凡人るいちの徒然ばなし

徒然なるままに書いていこうと思います。ぼくの考えたことを多めに時事問題と絡めてお届けしようと思います。参考になるかも知れないし、ならないかも知れない。けど、ぼくへの見方は変わるかも知れない。

別れとその後

お久しぶりです。凡人るいちです。

先週1週間お休みをいただいていました…というのも、その前にお話しした「仕事」がめちゃくちゃ忙しくなってしまい、帰ったらすぐ寝る生活になっていたためです。

仕事と趣味のバランスも大事ですね…

今回はこの時期ならではの話題と言うことで、「別れ」ということについて考えていきたいと思います!!

皆さんは「別れ」を経験したことはありますか?ぼくはそこそこにあるんじゃないかなと思います。(まだ、恋人との別れはないですが…)

悲しい出来事の「別れ」も少しでも前向きにとらえられるように書いていこうと思います。

「別れ」を経験したばかりの人、「別れ」が怖い人、「別れ」はないと思っている人…その他いろいろな人に読んでもらえたら良いなと思います。

別れを分かれ

「別れ」と聞くとかなり悲しいイメージがあると思います。それがどういった内容のものかに限らずです。

では、その考え方から脱走してみて、いい方に捉えてみようと思います。

「別れ」の反対の言葉は「出会い」です。

人生では「別れ」よりも「出会い」の方が多くあります。そして、それはだいたいの場合で同じタイミングで起こります。(「別れ」と「出会い」が同時にきたり、「出会い」が同時にたくさん起こったり、「別れ」がたくさん起こったり…)

だからこそ、「別れ」には価値があると思っています。

数が少ないものにはだいたい価値があるものです。

「別れ」は数が少ないからこそ、それが大きな経験になっていきます。そして、心に大きな影響を残していきます。

「別れ」を乗り越えて人は大きく成長できる。また、今までの「出会い」が本当にいいものだったから「別れ」がつらい。

ぼくはこう思っています。

もし皆さんの中に「別れがつらい…」と思っている人がいれば、それが本当に良い「出会い」だったことの裏返しです。

そんな「良い出会い」をした相手とは、またどこかで不思議な縁の元つながっていくことができます。必ずです。

大変かもしれませんが、まずは「別れ」を忘れて、次の「良い出会い」につなげていってください。

人生で大きな出来事でもある「別れ」を乗り越えた人ならもっと人生がハッピーになるはずです。そして、ラッキーも起こるはずです。

こんなのがぼくの「別れ観」ですが、仏教用語に「愛別離苦」という言葉があります。「愛する人との別れることの苦しさ」という意味です。

「別れ」があることは苦しみの1つです。でも、これは避けられないことでもあります。

だからこそ、ぼくは楽しんでほしいし、乗り越えてほしいです。また、避けないでほしいなと思います。

ぼくには「別れ」が結果として良い方向になったことがあります。それが、「故郷との別れ」です。

違う環境に身を置くことで違いを知れました。そして、どちらも好きになりました。

皆さんにこんな「良い別れ」があることを祈っています!!

 

最後にもう一つ。「別れ」には「分かれ」という同音異義語があります。

「分かれ」は「相手を分かれ。相手が分かれ。別れを分かれ。」ということだ。

こんな意味にぼくは解釈しています。

相手を分かったからこそつらい。相手が分かったからこそ悲しい。別れを分かったからこそ経験したくなくなる。

それが「別れ」の本質だと思います。

 

今回の記事はここまでです。書いていて涙が出そうになりました。

ぼくも「良い出会い」ができたんだな…とそう実感できました。

「別れ」を経験して本当に大切なものを見つけることもあります。

『大切なものはいつだってなくなってからわかるものだ。』

今回の記事が多くの人に届いたら良いなと思っています。

それではまた会いましょう!!次回更新は明日です!!

 

このブログでは様々な意見を募集しています。ぜひ下の質問箱に書いていってください。

[https://twitter.com/1105Monkey/status/1103931051221504002:embed#るいち ゆうや≒ブラウニーの質問箱です最近回答した質問 → 「質問箱の回答いつも楽しんでます!回答の総集編的な記事が...」https://t.co/sBLYzAnP8F

自由と幸福の関係

どうもいつも見て頂いてありがとうございます!!

最近どことなく楽しくなってきたな〜と思ってきている凡人るいちです。
「気の持ちようだろ」という方がいるとは思いますが、ぼくに会えば分かると思います。本当に心の底から楽しくなってきたなと思っています笑
このブログもそうですが、人生含めて分からないことに挑戦するってワクワクがとまらないですよね笑
まぁ、こんな話は置いておいて、今回のテーマですが「自由と幸福」です。題名通りです笑
それではどんどん進めて参りましょう!!

自由って何?

「自由とは何か?」

と聞かれて即答できる人はなかなかいないのではないかなと思います。

その理由が「そこにあるから」です。

当たり前のものって知らず知らずのうちに考えることをやめていってしまうものだと思っています。そのひとつが「自由」です。

そもそもですが、「自由」という言葉があるのがおかしいんですよね…

それはなぜか。名前がつくということは、それが“特定”しなければならいものだからです。

ぼくたち人間にはひとりひとり固有の名前があると思います。おそらくですが、名前のない人って多くはいないのではないでしょうか?

それはひとつひとつ定義する必要があるからです。

たとえば、ぼくで言えば、「出身は○○の、△△の経験をした、××才の、るいち」でひとりに絞られると思います。(もともと珍しい名前なので、もっと簡単に定義できますが…)

「自由」も同じです。定義しなければいけない状態だから定義する。つまり、「自由ではない状態がある」から「自由な状態がある」ことを定義するということです。

だから「自由」という言葉が存在するし、その定義を聞かれるんです。

でも、今は「自由」であることが当たり前になっているし、答えられないと言うことです。

では逆にこう聞かれたらどうですか?

「不自由とはなんですか?」

これなら答えられると思います。たとえば、「時間で制限されること」「お金で制限されること」「年齢で制限されること」「性別で制限されること」「愛の対象で制限されること」などなどたくさん出てくると思います。

なるほど。「不自由」なら分かるんです。では、少し数学の手法を取り入れて「自由」を考えてみましょうか…

「その命題が真なら、その対偶も真である」という法則があります。対偶とは、どちらも否定して順番を入れ替えることです。

この手法を用いて見てみましょう。

「時間で制限されるなら不自由だ」→「不自由でないなら時間で制限されない」

「お金で制限されるなら不自由だ」→「不自由でないならお金で制限されない」

こんな感じですかね。

出した対偶が二重否定なのでわかりにくいので元に戻します。

「自由なら時間で制限されない」と「自由ならお金で制限されない」という感じです。

だいぶ「自由」が定義できてきましたね。つまりはこういう事です。

「不便なことから不便ではないことを考え出す。」ということが発想法の秘訣です。

さて、ここまで読んでくれた皆さんならもう「自由とは何か?」と聞かれても即答できますね。

ということで、次の話にうつっていきましょう!!

幸福とは…?

皆さんは幸せですか?

ぼくは先にも言いましたが、幸せです。特に何もないけど、幸せです。

ここから話していく「幸福」はおおざっぱに言えば“概念”です。

なので、人によって違うのが当たり前です。ただ、ここから皆さんにはあえて「不自由」なルールをつけます。

それは、「人の幸福を馬鹿にしないこと」です。簡単ですよね。これから内容にはいっていくに当たって、これだけは守ってください。

人には人の「幸福」があります。それは本当に差があります。

ぼくは「人の前で話せること」を幸せに感じてますし、ある人は「世界が笑顔になること」を幸せに感じているかもしれません。

でも、同じ幸せです。それに数値などはないです。マイナスはあるかもしれませんが、プラスの数値はないと思います。

だから、「幸福」には「馬鹿にできるもの」が存在しません。

皆さんが「幸福」だと思うこと。それ自体が「自由」でもあります。

少し次の話に入ってしまいましたが、最後はそのことについて話していきます。

自由と幸福の関係

ここまで「自由」と「幸福」の2つを見ていきましたが、これって関連はあるのか?というのがここからの話です。

端的に言ってしまうと、あると思います。ぼくは研究をしたわけではないですが、関係はしていると思います。

それはなぜか。「自由だから幸福を感じる」ためです。また、「幸福だから自由を感じる」ためです。

なにかを「自由」に考えられるから「幸福」も感じられるし、「幸福」があるから「自由」も感じられる。というわけです。

あくまでもぼくの意見です。違いがあって当然だと思います。反論だって求めています。

最後にぼくのはなしをしましょう。

ぼくは最初に「楽しい」と言いました。ここでは読み替えて「幸福だ」と捉えてもらってOKです。

その理由は、「人前で話せるから」というのもありますが、大きいのは「幸福のレベルを下げているから」というのがあります。意図的に下げています。

楽しく生きたいから、幸福は自分の近くにあるものに設定しました。

幸せでいたいから、今だけを見ることにしました。

そしたら、なんだか楽しくなってきました。(実は声に出したりもしています笑)

怖いですか?でも、幸せって伝播するんじゃないかなと思っています。(というか、感情すべてがそうだと思います)

だから、せめて外にいるときは「幸福」でいたい!!と思っています。

これがぼくの生き方でもあり、「自由と幸福論」でもあります。参考になったら嬉しいですね。

 

↓意見質問があれば書いていってください。必ず答えます。

 

今回の記事はここまでです!ちょっと浅いですね…

皆さんの「自由」を奪ったからもう少し深くても良いかなとは思ったんですが…

ぼくの言葉ではないですが、金言を2つ載せておきましょう。

「幸せはいつだって足下に転がっている。遠くを見すぎているとその幸せにも気付かなくなる」

「自由を行使しなかったものが後悔する。安定を求め、他と一緒を求めた結果だ。」

そして最後にぼくからの言葉で締めます。

「自由を手にするのはいつだって自分だし、幸福を手に入れるのだっていつだって自分だ。問題はその方法だけである。あなた方はこの2つについて何を考え、行動するのか。」

それでは、また水曜日に会いましょう!!

働くことと生きること

どうも、凡人るいちです。

昨日は午後の投稿できなくて申し訳なかったです…

本当に5連勤終わりで疲れて書けなかったです…

ということで、今回の記事は“仕事”についてです。

ぼく自体そこまで社会に出て仕事をしたことがないのでかなり的外れなものになってしまうかもしれないです。

ただ、普通の大学生よりもいろいろな種類のアルバイトはしていると思っています。チラシ配りや郵便局での仕分け、塾講師、家庭教師、子どもの家での交流が今まで経験したものですかね。ただ、これは一つのバイトが長く続けられないということではないです。いろいろな経験とか場所とかを見てみたかったので、短期や中期でやっていたものです。

ところで、皆さんは働くことが好きですか?ぼくは出来れば働きたくないと思っています。いつぞやの記事で働かなくてもお金が稼げる(?)話をしましたが、本当はそっちのほうが良いです。

ということで、そんな働きたくないけどいろいろな場所でアルバイトをしているぼくが考える“仕事”とそれがはらむ問題を見ていきましょう。

仕事に関わる問題

仕事について起こる問題といって考えられるものはたくさんあると思います。

少し前の記事でも“バイトテロ”の事について触れていますが、その他にもいろいろ存在しています。

ここからはそんな仕事に関する問題について少しでも知ってもらい、どうしたらいいのかとかを考えていただけたらな…と思っています。

労働問題としては、ウィキペディアに関連する記事だけで126あります。(個別の事件を含みます)

その中でも主要なものを取り上げていきたいと思います。

強制労働:自分の意思によるものでなく、他者に強要されることによってする労働。労働酷使のような意味で使われることが多い。しばしば奴隷的な拘束・待遇をともなう。

労働災害:労働者の就業に係る建設物、設備、原材料、ガス、蒸気、粉塵、作業行動その他業務に起因して、労働者が負傷・疾病・死亡することをいう。

失業:仕事を失うことおよび働く意思も能力もあるのに仕事に就けない状態を指す。

ハラスメント:他社に対する発言・行動等が本人の意図には関係なく、相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えること

ブラック企業:「新興産業において若者を大量に採用し、過重労働・違法労働・パワハラによって使いつぶし、次々と離職に追い込む成長大企業」のこと

正規雇用:有期労働契約である「パートタイマー」「アルバイト」「契約社員」「派遣社員」と呼ばれる従業員の雇用形態など「正規雇用」以外の有期雇用をいう。

 

こんな感じでいくらかの定義を紹介したわけですが、少し難しいですよね…

これよりももっと多くのことが社会では起こっています。でも知らないと何もできないし、知っていても何もできないんです。

対策法としては、各自治体にある労働基準監督署に相談することや労働組合に入ること、そして「やばい」と思ったらすぐにやめることがあります。

これから話していくぼくの仕事観についてで詳しく見ていきましょう。

仕事について思うこと

ぼくは先にもいいましたが、いくつかの仕事を経験しています。その中には恵まれた環境のものもあれば、そうでないものもありました。

だからこそ分かることもあります。「難しい環境におかれているから成長するんだ」という人もいますが、そんなことないです。

そんなところで成長するならば、もっといい環境ならもっと成長するに決まっています。だから早くやめてしまったらいいんです。

人生の時間はおおよそ決まっていて、それを有効に使わないと持っているものを活かせず死ぬことになります。

持っているものを活かすことが最も楽しいことではないかとぼくは思っています。その逆に持っているものを使えないことが最も苦しいことだとも思っています。

置かれた場所で咲くことが素晴らしいことではなく、能力を活かすことが素晴らしいんです。

という感じで語ってきましたが、ぼくは仕事に対して自分でルールを作っています。それを少し紹介していきたいと思います。

・与えられたことは最低限達成すること。できれば、それより上を目指すこと。

・やれることだけやること。それ以上に手を出さずできるまで待つこと。

・反復して体に覚えさせること。そして、より効率を求めること。

・自分の時間・体を商品にしていることを忘れないこと。

こんな感じですかね。もっともっと多いルールを作っているのですが、割と簡単そうなものを選んでいます。

ぼくは多くの仕事に関与してきて、「楽しくないのなら、楽しめる方法を探そう」ということを考えています。

皆さんも考えてみてはいかがでしょうか?

もしかしたら、就活のときに企業選びが楽になるかもしれませんね!!

 

今回の記事はここまでです!!少し内容が薄くて申し訳ないです…

皆さんも今日から仕事について考えてみると人生を幸せにできるかもですね!!

それではまた土日に会いましょう!!

↓質問箱に感想や質問を書いてもらえると励みになります。

〈参考サイト〉

https://ja.wikipedia.org/wiki/強制労働

https://ja.wikipedia.org/wiki/労働災害

https://ja.wikipedia.org/wiki/失業

https://ja.wikipedia.org/wiki/ブラック企業

https://ja.wikipedia.org/wiki/非正規雇用

https://www.osaka-med.ac.jp/deps/jinji/harassment/definition.htm

〈参考ニュース〉

headlines.yahoo.co.jp

headlines.yahoo.co.jp

headlines.yahoo.co.jp

 

 

未来の話と過去の話

どうもこんにちは!凡人るいちです。

土日に更新しようと思っていたのですが、思った以上に忙しくてダメでした…

なので、今回は初めての水曜2本立てでいこうと思います!!

午前の部はるいち哲学の記事で、午後の部は時事問題の記事です!

前振りが長くなってしまったのですが、早速本編いきましょう!!

未来の話

昨日おとといと国立大学の前期2次試験がありましたね。皆さん来週の発表までドキドキしていることと思います。

そして、大学生は成績発表がありますね…

こういった話をしているときって、割と不安や緊張を感じているのではないのでしょうか?

ぼくも実はそういうタイプです。行く前の飲み会がすごく憂鬱だったり、決まらないものが怖かったりといろいろあります。

でも「なんでなだろうな?」って考えたりしませんか?

ぼくなりの答えは「まだわからない」です。

考えるのを決して諦めてしまったわけではないです。でも「まだわからない」んです。

分かっていることなら、ドキドキしながらまったり、いやになったりすることはないはずです。

あたりが決まっていると知っている宝くじに外れる覚悟で挑む人間はいないと思います。

けど、分からない未来のことを不安に思って今を浪費してしまうのはもったいないですよね…

だから、「まだわからない」と割り切って諦めて今やりたいことをやってしまいましょう!!気付いたら不安なんか忘れていると思いますよ!!

 

過去の話

それでは次に過去のことについて話していきましょう!!

皆さんいやなこととか1度は経験してきたと思います。それを思い出してはイライラしてものに当たってしまったりして、さらに後悔してしまうことがあるのではないでしょうか?

ぼくはこれを「ネガティブサイクル」と考えています。

悪いことではないんですよ…?でも、決まった時間しかない人生で時間はいくら後悔したって戻ってきてくれるわけではないです。

だったらこう考えてみませんか?「ラッキー!!」って。

「こっちはつらいこと経験してるんだぞ?調子乗るなよ!!」という声が画面から聞こえてきそうですが、理由があるので聞いていってください。

経験はミルフィーユみたいになっていると思います。つまり、いいことも悪いことも含めて人間は成長をしていくんです。

良いことしかなかった人生よりもつらいことを経験している人生の方が面白いと思いませんか?

甘すぎるスイーツはすぐに飽きてしまいますが、ほどよいアクセントが効いたスイーツは手が止まらなくなってしまうと思います。

人生も同じです。人生にいい調味料が加えられたと思ったらいいと思います。

とはいっても、人間は悪いことは頭に残りやすいし楽しいことは忘れてしまうという生物です。

だからこそ、自分の過去をいいものと思って付き合っていったら、全部忘れられると思います。

 

だったら、るいちはどうなのさ?の話

最後に、「こういう話をしているるいちはどうなんだ?」という事を話しましょう。

正直言うとぼくもまだ上手くできていないです。でも、段々とつらいことを忘れてきてきましたし、未来のことを楽しむ余裕も出てきました。

そして、なにより今がやりたいことが多くてとても楽しいです。

もともとストレス耐性が強い(Mな訳ではないですよ?)性格なので、気にしていないだけなのかもしれませんが…笑

今日の楽しみを見つけて生きていくということです。自分の人生に代わりはいないので。

とりあえず前向きに考えてみたら、いいことが次々と起こるようになっていくのではないのでしょうか?

ぼくは今、とても充実した日々を送っています。実践例としてはしょぼいかもですが、皆さんも幸せになっていってほしいなと思います。

 

午前の部はここまでです!今回は早い時間に出すので今日の楽しいことを思い浮かべて生きてほしいのでこのテーマにしてみました!

生きるヒントは見つかったでしょうか?

正真正銘の最後にある言葉を贈りますね。

「遠くにあるものを見過ぎて、近くにあるものを見失うな。人生にとって本当の幸福はいつだって近くにあって気付かないものだ。」

それではまた午後の部出会いましょう!!

虐待と体罰とそれから…

昨日は急に飲みに行くことになってしまいあげることができませんでした…申し訳ないです…

今日も今日とてこんな遅い時間になってしまったんですが…

ということで今回も凡人るいちがお送りしていきます!!

今日のテーマは“虐待と体罰”です。時間がぎりぎりなのに2本立てで書いていく感じが少し頭が悪いんですが、この2つは個人的に関連させて書きたいので少し長くなってしまったらごめんなさい…

それではいきましょう!!

虐待って何?

最近よく耳にする虐待という言葉ですが、どこからが虐待になるとかって意外と知られていないのではないかなと思います。

厚生労働省では、児童虐待の定義として身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、心理的虐待の4つをあげています。

それぞれの内容ですが、

身体的虐待:殴る、蹴る、投げ落とす、激しく揺さぶる、やけどを負わせる、溺れさせる、首を絞める、縄などにより一室に拘束する など

性的虐待:子どもへの性的行為、性的行為を見せる、性器を触るまたは触らせる、ポルノグラフィの被写体にする など

ネグレクト:家に閉じ込める、食事を与えない、ひどく不潔にする、自動車の中に放置する、重い病気になっても病院に連れて行かない など

心理的虐待:言葉による脅し、無視、きょうだい間での差別的扱い、ドメスティックバイオレンス など

というようになっています。

どれか1つでも当てはまったら虐待ということだと思って良いと思います。

どれも大人がやるには本当にくだらないこと(他の表現が見当たらなかったです…)だとは思いますが、責任のない大人(ACはチャイルドペアレントという表現を使っていました)が本当に増えていると思います。

この後話したいことは毎週見ていただいている方なら分かると思いますが、一通り終わったら話します。

 

体罰って何?

こちらは学校現場で多いものだとは思うので、定義は文部科学省が行なっています。

それによると、体罰と懲戒と正当な行為の3つに分けられるとしています。

体罰は肉体的心理的に苦痛を伴うもので、懲戒は肉体的苦痛を伴わない懲戒権の範囲だと考えられるもの正当な行為は正当防衛と考えられるものという感じです。

具体的には、

体罰:体育の授業中に危険な行為をした児童の背中を足で踏みつける、帰りの会で足をぶらぶらさせて座り、前の児童に足を当てた児童を突き飛ばして転倒させる など

懲戒:放課後等に教室に残留させる、授業中に教室内に起立させる、学習課題や清掃活動を課す など

正当な行為:生徒からの暴力行為に対して、防衛のためにやむを得ずした有形力の行使 など

という感じです。

学校現場において全権を持っているのは基本的には教師ですが、権力というのは正しく使ってこそ効果があるものです。

3つのうち2つは正しい権力の使い方になっていると思います。

教員は学校の治安を守る最後の砦でもあります。生徒たちには正しい行いで指導していってもらいたいですね。背中で見せる教育というかなんというか…

 

虐待と体罰と教育

凡人るいちといえば、最後はここに行き着くでおなじみの“教育”です。だいたいこの分野が基盤になっているからですが…

虐待も体罰も主体者(している側)からすれば“教育”だと思っているし、客観的に見れば“教育”ではないと思うし…の水掛け論だと思います。

この感じって実は“いじめ”も同じだと思っていて、言い換えるなら「生徒観による体罰」という感じでしょうか。

ぼくからすれば“教育”ではないと思うというのが本音です。本来、教育とは弱い立場にあるものを教え導くものだと思います。親や教師といった強い立場の人間が弱い立場の人間を痛めつけるなどあっていいわけがないです。

ということで、ぼくの主張は「教育学を大学の必修科目にするべき」というものです。人生長い目で見れば、50年くらいは誰かが下にいる期間があるわけです。教育を間違えて学んできた人間に教育されるなんていうことが子どもや下にいる人にとって最も不幸なことだと思います。

そんなことを少しでも少なくするためにも、基本的な“教養としての教育学”は学んでおいてほしいなと思います。

最後に最近よく「最近の子どもが甘ったれているんだ。」「俺が子どもの頃は当たり前だった。」みたいな話を聞くんですが、そんな訳ねぇだろと。

少し厳しい言葉ですが、ぼくから言わせれば「お前らみたいなやつがいるから、社会は腐っていってるんだろ」という感じです。

確かに最近の子どもはメンタルが弱いと思います。そこは否定しません。だけど、メンタルを鍛えることをまだ経験していないだけです。だからメンタルが弱いんです。もしくは、緊張を感じないほどの緊張に襲われているかです。

学んでいないのにできる子どもなんてアニメの世界でしか見たことがありません。何かを経験してようやく強くなっていくんです。

そして、その経験の場は家庭と学校と地域です。暴力以外の方法でそれを教えてあげて下さい。

「最近の子どもは~」といっている人はすごい不幸な環境に生まれているんですね…だけど、それを変えようとしなかった自分自身が最も「甘ったれている」ということもまた真理です。

全国の若者よ立ち上がれ…!未来はすぐにでも変えられる!!

と最近20になったばかりの一大学生が言っています笑

 

皆さん教育について少し興味はわきましたか?そして、虐待や体罰というものについて少しでもしれたでしょうか?

本文よりも最後の方が熱くなっているのが最近の傾向だなと思って反省しています笑

これだけはいっておきたいですが。ぼくは「好きなことだから頑張れる」んです。人の前で話すことや教えることが好きだからこそこういう場を作っています。

不特定多数に届ける難しさもありますが、皆さんが社会についての目線が変われば嬉しいです。

昨日は更新しないで申し訳なかったです!!今後は毎週定期更新できるようにしていくので見捨てないでください!

それではまた週末会いましょう!!

↓感想や質問があれば受け付けています。もしかしたら記事になるかも…

〈参考サイト〉

児童虐待の定義と現状|厚生労働省

www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1331908.htm(学校教育法11条)

〈参考ニュース〉

headlines.yahoo.co.jp

headlines.yahoo.co.jp

headlines.yahoo.co.jp

headlines.yahoo.co.jp

 

 

恋愛って何だろうね?

最後に残っていたレポートも終わらせて、残りの2ヶ月はいろんな事を学んでいこうと思っている凡人るいちです。

ようやく春休みがきたというのに勉強したいことがたくさんあって時間が足りないぃぃと思っているんです…笑

こういったブログを書くことや話などで深くしていくためには、話す時間の2~3倍の時間は必要だなって思っているので、こうした長期休暇は情報収集にいそしまないと間に合わなくなってしまうんですよね…

皆さんも学生時代に「あの先生は何であんなに話せるんだろう?」と思ったことがあると思いますが、50分話すためには2時間~3時間の予習が必要なわけです…

こう考えてみると、120分の講義(2単位)に対して4時間の予習が必要な理由が分かるのではないでしょうか…?まぁ、そんなにやらないんですけどね…

ぼくの話はここまでにしておいて、今回のテーマは「恋愛」についてです。

人類一生のテーマを15分で読めるようにまとめていくというとんでもないことをしている気がするのですが、頑張ってわかりやすくまとめていきます笑

というより、るいち哲学のコーナーなので「分かってくれ!!」と思うわけですが…

それではようやく本題に入っていきましょう!!

恋愛について

おおざっぱに今回はこの1つで終わらせます。(あんまりいい小テーマが見つからなかったです…)

皆さんは恋愛をしたことがありますか?ぼくは分からないです…

だいたいの人が大学生ぐらいだと思うので、好きな人の1人や2人くらいいたことがあるのではないでしょうか?

ぼくの質問箱に来る質問も恋愛関係か生態調査かなので、やっぱり悩んでいる人が多いのかもしれません…

この「恋愛」という言葉は「恋」と「愛」に分けることができます。見たまんまです。

「恋」とは大辞林先生によると「特定の異性に強く惹かれ、会いたい、独り占めにしたい、一緒になりたいと思う気持ち」新明解国語辞典先生によると「特定の異性に深い愛情をいだき、その存在が身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感によって心が高揚する一方、破局を恐れて不安と焦燥に駆られる心的状態」とあります。

どっちも難しいこと言ってるんですが、簡単に言えば「ある人と一緒にいたい強い気持ち」ということでいいんじゃないでしょうか…

ぼく的には大辞林先生とは逆で「ある人に見せびらかしたい強い気持ち」だと考えています。(はい、そうです。町中でいちゃつくカップルに言っております笑)こちらもわかりやすくすれば、「SNSでいいねしてもらいたい!!」ということと大差ない感情だと思っています。 

じゃあ、「愛」はどうなのよ…ということですよね。

大辞林先生は「対象をかけがえないものと認めそれに引き付けられる心の動き。また、その気持ちの表れ。」といっています。新明解国語辞典先生によると「個人の立場や利害にとらわれず、広く身のまわりのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重していきたいと願う、人間に本来備わっているととらえられる心情。」とあります。

まとめると「めっちゃ大事な存在!!」ということです。

なるほどです。つまり、「恋」は「オンリーワンの存在にする」ということで、「愛」は「ナンバーワンの存在にする」ということですか…

これは納得がいく方も多いのではないでしょうか?ぼくはこの説明でだいぶしっくりきているような気がします。また明日になれば違うこと考えるかもですがね…笑

そして「恋愛」とは「恋」から始まって「愛」になるということですね。その逆は起こりえないと。しかし、途中で他の「オンリーワン」が現れる事もあると。

辞書先生は考えていることが違いますね。ぼくは新明解国語辞典先生の方が情熱的な感じが伝わってきて好きですね~(皆さんはどっち派ですか?)

ちなみにぼくの恋愛観は「お互いの距離感」だと思っています。

これですね。

もっと言ってしまうと、「遠くから見ていたい」のが「恋」で、「近くにおいておきたい」のが「愛」という感じですかね…

まぁ、これだと「恋愛」は成立しなさそうなんですがね…笑

今回は宗教的な「愛」は考えませんでした!理由は考えると大変だから!そして、わかりにくいから!あと、分からないから!

皆さんの恋愛観はどんな感じですか?もしかしたら、意中の相手の恋愛観を知ることが恋愛への近道なのかもしれませんね。

ついこの間のイベントについて

締めようと思ったけどまだありました!書きたいこと!!

この前の木曜日!!仏滅ですよ!!そうじゃなくて「煮干しの日」ですよ!!違うこれでもなくて「バレンタインデー」ですよ!!

あれ訳分からんくないですか!?

なんで一年の感謝をまとめてしようと思うんですかね…大学生のレポートみたいですよね。

その都度感謝を述べておけば面倒なことにならないのになぁって思うわけです。

大切な人に気持ちを伝えるのだっていつでも良いんじゃないかなって思うんですよ!

この間の嵐みたいな事もありますし、「推しは推せるときに推しとけ」ということですね。

この話題してるのは、もらえなかったからじゃないですからね!?ぼくは全世界が「バレンタインデー」やってるときに、「煮干しの日」を満喫してましたから!

だってほかの「○○の日」にその○○送りますか!?送らないじゃないですか!送るんだったら、2/22にはぼくに猫を送ってください!!チョコも煮干しもいらないから…

 

ということで、見苦しくなってきたのでここらで締めといきましょう!

皆さんの恋愛観を変えることもしくは作ることができましたかね?下に質問箱のリンクを貼っておくので、そこに意見を書いてくれたら嬉しいです!!

最後にもう1回伝えておきますが、別に妬み嫉みがあってこの記事書いたわけではないですからね!ちゃんと書きたいなぁって思ったから書いたんですよ!

まぁ、何事もできるうちにやっておきましょう…レポートも恋愛もチョコを渡すのもね

それではまた水曜日にお会いしましょう!!

善と悪の区別の話

最近春休みに入ったことで昼頃まで寝ている生活をしていたところ、寝ても寝ても寝たりなくなってきてしまった、凡人るいちです。

前にもこんな感じの挨拶をした気がするんですけど…気のせいかな?

割と忙しいはずなんですけど、そういう環境に身を置いておかないと堕落した人間になりますよね…

さて、今回のテーマは「善悪」です。

初見哲学っぽいんですけど今回は“バイトテロ”からこの「善悪」を考えていきましょう!!

それでは早速本題です!!

バイトテロって何?

最近連日のように話題に挙がっているバイトテロですが、こちらは「そこで働く店員が起こした不祥事・不適切行動」が大まかな定義となっています。

なぜこういったことが分かるようになってきたかというと、SNSの普及により投稿が簡単になったことがあげられると思います。

詳細な定義としては、個人のブログ・twitterfacebookなどのSNSにおける不適切な発言や行動に対する炎上というものになっています。

最近ではinstagramのストーリー機能を使ったものが増えてきています。(これに関してはこの1週間で起きすぎなんですけどね…)

ここでどういった事例があったのか紹介していきましょう。

見ているだけでもあほだなぁと思うばかりでした…

・2013年7月コンビニ店員がアイスケースに入った写真をfacebookに投稿

・2013年7月コンビニ店員がプロスポーツ選手来店時の防犯カメラ映像をtwitterに投稿

・2013年8月ファミレス店員が冷蔵庫に入った写真をtwitterに投稿

・2013年8月蕎麦屋店員が食洗機や冷蔵庫に入った写真をtwitterに投稿

・2013年8月ピザ屋店員が顔に生地を貼り付けた写真をtwitterに投稿

・2019年2月寿司チェーン店員が魚をゴミ箱に捨て、その後まな板で捌いた動画をinstagramのストーリー機能に投稿→第3者の手によってtwitterに投稿

・2019年2月カラオケチェーン店員が肉を床にこすりつけた後、調理する動画をinstagramのストーリー機能に投稿→第3者の手によってtwitterに投稿

・2019年2月コンビニ店員がおでんの白滝を口に含みはき出す動画をinstagramのストーリー機能に投稿→第3者の手によってtwitterに投稿

他にもまだまだあるとは思いますけどこれ以上やったら、ぼくの手が逝ってしまいそうになるので今回はこのぐらいにしておいてあげましょう。

これだけの数が起こっているだけでもびっくりですが、これらすべては“店員”が起こしたものです。つまり、客が起こしたものも含めるともっと多い数になるよということですね…

 

どんな罰があるの?

目に見える悪い事をしているんだから刑罰や民事罰がかせられることになります。

これを知っててやっているのかというと分からないですが(というか、刑事罰を知らないかもしれない)、皆さんは少なくとも罰については知っておいた方がいいと思いますので出しておきます。

ただ、あくまでもここで出すのは「刑の名前」と「罰の重さ」だけです。

何がこれに当たるのかは、自分で調べてください。面倒だからではなく、調べて知ることでこういったことがなくなると思っているからです。

刑事罰では「信用毀損罪・業務妨害罪(3年以下の懲役または50万円以下の罰金)」「器物損壊罪(3年以下の懲役または30万円以下の罰金もしくは科料)」食品衛生法違反(当該店舗に対する業務停止等)」があります。

民事罰では、損害賠償請求、解雇、違約金、その他従業員の給与などがあります。

これを重いか軽いかどちらと取るかは皆さん次第ですが、さらに社会的制裁があると考えてください。もしかしたら、一生働けないかもしれないし外に出ることすら許されなくなるかもしれません。そして、家族や親戚にまで影響が及ぶこともあります。

 

何で起こってしまうの?

ここからはぼくの持論になります。

起こる理由は「情報機器の急激な普及」だと考えています。

「何を当然なことを言っているんだ!」と思われるかもしれません。(そして、そのままブラウザバックする人も…)ただ、ここで言いたいのは、「それにともなう教育ができていないんじゃないの?」ということです。

学校教育ももちろんですが、家庭での教育も含んでいます。

今教師をやっている人、親の世代のほとんどは、子ども時代に携帯を持っているなんて事なかった人たちです。そもそもなかったわけですが、必要がなかったということでもあります。

でも、子どもたちはその携帯を持っている。というわけです。

人間誰だって、経験したことがないことを教えろと言われても無理があります。ぼくだって炎上していなければ、こういったことを教えられるようにならなかったです。

だから、教える側は「なんとなくこれはダメ」というのを知っていても、「これをすればいい」ということは知らないんです。もちろん子どもは「これをしてもいい」ということは教わらないので、何でもしてしまうということになります。

この話は前にしたことでもあるので、これ以上は掘り下げないですが、教育の問題もあると思います。

そして、もうひとつあります。それは、見ている側の人間たちです。

これには、ぼくだって入りますし、この記事を見ている皆さんも、twitterで拡散した人たちも入ります。(もちろん撮った人も)

間違いなく投稿した人が悪いんです。でも、それを10万超える人が一斉にたたいたら、それはもうれっきとした「いじめ」です。世の中にはいじめをしたことがないと思っていてもこういったかたちで知らず知らずに加担している場合が多々あります。

投稿する前に止めてあげてください。そして、拡散する前に自分は何をするべきか考えてみてください。

その答えはきっとその行動をすることではないと思います。もっとネットに対して、そして世界に対して疑いの念を向けてください。その画面の向こうには人がいて、そこは公園や道と何ら変わらない場所なんです。

これを見てまたネットに対する見方が変わったら良いなと思っています。

 

今回の記事はここまでです!

珍しく最後は熱く語ってしまいましたが、ネットと距離は置いても、このブログとぼくからは距離を取らないでくださいね笑

皆さんのネットに対する考えなど質問箱に寄せていただいたら、勉強になります。良かったらお願いします。

それと、先週の記事なんですが割と人気だったので定期的にやっていこうと思います。また、春休みに入っているので毎週2回投稿にしていきたいなと考えています。

おそらく土日になると思いますが、そちらでは「るいち哲学」と「質問箱企画」とかを考えています。あと、限定の企画とかやるかもしれないです。

ということで、またお会いしましょう!!

〈参考サイト〉

https://ja.wikipedia.org/wiki/バイトテロ

https://blogos.com/article/357032/

〈参考ニュース〉

headlines.yahoo.co.jp

news.yahoo.co.jp