凡人るいちの徒然ばなし

徒然なるままに書いていこうと思います。ぼくの考えたことを多めに時事問題と絡めてお届けしようと思います。参考になるかも知れないし、ならないかも知れない。けど、ぼくへの見方は変わるかも知れない。

人生ってどんなもの?

こんばんは。凡人るいちです。

最近は考える時間をゆっくり取ることができているので、このブログの筆も進みそうで一安心しております。

そういえば、前回の記事で閲覧数が1200を突破していました!!いつも読んでくださる方ありがとうございます。今後もできる限り面白い記事を書いていこうと思っているのでご愛顧お願いします。

さて、今回のテーマは「人生」でいきたいと思います。

これまた一生のテーマである「人生」ですが、ぼくなりの視点で読み解けていけたらと思うので、最後までおつきあいください。

 

人生とは何か?

皆さんもこういった質問されたことがあると思います。最近は若い世代からこの問題について考えないといけなくなってしまったので大変だなぁと思うわけですが、なぜ考えないといけないのかということが今度はその問題になってくるわけです。

今回は「なぜ人生について考えないといけないのか?」ということと「人生とは何か?」ということの2つをこの章で考えていこうと思います。

なぜ人生について考えないといけないのか?

近年の風潮で「QOL(クオリティ・オブ・ライフ)」や「ワークライフバランス」というものが声高に主張されるようになってきました。

この2つの主張で重要になっているのが「人生」です。

簡単に「QOL」と「ワークライフバランス」について説明しておきます。

QOL」は「自分の人生の質を考えよう」というもので、具体的にいうなら「どういう生まれ方をして、どういう学校に行って、どういう仕事について、どういう遊び方をして、どういう死に方をするのか」ということです。最近では死に方も選べるようになってきたために「終末医療」という言葉とも関連が強いものになっています。

そして、「ワークライフバランス」ですが、こちらは「仕事(オフィシャル・公)と遊び(プライベート・私)のバランスをどうするか」というものです。この用語は「ブラック企業」だったり「働き方改革」だったりという言葉と結びつきが強い気がしています。

ということで、どちらも「自分の人生をどうするか/どうしたいか」ということを考えるものだということが分かってもらえたと思います。

この2つを考えないと近い未来に失敗する、もしくは後悔するのではないかなと思っています。(あくまでもぼくはそう考えているというだけのことです)

20代になったばかりですが、正直不安なことはたくさんあります。前回の「頑張り」についてとも重なりますが、見えないものとの戦いだからです。

だからこそ、今人生について考えるときなのかなとも思います。

人生とは何か?

さて、考える理由が分かったところで「人生とは何か?」のぼくなりの答えをおはなししていきます。人それぞれ「人生」というものについての考え方が違うと思うので、影響されても良いし、されなくても良いです。参考程度にどうぞという感じです。

ぼくにとっての人生とは「分かれ道」です。

すごくありきたりの人生観だとは思いますが、やっぱり「分かれ道」です。「坂道」でも「階段」でも「線路」でも「エスカレーター」でも「エレベーター」でもないです。

なぜ「分かれ道」なのかですが、ぼくは「人生は常に選択の連続である」と思っています。人生には無数の選択肢があって、そのひとつを選ぶこと、もしくは選ばないことによって「今の自分」が存在しているということです。だから、例えば「今日外に出かけた自分」と「今日外に出かけなかった自分」を比べれば、間違いなく「違う自分」になっているということです。正直に言えば、どちらが良くてどちらが悪いなんて事は分かりません。だってそこにいるのはどちらかの自分なんですから。その点において「置かれた場所で咲きなさい」という言葉は的を射ていると思います。つまりは、「後悔したって変わらないんだから、後悔しない方を先に選んでしまおう」ということにもつながってきます。

ということがぼくの人生観です。常に何かを選んでいるから「分かれ道」。戻ろうと思っても、同じ場所には戻ってこれないから「分かれ道」。そんな感じです。

ちなみに、ぼくの人生計画としては「22で教員になって、50代で教授職になって、65歳以降は山奥の家で何匹かの動物と楽しく暮らす」ということです。すごく楽しそうでしょ?今からワクワクしてますもん笑

蛇足ですが、付け加えておくと、「決めておくことで選べるようになる道が増える」ということです。そして、「決めておくことで選ぶべき道が分かる」ということです。それ以上は何も言わなくても分かりますよね…笑

 

人生について考えるときの考え方

最後の章で「人生の考え方」ということをお話しします。「まだ考えていないよ~」という方は実践してみてください。もしかしたら、就活に使える自己分析になっているかも知れないですから…(就活については気が向いたら書きます。ぼくだけが知っている方が有利に働くかも知れないので…)

早速伝授していきます。いくつかのステップがあるので順番に書いていきますね。(ああ、これもあくまでも「るいち式 人生の考え方」ですからね。本に載っていたものではないですから。参考までに。)

①いつ、何をしたいかを考える

これについては先ほどお話しした「人生計画」というものです。まずはそれを考えましょう。

これは人によると思います。「結婚したい~」という人はその予定が入ってくると思いますし、「世界一周したい~」という人はその予定が入ってきます。ただし、年齢は具体的に決める方が良いと思います。

②なぜ①をしたいのか考える

①でしたいことを決めた皆さんはここでそれを深掘りしていく作業になります。

ぼくが「65歳で山奥の家で動物と暮らしたい」のは、落ち着いたところでのんびりと自分の好きなものに囲まれて、自分の好きなことだけをしていたいからです。

理由があることで、予定は目標に変わっていきます。そして、夢になります。

③過去について考える

今までは未来について考えていたわけですが、視点を過去に戻して「いつ、何をやって来たんだろう」と振り返ってみてください。それが人生を考える最後のステップです。

 

「過去」と「今」と「未来」は全部つながっています。「過去」に決めた結果「今」があり、「今」に決めた結果「未来」がある。そうやって人生はできています。

「この人生きていて楽しそうだなぁ…」とか「この人すごいなぁ…」と思う人は、「過去」と「未来」をもうすでに見つめている人です。結果として「今するべき事」が見えているから、すべてが上手にいっている「ようにみえる」だけです。上手くいっているわけではありません。上手くいっているように「みせている」だけです。

なんとなくで決めたことよりも信念を持って決めたことの方が力が入るのは当然のことだし、何よりあきらめがつきます。だって、逃げ道がないんですもん。「失敗したらそれで終わり。だから本気でやるか…!」って。

「人生が決まれば今が決まる」そんなことが伝わっていれば良いなと思います。

それではまた今度…

(↑今回の記事を読んでの意見や感想などは質問箱へどうぞ。必ず答えます。)

努力の話

お久しぶりです。凡人るいちです。

1週間ぶりでしょうか…少しでも文を書くことから遠ざかってしまうとできなくなってしまう気がしますね…

お気づきの方もいるでしょうが、ブログタイトルを変えました!!

今までは時事についての記事も書いていたのですが、最近はめっきりになってしまったのでそれならタイトルもそれにあわせたものの方が良いだろうと思い変えました。

内容は今までと大差ないので、そのままお楽しみいただけたらと思います。

今回は「努力」について考えてみたので、それを書いていきます。

努力すること

今回この記事にした理由は5月に入ったからです。

意味が分からない人も多いと思うので、少しだけ補足をすると、「5月になって今までやって来たことに自信がなくなってきた」ということを解消してほしいと思ったからです。いわゆる「5月病」対策ということです。

では、なぜ「努力」なのかということです。

皆さんが決して「努力」が足りないというわけではありません。むしろその逆です。「努力」をしすぎなのです。

「なぜそんなに頑張るのですか?」と聞くとたいていは「自分はダメだから…」とか「こうしないとできないから…」という言葉が返ってきます。悪いことではないと思います。でも、なにごとも「やり過ぎ」は良くないものです。(その反対に「やらなすぎ」も良くないです。正確に言えば、やらないことを「やり過ぎ」なのですが…)

頑張りすぎる(努力しすぎる)とどうなるのか。というと、疲れます。それだけです。

ただ、この疲れが怖いものなのです。それはなぜか。人間は一定時間同じ動作を続けると「慣れ」がきます。疲れにも慣れというものがあって、気付かなくなってしまいます。

それでも、体の中には疲れは溜まっていきます。そして、それに気付かずに努力をし続けると壊れてしまいます。力をかけ続けた金属のように急に折れてしまいます。

これが「鬱病」のもとになっていくわけです。

ここで「なんでそれが言えるのか?」ということになりますが、答えは「ぼくが経験しているから」です。

思い出したくもないので今回は書かないですが、気になったら個別で聞いてください。

この鬱病の怖いところは、鬱病になってもなお「頑張らないと…」と思うことです。

それはもちろん、まわりからの「努力が足りない」とか「甘ったれてる」とかの声もありますが、自分の中の部分が大きいと思います。つまり、「出来ないと思われたくないから頑張らないと…」というものです。「頑張ること」や「努力すること」に慣れてしまっているのです。

だから、鬱病になったらまずして欲しいことは「頑張らないこと」です。

鬱病になっていなくても抱え込んでやろうとする人には必ず「今まで頑張ってきたのに、何をまだ頑張ることがあるんだい?」と声をかけるようにしています。「もう頑張る必要なんてないよ」と。

「5月病」も同じで、ここまで新しい環境で「頑張ってきた」「努力してきた」人がなるものだと思います。なので、ここらであえて「頑張らないことを頑張って」みませんか?

そうしたらきっとここらがスッと軽くなるはずです。そしたら、目の前には今まで見えなかった景色が広がっているかも知れません。

 

ぼくの「努力」観

ぼくの努力観はすごく厳しいもので、自分自身に言い聞かせているものでもあります。

それは「人の前でしかできない努力など、努力とは呼ばない」というものです。

人はみな、褒められたいという欲求を持っています。それは仕方のないことで、ぼく自身にもあることです。

ただ、努力を見せて褒められるのでは、それは正しい過程だとは思いません。

「ぼくはなぜ努力をするのか?」そう問いかけたときに「褒められたいからする」というのと「能力を伸ばしたいからする」というのでは大きく違っています。効果も段違いなものになります。

何事も正しい過程をとらないと、効果は半減してしまうものなのです。

あ、そうそう。「努力は必ず報われる」という言葉がありますが、アレは嘘ですから皆さん信じないようにお願いしますね。

「努力は常に続けたものの中で1番長くしたものだけが、ごくまれに報われる」という感じなので、要は「続けることが一番の努力だよ」くらいのイメージです。

なので、「やってるのに報われない」というのはそういうことです。

細くても良いから「頑張りすぎないで継続して」みてください。もしかしたら報われるかも知れません。

 

 

今回はここまでです。

皆さんは努力してますか?しているよという方もしていないよという方も、そして分からないよという方も「ほどほど」にしてくださいね。

それではまたいつか、気が向いたときにお会いしましょう!!

 

今回の騒動について

お久しぶりです。凡人るいちです。

毎週定期の更新をしなくなってからアクセスすることもなかったのですが、今回はちょっと更新しないといけないと感じたので簡単にですが書いていきます。

 

すごく仰々しいタイトルをつけたのですが、ぼくはそこまで大事に感じてはいません。

ぼくのことをtwitterでフォローしている人やリアルで知っている人向けの記事になっています。

4月29日にツイートしたことから一気にプチ炎上してしまったわけですが、正直に言うと今回はぼく自身の認識の甘さに問題がありました。(もしかしたらその前から火種はあったのかも知れませんが、間違いなく火に油を注ぐことになったのはこのツイートだと思っています)

質問箱関連でプチ炎上を起こすのは実は2回目なのですが、今回はそのときほど激しくはなく、さらにこういった長い文章を書ける場所もあるので負担にはなっていません。

問題のことなのですが、「今思えばしなくても良いことをした」という感覚です。ツイートした当時の感情を呼び起こして考え直すことはできませんし、当該ツイートを消す気もないですが、今の状況ならツイートは間違いなくしていないだろうなと思います。

そのツイートが原因で不快な思いをする人が一定数いた事についてもお詫び申し上げます。

ただ、今回に関してはこの後書くことで終わりにしていただけたら良いなと思います。

批判も甘んじて受け入れるつもりでいるので、このブログのコメントに書き込むなり質問箱にぶち込むなり好きにしてください。

話したい内容については2点あります。

1つ目は今後について、もう1つは皆さんへのお願いです。

 

今後についてですが、相手ともお話しをしっかりしてぼく自身の気持ちについて整理がついているので特に何もないと思ってください。

皆さんに届けている情報が少ししかない状況ですが、ケンカ別れをしたわけではないということだけはお伝えしておこうと思います。

今後とも相手とは仲の良い友人として接していこうと共通で確認しましたし、持ちつ持たれつの関係が継続していくと思っています。

未練に関してはたらたらなのでどうしようもないですが、それだけ本気で好きになった人だということです。気持ち自体は相手に届かなかったですが、ぼくは良い経験をしたと思っています。ショックで食べ物の味がなくなるなんて事なかなか経験できないですから。

とにもかくにも、すべて今まで通りだということなので安心してください。

 

皆さんへのお願いとしましては、1つは今後もこういったことになる可能性はもちろんありますが、そのときは正直に言ってください。誠意を持って対応させていただきます。

そしてもう1つですが、「質問箱の利用方法を変えるつもりはない」ということです。現在ぼくの質問箱は200件近い質問が来ていて、回答は98%となっています。(ぼくが覚えている限りで答えていないのは、ぼく以外に関することと間違えて自分で質問したものだけです)

つまり、ほとんどタブーなく答えているわけです。今後もその方針は変える気が一切ないです。

もちろん文句のある方がいるのも承知ですし、やめるべきだと思っている人がいるのも分かっています。しかしながら、楽しみにしてくれている人もいれば応援してくれている人もいるわけです。そういった人たちが少ないことも知っていますが、その少数の人のためにも続けていくつもりです。

なので、お願いとしては「今後も変える気はないのでよろしくお願いします。」「少しでも不満に思うなら見なくて良いし、書き込まなくて大丈夫です。静かにブロックしておいてください。」の2つになります。

 

質問箱の機能上、ぼくから相手のことを知ることはできませんが、相手からぼくのことを知ることは可能です。正直400近いフォロワーから誰がしたとかいう犯人捜しもする気はないです。

ストレスが溜まっているならはけ口に使ってもらって良いですし、不安があるから相談に乗ってでも良いです。それはお任せします。ぼくは来たものすべてに対して、ぼくの持っているすべてで回答していこうと思っています。

1つ付け加えておくと、その全力に対する皆さんの受け取り方もお任せします。「やってみるか」でもいいし、「うるせぇ!!できてたら苦労しないわ!!」でもいいです。

そして、その回答を見た人も「一般的でつまんなwww」とか「そんなの理想論じゃんwww」とか送ってくるのも構いません。それに対しても真摯に回答します。

それがぼく自身のやり方だし、ぼくらしさだと思うので後はお任せします。(ただし、さすがにやばいかもなと思ったものに関してはスルーすることはあるかも知れません)

炎上商法でも、売名行為でもなんでもないです。

よくある質問で「このブログでいくら稼いでるの?」みたいなことがありますが、0です。1円ももらっていません。ただの暇つぶしです。

皆さんにとってぼくを炎上させるメリットはあっても、ぼくにとって炎上させるメリットは1ミリもないです。

だから思う存分殴りかかってきてください。ぼくがどう思うかは知りませんが…

 

*今回の記事や騒動について何かお叱り等ございましたら送ってください。

*特になければスルーして、いつも通り接してください

新生活を迎える皆さんへ

どうも凡人るいちです。

ついこの間に金沢に行ってきたのですが、良かったですね~

旅行していると時間間隔がなくなってしまうのですが、分かってくれる人とかっていますかね?「あぁ、もう最終日か」って。

ぼくはツアー系の旅行が好きではないので逆にツアーだと遅く感じてしまうのが不思議ですね。

さて、今回の記事は3/31ということで明日から新生活を迎える人や学年や立場が変わってくる人が多いと思います。

なので、今回は新しい環境でもメンタルを壊さない「るいち流メンタルヘルス術」を話していこうかなと思います。

もしかしたら、前の記事とかぶってしまう部分もあるかなぁと思いますが、暖かい目で見守ってください。

 

るいち流メンタルヘルス

最近結構若い人でも鬱病にかかってしまうということが多いのかなぁと思います。かくいうぼくも鬱病っぽい症状に見舞われたことがあったので、人のことは言えないなぁと思っています。

ただ、そのときに復活術をいくつか手に入れたので今回はそれをお話しして楽しい新生活を送ってもらえたらなぁと思います。

1 「他人と比べるのをやめるべし」

ぼくが鬱病になったときにまず最初になったのは「なんで自分ばっかり…」という考え方でした。

それを考えてしまうと、まわりとの差がどんどん開いているように見えてつらくなって、また同じようなミスをするという悪循環に陥ってしまいました。

だからこそ、「自分は自分。他は他。」という割り切りを持ったことで大きく余裕を作ることができました。

そこに追加して、「比べる相手を昨日の自分にする」ということも同時に始めました。

そうすることで昨日の自分よりも1ミリでも成長しようと思って行動も少しずつ変わっていったのでおすすめだったりします。

例えば、「夜ご飯を1品多く作れた」とか「いつもより朝早く起きれた」とか簡単なことでも良いんです。ぜひ自分を褒めてあげていってください。

 

2 「自分の好きなことをするべし」

気分が落ち込んでいるときには何もやりたくない気分になると思います。むしろ、やっても意味がないような気がするという感じでしょうか?

そんな時は何も考えずに自分が好きなことをやっていくことを好きなだけやっていくことをおすすめします。

そのときにできるだけ屋外ですることを選ぶと良いと思います。外に出ると考え方も大きく変わっていくので、困ったり悩んだりしたらとりあえずやることがなくても外に行くと良いと思います。

発想力が圧倒的に変化します。思いつきがすごくなるのでおすすめです。

 

3 「全部忘れて上書きをする」

人間の脳なんて案外簡単なものですぐに騙されてしまいます。トリックアートとかがその良い例になっていますね。

逆をいえば、考えすぎで自分で自分の脳を騙してしまうということもあったりするわけです。

なので、自分のことをもう一度騙してしまうといいです。(正確には事実をしっかり認識してあげること)

それでもうまく行かなければ諦めて全部忘れてしまって良いことに上書きしてしまいましょう。

きっと楽しくなるはずです。ただ、本当に最終手段なのでやるときは注意してくださいね…笑

 

 

少し短いですが、今回はこんな感じで終わらせてもらおうと思います。

明日からの新生活思いっきり楽しんで、活躍することを祈っています!!

 

↓質問箱に質問してもらえれば全部回答するのでよろしくです!!!

第2回!!質問箱の質問を掘り下げよう!!

どうも、凡人るいちです。

二日連続ですね…こんなこと初めてなんじゃないでしょうか?

今回の記事はタイトル通り、質問箱企画です!!

twitterに投稿できる文字数に限界があるので、上手く答えられなかったものをしっかり答えていこう!!というタイプの企画です。

こんな感じで、せっかく読んでくださっている方ともつながる機会を持てたら良いなぁというものでもあります。

と、企画の紹介はここまでにして、早速本編へうつっていきましょう!

 

質問の回答にも書いてあるんですが、まず比べられるほど芸能人を知らないんです…

しかも、好きになったらその人のことしか見えなくなってしまうので、似ている人とか正直どうでも良くなってしまうんですよね…

たまにTVとかで「○○似のイケメン」とか「○○似の美女」とかって言われたりするけど、ぼくはあんまり好きではないのはこういったことからですね…

だって分からないんだもん!!

ぼくから1つ言えることは、「ぼくが好きになった人は絶対に他と比べない」ということです。誰かが言っていたと思いますが、「目の前の人を愛せないのにどうして他を愛せようか」って。

ぼくにはぼくの良さがありますし、相手には相手の良さがあります。それを「○○似」という言葉で片付けてしまうのは少しもったいないし、意味がないなぁと思っています。

もちろん、自慢には良いのかも知れませんがね…笑

あと、感覚が他の人と比べぶっ壊れているので、似ている人を見つけることもできないです笑

 

これも年齢によって変わってくるという風に思っています。

小学生の頃「遊ぼ~」っていうと、大概「いいよ~!じゃあ○○公園で会おうな!!」って感じですよね。

なので、サッカーとか鬼ごっことかをやっていた思い出があります。

中学生になると、今度は「遊ぼ~」っていうと、「○○の家でゲームしようぜ!!」となっていたなぁ…

お金もって機械を持つようになると「遊び」も全く別物に変容してしまうんだなぁと思いました。

高校生になると、「遊ぼ~」ではなくて「○○いこうぜ!!」という感じでより具体的な場所を指定していた気がします。

お金を持って、行動範囲が広がって世界を知るようになると楽しい場所とかもワンパターン化していくものなのかも知れませんね。

最後に大学生になってからです。

不思議なもので、大学生になってからは「遊ぼ~」も「○○いこうぜ!」もなくなって、すべて「飲みに行こうぜ」で解決してしまうような気がします。

できることが広がった結果なのかも知れませんが、「遊ぼ~」といっても「どこにのみ行く?」と聞かれてしまうのは少し寂しい気分がしますね…

こんなことからぼくは「何でもないことを楽しめる幸せ」っていうものがあると思います。純粋な心で人とふれあい楽しめればもう「言葉」はいらなくなっていくのかも知れません。こんな感覚を共有できる友人は大切にしたいなと思います。

 

韓国ねぇ…

最近確かに冷え込んでいるかな…とは思いますが、普通そんなもんなんじゃないんですかね?

ただ、この質問の答えはこのときの最善解だったような気がしています。

そして今でもそう思っています。

どこの国に対しても日本国内には「アンチ」という人がたくさんいます。

この「アンチ」は不思議ですが、行動力を持っています。コメント欄とかに批判のコメントが多いのもそういったことがあると思います。

「アンチ」の言葉に騙されて本当の魅力を見るフィルターになってはいませんか?

あくまでもぼくは、ヤフーニュースのコメント欄に「昨日韓国から帰ってきたけど、観光中に現地人から卵をぶつけられた。」というようなコメントは見たことがないです。

本当に「冷え込んでいる」のか。それは「日本国内の報道の仕方によるもの」ではないのか。そういったことを確かめるために、実際に行ってきたら良いと思います。

そして、行きたくないのなら、行った人や行く人を蔑むような発言は抑えたらいいと思います。

あくまでも「自分がいて人がいる。その中に持つ感性・感覚・経験・視点は全く異なるものなんだ」と思ってもらえれば良いなぁと思います。

 

男尊女卑っていつからあるんでしょうね…

言葉は少し悪いですが、「くそ文化」ですよね。

「男がえらいんだから、女は静かにしておけ」か…

変えたいですね…

心の中ではこう思っているんです。ただ、行動がそれにともなっているのかということについては分からないというほかありません。

このブログの中で「尊重」という考え方を出していますが、これも一緒です。

「男が全部できるなら、女にいちいち頼っているんじゃないよ!!」と思いますね。

「仕事はやるから家事はやれ」「女は家を守るのが仕事」…こういった価値観っていつまであるんでしょうね?

完璧超人の男性の皆さんは結婚とかはせずにすべて1人でやってください笑

そして、女性の皆さんへの些細な応援として「私にはできない…」と思い込まないでください。そりゃあ、今はまだ何もできないかも知れないです。だって、「行動」していないんだもん。「男尊女卑」を変えたければ、女性の皆さんが立ち上がる必要があります。もう立ち上がって変えていっているひともいます。手伝うことができるか分かりませんが、協力や応援はぜひさせてください。

 

こんな感じで今回の記事は終わりです。

ちょっと打ちながら、「強めの記事になっているな…」と思いましたが、「まぁいいか」といった感じでそのまま出します。全編ノーカットです。

勘違いしてほしくないのは「ぼくは強い人間ではない」ということです。ぼくは「強い人間」というキャラを自分の中で作り上げてその台本通りに進んでいるだけです。

「自分の台本」を作るためのヒントとなればいいなぁと思っています。皆さんもぼくのように「行動が変われば性格が変わる」はずです。

良い報告を待っていますね!!

それではまた明日会いましょう!またね!!

 

質問や感想、リクエストなどは質問箱へ!!

 

合区についての話

どうも、凡人るいちです。

遅ればせながら1000アクセス到達ありがとうございます!!!!!!!!!!!!!!

始めたときは絶対にいかないだろうなぁ…なんて思っていたのですが、気付いたら行ってしまいました…笑

そして、その1000アクセス到達が始めてからちょうど半年ということで、よくここまで続けられてたなという風にも思っています。

今後もできるだけ毎週更新を続けていきたいと思いますので、楽しく新情報を手に入れながら知識を深めていってもらえたらと思います。

お礼もここらにしておいて、今回の内容にうつりましょう!!

今回の記事は初のリクエスト記事で、「合区」について見ていこうと思います。

リクエストしてくれた方ありがとうございます。また、興味があったらしてもらえばと思います。

それでは本題にいきましょう!!

 

合区って何?

 合区とは簡単に言えば、人口の少ない選曲を合同にして定数を減らそうというものです。その先には一票の格差の是正という目的があります。

合区にすることはあくまでも「方法」であって「ゴール」ではない。ということです。

その上でここからは、合区の種類について解説していこうと思います。

合区は選挙で行われるので、主となる法律は公職選挙法です。

その規定によって合区にしなければいけない基準が示されています。

地方議会の選挙で人口が議員1人あたりの人口の半分に満たない場合、隣接する選挙区とあわせて1つの選挙区にしなければならない。という強制合区という場合があります。

ここで言っている議員1人あたりの人口とは「都道府県の総人口/議員定数」のことです。

例を挙げて考えてみましょう。

300万人の人口を持つA県の議員定数が150だったとしたときは、議員1人あたりの人口は20000人になります。

ある選挙区の人口が9000人しかいない場合は強制合区となるということです。

それでは、半分を超えていれば合区にする必要はないのかという疑問がでると思います。

厳密に言えば、合区にする必要はないのでしょうが、一票の格差の是正のために合区にする場合があります。このことを任意合区といいます。

先ほどの例でいえば、ある選挙区の人口が12000人のときは任意合区とすることができます。

合区についてはある条件もついてきます。

それが、「隣接する選挙区のみ」ということです。

これがないと、飛び地での選挙戦になってしまい効率等が悪くなるためだと想定されます。

こんな感じが合区の簡単な説明です。(ちょっと複雑になってしまったかもですが…)

おっと…?ここで引っかかるワードがありますね…

「地方議会の選挙」?いやいや、参議院選挙で合区になっていたじゃないか!と。

少しだけその解説をしますね。

最初にお話しした「公職選挙法」が基準法になっているので、選挙の形式を変えたければこの法律を改正すれば良いというわけです。

勘の言い方はもう気付いたかもですが、参議院選挙で合区があったのは選挙前に「公職選挙法の改正」があったためです。

この合区だけに限らず、選挙年齢の引き下げのときにも改正されたりしています。

ニュースでよく聞く単語になっていくと思うので、字面だけでも覚えておくと良いかもしれません。

 

凡人るいちの見解は?

 ぼくの見解としては、ある一定の成功なのではないかということです。

これによって2016年参議院選挙では、最大の一票の格差が2.97倍になりましたし、目的は達成していると思っています。

もちろん問題もあります。選挙区が広くなることによって、立候補者の負担がどうしても増えますし、何よりも政治家が一番大切にしている地盤がなくなってしまうということです。

正直に言ってしまうと、世襲議員なるものはなくなってしまえば良いと思っていたりしますが、負担の増加については考えないといけないなと思います。

例えば、鳥取島根の合区はすごく横に長い選挙区になってしまいます。

こういった目に見える問題をどうにか解決しないといけないですね。

目に見えない問題としては、これから人口が集中していく中で大都市以外の場所がすべて合区になってしまう可能性があるということです。

そうなってしまうと、小選挙区制からは脱却しないといけないかも知れませんね。

個人的には、必要不可欠なものなので続けていかないといけないと思います。しかし、毎回変えていかないといけない部分もあるという感じですね。

 

今回の記事はここまでです!

久しぶりだったので頑張ってみましたが、ダメダメでしたね…

明日も投稿するので、そちらも楽しみにしてもらえたらと思います!!

そしたら、また明日お会いしましょう!!!!

 

感想等を書き込んでいってください!!↓

 

〈参考サイト〉

 https://kotobank.jp/word/合区-666163

http://www.soumu.go.jp/main_content/000264118.pdf

 

〈参考ニュース〉

www.nikkei.com

www.yomiuri.co.jp

 

 

新企画!!凡人るいちのおすすめの本!part1

1週間ぶりの更新になってしまいました…凡人るいちです。

毎回言い訳をしているわけですが、今回の言い訳はないです…

「まじでいそがしいなぁ…」くらいですかね…

今回から書き溜めで書いていこうと思うので、毎回の挨拶が若干遅れてしまうかもですがご了承ください…笑

今回の記事はタイトル通り「凡人るいちのおすすめの本」を紹介していこうかなと思います。

需要の有無は正直分からないですが、月に5冊は最低限買うようにしているので、その中から月1冊紹介できたら、皆さんにも読書の輪が広がるかもと思い始めてみようと思います。

 

世界から猫が消えたなら川村元気

記念すべき1冊目は『世界から猫が消えたなら』にしましょう。

この本なのですが、ぼくが始めて真剣にほしいと思った本で2時間程で読了した後も何度も繰り返し読んでいました。

なぜこの本なのかというと「大切なものとのつきあい方」がわかると思ったためです。

初めて読んだのが中3くらいのときで人生で最もささくれだっていた時期だったように思いますが、そんなぼくに考え方の影響を与えたと言っても過言ではないと思います。

「本当に大切なものはいつだって自分の近くにある」ということを思うだけで、目の前のことに対していつだって全力を出すようになりましたし、すごく前向きになりました。

もう1つ選んだ理由があります。ぼくを知っている人なら驚くかも知れませんが、「初めて泣いた本」でもある思い出の一冊だったりします。

思春期で家族に対して強く当たっていた時期に「このままじゃ後悔する」と思わせてくれた、そして「今の自分を作ったのは誰か」ということを考えさせてもらいました。

言葉で表わすのがとても難しいのですが、この本はぼくにとって「道しるべ」であり、「原点」でもあると思います。

感想を書いているだけなのに涙が出てきてしまいました…

さて、語りすぎてもこれから読む人は面白くないと思うので、これで終わりにしましょうか…

ぼくはもう一度読んで泣いてくるとしますか…

それではまた明日会いましょう!

 

 

 今回紹介した本はこちら

 

↓質問箱に質問してもらえると何でも答えていこうと思います!!