてしまい気付いたら無くなっているのが最近の悩みになってきた凡人るいちです。
こんな平和な悩みしかなくてもっと深刻な悩みを抱えている人からすれば、目障りな存在に違いないですね。
さて、今回のテーマは「ノーベル賞」です。
いつかは取ってみたい賞の一つにも挙げられるような超有名な賞なのですが、つい先日日本人の本庶佑氏がノーベル生理学・医学賞を受賞したことでも話題になっていますね。今週はノーベル賞ウィークなのでそういった吉報が日本にまた届くといいですね!!
では、さっそく「ノーベル賞」についてみていきましょう!
ノーベル賞の成立と受賞する方法
ノーベル賞はダイナマイトを発明したことでも知られるスウェーデン・ノルウェーの発明家・実業家のアルフレッド・ノーベルの遺言に則って1895年に創設されました。
今現在で一般的に「ノーベル賞」というと、物理学、化学、経済学、生理学・医学、文学、平和の6つを指すのですが、ノーベルの遺言には経済学賞は含まれておらずノーベル財団は経済学賞をノーベル賞ではないとしています。
また、ノーベル賞に数学賞がないのは、スウェーデンの数学者ヨースタ・ミッタク=レフラーとノーベルが仲良くなかったためと考えられていて、著名な学者たちもこのような発言をしています。
なので、数学賞がない理由としてよく話されるレフラーがノーベルの妻を奪ったというのは単なる噂話ということですね。(ノーベルは独身であったそうです)
そして気になる選考の方法なのですが、これは秘密にされていて受賞後50年で公開されるようです。
今ではクラリベイト・アナリティクス(旧トムソン・ロイター社)がクラリベイト・アナリティクス引用栄誉賞としてノーベル賞候補を選定、発表しています。
このクラリベイト・アナリティクス引用栄誉賞は、近年の論文引用数などから算出しているのですが、ノーベル賞はアカデミズムにおいて業績の評価がある程度定着してから受賞が決定されることが多いのでクラリベイト・アナリティクス引用栄誉賞が基準となるわけではないようです。
他にも様々な条件があり、受賞決定までに生存していなくてはならないことが知られているかもしれません。
また、文学賞以外は3人までの受賞が認められており、平和賞に限っては団体での受賞も出来ます。
平和賞を受賞した団体としては、ICANや国境なき医師団などがあります。
日本人のノーベル賞受賞者
では、どれくらい日本人の受賞者がいるのでしょうか?
日本国籍の受賞者は2018年10月3日までで、24名います。それに加えて日本出身の受賞者の方も3名います。日本出身の方で最近受賞したのは、文学賞を受賞したカズオイシグロ氏がいます。
内訳(日本出身の方)は物理学賞9(2)名、化学賞7名、生理学・医学賞5名、文学賞2(1)名、平和賞1名です。
日本では、現在までで経済学賞を受賞された方がいないので、もしかしたら日本初の経済学賞受賞者になれるかもしれないですね。
ノーベル賞を初めて日本人で受賞されたのは、1949年の湯川秀樹氏(物理学賞)で中間子の存在が評価されています。そこから約70年経ち2018年に本庶佑氏(生理学・医学賞)とつながっています。
それぞれの賞の初受賞者の方は、物理学賞が湯川秀樹氏、化学賞が福井謙一氏(1981)、生理学・医学賞が利根川進氏(1987)、文学賞が川端康成氏(1968)、平和賞が佐藤栄作氏(1974)となっています。
大学別に見ると1位はやはり東京大学、2位には名古屋大学と京都大学が続いています。
ノーベル賞以外の賞って何があるの?
ノーベル賞は言わずもがな世界で有名な賞なのですが、他にどんな賞があるかは意外と知られていません。
ノーベル賞以外にもいろいろな分野で有名な賞がたくさんあります。聞いたことのある賞もあるかもしれません。
物理学、化学、生理学・医学はノーベル賞が最高賞とされていますが、ほかの賞はどうなのでしょうか?
数学はフィールズ賞という賞が最高賞として存在しています。日本人で受賞された方もいます。
経済学はノーベル賞も最高賞の一つなのですが、ジョン・ベイツ・クラーク賞というものもあります。国籍に縛られる賞などもありどれが一番か決めがたいです。ただ、このジョン・ベイツ・クラーク賞はアメリカの経済学者にとってはノーベル賞よりも受賞が難しいと言われたりしているそうです。
文学はブッカー賞、ゴンクール賞、ピューリッツァー賞というものがあります。国ごとにあったりするのですが、その国の言葉で書かれたものが対象になる賞もあるようです。
学問から離れてみると、映画のアカデミー賞、音楽のグラミー賞、演劇のトニー賞、多部門にわたるイグ・ノーベル賞やウルフ賞、TV番組のエミー賞といったものもあります。
有名なマイケルジャクソンはアカデミー賞のオスカー像がほしくてネットオークションで落札したものの規定に反し没収されたという逸話も残っているほどです。
そして、今度は国内に目を向けてみましょう。一番知られているのは芥川賞や直木賞でしょうか。他にもスポーツや学問に与えられる賞は多く存在していました。
今回は「ノーベル賞」について書いてきましたが、やはりそういった賞は受賞してみたいものですね…ちなみに、ノーベル賞の賞金は日本では非課税になるのですが、経済学賞だけは課税対象のようです。
今後ますますの日本の学問の発展があるといいなと思います。
ということで、今回の記事はここまでです。また来週お願いします!