凡人るいちの徒然ばなし

徒然なるままに書いていこうと思います。ぼくの考えたことを多めに時事問題と絡めてお届けしようと思います。参考になるかも知れないし、ならないかも知れない。けど、ぼくへの見方は変わるかも知れない。

ぼくたちは何を見ているのか

お久しぶりです。凡人るいちです。

前回書いたときは、年明け早々で、「今年の目標を次の記事で書いておく」なんていった記憶がありますが、いよいよ忙しくなりすぎて、そんな余裕がなくなってしまいました…笑

ですが、書かないで今年を始めるなんてすごくぼくらしくないので、今年の目標を簡潔に書いておきます。その後本題に移っていきましょう。

今年の目標は、「ぼくにとって一番良い進路を見つけること」「ぼくにとって一番成長した1年にすること」「とにかくたくさんの“楽しい”を経験すること」の3つです。どれも難しい目標だと思いますが、一つずつ順番にクリアしていくとしたいですね。

最優先課題は「進路」になると思いますが…

 

では、ぼくの今年の目標はこのくらいにしておいて、ここからは本題に移っていきましょう。

今回のタイトルは「ぼくたちは何を見ているのか」というとても想像のつかないタイトルです。でも、そこには意図を含めています。最後まで読んでみて、分からなければ、ぼくの文才が乏しい証でしょう。

 

見るものが多すぎる時代で

ぼくたちの暮らしている現代では見るものが非常に多くなっています。

昔は風景を見たり、となりにいる人を見たりとそれくらいしか見るものがなかったとも思います。今ももちろん、風景やとなりにいる人を見ることはあると思います。しかし、それ以上に画面を見て、自分を見て、下を見ている人が増えたような気がしています。

人間の目はそのすべてを見れるような素晴らしい便利な機能は残念ながら持っていません。なので、ぼくたちは多くの視覚情報を「恣意的に」選んでいると言えます。

つまり、見たいものを見て、見たくないものは見ないということです。

例えば、ある機種のスマートフォンが欲しければ、それに対応する情報がたくさん自分の目に入ってくることになります。それが、友達の持っているスマホなのか、ネットで流れてきた記事なのかは人それぞれでしょう。

この情報を「恣意的に」選んでいるということは今後の話の中で大切になってくることです。覚えていてください。

さて、そんな時代において、何をもって「自分の見ているものが正しい」といえるのでしょうか?そして、何をもって「自分は公平に情報を集めている」といえるのでしょうか?

今日はそんなことを考えていきたいと思います。

「正しい」は「正義」なのか

ぼくたちが見ている情報は、一人一人違うのは先ほどの「視覚の恣意性」で理解いただいていると思います。ということは、同じものを見ていても、また体験していても抱く感想が変わってくるのはまた当然のことです。

そして、その感想が「正しい」ということではないのも当然のことです。

ぼくにとって「正しい」ことが、みなさんにとって「正しい」にはならないことがほとんどだと思います。(その逆もまたしかりです。)

その際に「正しい」を決めるのは「自分自身」であり、「正しい」を信じるのも「自分自身」です。

世界では「自分で選んだものを正解にしていく」とも言われますが、まさにその通りだと思います。その「正しい」(場合によっては「正しくない」も含まれると思いますが)が、自分自身の価値観(=人生の方向性)になるのだと思います。

簡単にいうと、「嘘が嫌いな人」は嘘をつくことをしないだろうし、「らくをしたい人」はわざわざ自分から辛い道へ進もうとはしないはずです。

そうやって、自分の人生の方向を決めていきます。

しかし、この「正しい」には問題があります。それは、冒頭でも述べたように「他の人と同じとは限らない」ということです。もちろん、おなじ”ような”「正しい」を持つ人はいるかも知れませんが、”全く”おなじではないはずです。

このことは、みなさんが理解しているとおりだと思います。

ただし、ぼくも含めてまれに「正しい」を押しつけてしまうことがあります。つまり、自分の「正しい」を世の中の「正義」だと思ってしまうことがあるということです。

みなさんも経験があるかも知れませんが、SNSとかでつぶやきに対してマウントをとってくる行為はこれの1つだと思っています。

ぼくたちが生きづらくなっている理由にはこの問題が一つの要因かも知れません。

ここからは、あくまでぼくの一意見として、「価値観は人それぞれで当たり前。そしたら、自分の価値観とぶつけて磨いたらどう?」と思います。簡単に言えば、「価値観同士で議論せよ」といった感じです。そうすることで、広い価値観を手に入れられるんじゃないでしょうか?という提案です。

ぼくたちが見ているもの同士を「すりあわせ」する。それではじめて、一つのものの見方が完成するんじゃないかなと考えています。

さて、少し話がそれつつありますが、まとめると「自分の見ているもの(=自分の価値観)とまわりが見ているもの(=相手の価値観)をたくさん共有しようじゃないか。そうしたら、きっと真の意味での「正義」に近づくはず。」ということです。

これは「視覚の恣意性」があることによって初めて成立するものだと思います。

また、「価値観の受容」と何が違うのか。ということについてもお話しして、終わろうと思います。簡単に言うと、「お互い主張すること」が違いになります。受け入れるだけではいつかはあふれてしまいます。その前に、自分の価値観も流してあげる。それがぼくの思うものです。

 

さて、復帰初戦とあって、考えがまとまっておらず、非常に読みにくいですが、ぼくたちは「目という感覚器官を通して、自分の価値観を見ている」ということが伝われば良かったなと思います。

 

まだまだ、書きたいことが多いのですが、ブログというメディアを使っている以上、ぼくの価値観のみを話してしまいます。なので、ここらで締めておこうと思います。

ぼく自身の活動も収束を迎えてきているので、段々と書けるようになると思います。また、楽しみに待ってていただけると嬉しいです。

そして、みなさんの価値観をぼくに共有してくれれば空っぽになってしまったぼくの「価値観の器」に新しく入れられると思います。

それでは、またいつか!

 

 

今年1年を振り返ってみて…

どうも、凡人るいちです。

今年ももう終わりですね…気付いたらあと7時間を切っていて、(書いている時間は17:13)時の流れは怖いなと感じるばかりです。

さてさて、今年は本当にいろいろあった年だったなと感じています。

完全にぼく目線で振り返っていこうと思うので、ここからは「1年の凡人るいちまとめ」になるかと思います。興味のある方は最後までお付き合いください。

 

今年1年であった大きな出来事が3つくらいあるのかな…と考えています。

1つずつ時系列で追っていきましょう。

1つ目は、「失恋をしたこと」ですかね。

たぶん、3月から5月のことだったと思うんですが、今はどうでも良いですね笑

ただ、この出来事がぼくに与えた影響はすごく大きかったと思います。それこそ、価値観が変わるくらいには。

未練があるとかないとかではなくて、おかげで前に進めるようになったというか、完全に自走できるようになり始めたというか、人間に興味がなくなりだしたというか…

あげれば数は尽きないと思いますが、それだけ大きな出来事だった訳ですね。

ぼく自身この出来事自体を、マイナスには捉えていないので「まぁ、人生なんてそんなもんよな」くらいの感覚だと思ってください笑

 

2つ目は「教育実習への参加」です。

これは9月の1ヶ月間のことですが、昨日のことのように思い出せそうです。(思い出さないですが)

簡単に言うと、母校実習ってきついな…と感じた訳です。もちろん、ぼくが例外だった可能性の方が高いので、他の人は気にしなくて良いと思いますが…

まぁ、指導教官とのそりが合わなかったわけですけど、2週間も「ここでけがをすれば、明日以降実習しなくて良いかもしれないのか…」と考えたことは今までの人生でなかったかも知れません。というか、あるわけないんですわ…

そして、これを機にして、「教員にはならない」と大きな選択をしたことも事実です。一人でも一緒に働いていて苦しい人がいるなら、その感覚に一生耐えることはたぶんできなかろう。と感じたので、その選択をしました。

これも書くと長くなりそうなので、またいつか教育実習についてだけ書くことがあると思います。ぼくの感想と体験談、そして辛かったことを忘れないようにするために。

 

最後の3つ目は「就活での出会い」としておこうかなと思います。

そして、この就活が今年一番の出来事だったと言っても良いかなと思います。

始めたのは6月からですが、その間にどれだけ多くの人と出会い、多くの企業と出会い、自分自身を見つめたか…と思っています。

ひとつひとつに刺激があった良い経験ですし、まだまだ高めていかないといけないなと感じさせてもらえるきっかけにもなったので、大きな出来事だったなと感じています。

就活についても、書きたいことはたくさんあるんですが、それをそのまま書いてしまうと大変な量になってしまうので、簡単に書かせてもらってます。

いずれ、話すことができればいいなと思います。完全に気分が向いたらですけど。

 

さて、こんな感じで簡単に振り返ってみましたが、みなさんは何か大きな出来事はこの1年間でありましたか?

年を越す前の30分間でも思いで談義に花を咲かせてみて欲しいなと思います。

時事的な話はなかったんですが、今年あったことと言えば、「元号が令和に変わった」「あおり運転を取り締まる動き」「現職国会議員の逮捕」「タピオカが謎はやり」「大学入試改革の問題」「急速に進む少子化」とかとかですね。

気になったニュースがあればぜひ調べてみてください。それも、また「脳内の大掃除」になるかも知れません。

 このブログな話ですが、1500閲覧を突破しました!あまり更新しないようになったのですが、続けてみてくれる方がいるのは本当にありがたいなと思います。できるだけ、コンスタントに更新していこうと思うので、来年もよろしくお願いします。

 

あ、来年の抱負と目標は明日か明後日に更新します。特にたいしたことは話さないと思いますが、よろしくお願いします。

では、また…

書く力をつけるために・・・

どうも、凡人るいちです。

だいぶ落ち着いてきたのでコンスタントに更新できるかと思います。

楽しみに読んでくださっている方は本当にありがたいなと思い、これからもそんな人たちにこの駄文で少しでも価値を届けられたら良いなと考えていますので、これからもよろしくお願いします。

さて、やたらしんみりとした入りだったわけですが、今回は「書く力」をテーマにお話ししたいと思います。今回もあくまでぼくの一意見なので、あまり深く考えず、「そんな考え方もあるのか」くらいで読んでもらえれば幸いです。

では、るいち流「書く力」向上講座の開講といたしましょう!!

とは言っても、ぼく自身も最近になって意識するようになったことなので、ずっとやっているわけではないです。

ただ、いくつかの方法は実践してみてすごく良いと思っているので、活用してもらえたら良いなと思います。

文章構成は相手がわかるようにする

1つ目の文章構成の話です。

よく、「わたしは~で、○○で、××で、・・・をしました。」みたいな文を見ることがあります。

それを読んだ人の感想としては、「並列が多すぎて分からん。」となるわけです。

並列が多いと伝えたい趣旨があっちに行ったりこっちに行ったりしてしまって、内容の理解が難しくなってしまいます。

なので、ぼくは「1文50字くらい」にしています。読んでいて短い文章が多いなと感じた人もいるのではないでしょうか?ちょっとした作戦だったわけです。

一文を短くするメリットとしてはいくつかあります。

1つ目は、「読みやすくなる」です。

最初からこれを意識して書いているので、当然と言えば当然ですね。

2つ目は、「書くことが楽になる」です。

文章を書くことが苦手な人の多くは、長い文章を書いた経験が頭にあるためだと思います。つまり、短い文章に慣れていないのです。慣れると自然に長い文章も書けるようになります。ぼくも昔は書くことが苦手でした。でも、こうやって書けるようになっているので、これは間違いないと思います。

3つ目は、「内容が頭に入りやすくなる」です。

文全体を構造化して書かないと1つ1つの文は短くならないので、自然と書き手側は書きたいことを整理します。そうすると、結果として「内容が頭に入りやすくなる」につながっていきます。

具体例を挙げておきましょう。少し読んでみてください。

まずは、悪い例です。

「昨日、私は朝起きてから顔を洗って、朝ご飯を食べて、歯磨きをして、本をソファに腰掛ながら読んで、コーヒーを飲んでいたところ、飼っている黒猫のこくがとんできて、手に持っていたコーヒーを床に落としてしまい、午前中は掃除をすることでつぶれることが決まって、少しショックを受けたが、準備をしている最中に白猫のはくがそこへ歩いてきて慰めてくれたので、ちょっとだけ気持ちが和らいだ。」

では、この文を文章構造が分かるように書き換えてみます。

「昨日、私は朝起きてから顔を洗った。その後、朝ご飯を食べてから歯磨きをした。朝ご飯の後、ソファに腰掛け、コーヒーを飲みながら読書をしていた。そこに、飼っている黒猫のこくがとんできたので、手に持っていたコーヒーを床に落としてしまった。午前中は掃除でつぶれてしまうと少しショックを受けたが、準備をしている最中に白猫のはくが歩いてきて慰めてくれた。はくのおかげでちょっとだけ気持ちが和らいだ。」

しようとおもえば、いくらでも短くできるのですが、キリがなくなってしまうので今回はこんな感じでまとめたいと思います。

少なくとも最初の文章よりは読みやすくなったのではないかと思います。内容も入ってきやすいかもですね。

「書く力」講座の第1は「文章を短くして、相手に構造が分かるようにしよう」です。

書く順番に気をつける

第2は、書く順番です。

「そんなの、好きなように書いたら良いやん」とか聞こえそうですが、そんなことないんです。

実は、先ほどの第1でも実践していたのが、PREP法です。

Point-Reason-Example-Pointの頭文字を取ったものですが、これが非常に分かり書き方になります。もっと分かりやすい記事もあるので、ぜひ調べてみてください。本当に文章力が変わります。(もちろん話すときにも使えます。その話はまた今度。)

Point(結論)からはなすことで、相手の想像する道筋を作ってあげることができます。その上で、想像以上のことができるようになるわけです。

Reason(理由)では、Pointを補強する内容がきます。ここでは、説得力を持たせることが重要になります。

Example(具体例)では、実際にあったことなどを話す形になります。ぼくはReasonの補強と捉えています。

そして、最後にもう一度Point(結論)を話すことで、ゴールを明示してあげることにつながります。

そんなことを意識して第1を読み直してみてください。少しわかりにくいですが、なんとなく分かると思います。

実際にぼくが書いたPREP法の文章を載せておくので興味があったら読んでみてください。

「学生時代に頑張ったことは、2つの「そうぞう」です。Point

それは大学生活の中で「想像」と「創造」が重要だと思い、より実践的に取り組んでいく必要があると考えたからです。Reason

「想像」は、大学生活の中で「この表現だと相手にどう伝わるのか」ということを常に考え、それが生徒を対象にしたものから同級生に対するものになっていきました。「想像」する力がついたことで相手の立場になって考えることができ、客観的な視点から提案などをできるようになりました。Example1

「創造」は、演習の講義を進めていくうちに質の高い意見を提示しなければならず、そのために「新しいものを生み出す」ということが必要になると意識していました。全員が満足できるものを創り出すには一人の力だけでなく、協力が必要だと感じるものになり、学生生活で新たな力をつけられました。Example2

こういった活動を通して違う視点で物事を捉えていく「そうぞう力」をつけられたと考えています。Point」

この文章は、就活の際に使っているESを貼り付けたものなので、いくつかの企業の人事はこの文章を見ていることになります。古いものなので、最近取り入れた方法が入っていないですが、その方法はつぎに紹介しますね。

では、まとめといきましょう。第2は「PREP法で説得力を持たせよう」です。

文の中からいらない要素をできるだけ排除する

これで最後です。

読む方はできるだけストレスなくスムーズに読みたいと思っています。

なので、ぼくが実践している文をスムーズに読めるようにする方法を教えます。

「文の中から「~ということ」や「~というもの」をなくす」です。

めちゃくちゃ簡単に思えるのですが、やってみるとこれが難しかったりするんです。

では、例文を出すので読んでみてください。

「学生時代に頑張ったことは、2つの「そうぞう」です。

それは大学生活の中で「想像」と「創造」が重要だと思い、より実践的に取り組んでいく必要があると考えたからです。

「想像」は、大学生活の中で「この表現だと相手にどう伝わるのか」を常に考え、それが生徒を対象にしたものから同級生に対するものになっていきました。「想像」する力がついたことで相手の立場になって考えることができ、客観的な視点から提案をできるようになりました。

「創造」は、演習の講義を進めていくうちに質の高い意見を提示しなければならず、そのために「新しいものを生み出す」が必要になると意識していました。全員が満足できるものを創り出すには一人の力だけでなく、協力が必要だと感じるものになり、学生生活で新たな力をつけられました。

こういった活動を通して違う視点で物事を捉えていく「そうぞう力」をつけられたと考えています。」

さきほどのPREP法であげた文章と同じですが、どちらの方が読みやすかったでしょうか?

実は少し文章をいじりました。この文章を書いた当時はまだ意識していなかったからですね。

消した文字は12文字ですが、されど12文字です。これだけ変わってきたら、実践する価値はあると思います。

ぼくはこの方法をとってから、ESが通るようになりました。ほぼ必中で。

騙されたと思ってやってみてください笑

最後は「ということ、というものをなくしてすっきりした文に。」

 

こんな感じで書くときに気をつけていることをがーっと述べてきましたが、文章力はどこでも大切ですね。大学の中でも、社会に出てからも。

これからももっと磨いていきたいと思います。

あ、そうそう。「本当に書けないから基礎の基礎から教えて」というひと向けの本があるので紹介します。

 

マジ文章書けないんだけど ~朝日新聞ベテラン校閲記者が教える一生モノの文章術~

マジ文章書けないんだけど ~朝日新聞ベテラン校閲記者が教える一生モノの文章術~

  • 作者:前田 安正
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2017/04/19
  • メディア: 単行本
 

 この本は良いですよ!!分かりやすく書いてあるので、ぜひ読んでみてください!

ぼくも持っているので、買うのはいやだなと言うひとは声をかけてもらえればお貸ししますので。

 

では、また今度。

「類地祐矢」ってどんなひと………?

お久しぶりです。凡人るいちです。

最後の更新から90日以上経っているということで、死亡説等も浮上していそうなので更新してみたいと思います。

話したいことはたくさんあるんですよ。書く時間がないというだけで…

7~11月にあったことを簡単に振り返っておきますね。

7月:大学で勉強

  インターンシップに参加し始める

  ブログの最終更新はこの頃か

8月:夏休みに入り、就活を本格化する(だいたいこの時点で15社くらい)

9月:教育実習で2週間自殺志願者になる

   車を購入

10月:大学が再開

   バイトも再開

   インターンシップも再開(20社を超えたくらい)

11月:大学でばたばた

   インターンシップを継続(今後の予定も含めてのべ30社くらい)

 

思った以上に忙しかったですね…

ぼくのカレンダーは毎日のように色がついているのカラフルです笑

 

さて本題といきましょう。毎回長すぎる前振りなので…

今更ですが、「類地祐矢」という人物をもう少し知ってもらおうと思って今日は書きます。ただし、勘違いしないで欲しいのは「類地祐矢」と「凡人るいち」は違う人です。そんなことないやろ!というのはなしでお願いしたいです。

「類地祐矢」という人間ですが、一言で言うと「アンチが多い。のに気にしていない。」人です。

何でこんなにアンチが多いのかは分かりませんが、おそらく話し方が悪いのでしょう。

正直者なので、「悪いと思ったら悪いと言い、良いと思ったら良いと言う。」そういうことをしています。

なので、絶対に嘘はつきません。本当のことしか言ってないです。

正論の話し方がことごとくへたくそなだけです。だから、相手にとっては聞く気が起きないのでしょう。よく炎上しているらしいので。

 

じゃあ、変なやつなのかというと変なやつです。ここは間違いない。

どのくらい変なやつなのかというと、ぼくは「類地祐矢」以上に変なやつを見たことはないです。

どこが変なのか。それはもう全部変なんです。

たとえば、考え方も「嫌いなものはすべて好きになるように変えていく」みたいなひとだし、発言も「やけに論理的で反論したくなくなる」し、行動も「楽しいことなら何でもやる」し、休みの日は「18時間ぐらい寝る。そのあと散歩。」だし。

何で生きてこれたのか正直分からない人なんです。「類地祐矢」ってやつは。

 

でも、実は良いところもあるんです。たまにだけど…

「めちゃくちゃポジティブ」だし、「知識と情報で下手な経験は軽く凌駕する」し、「まじめでこつこつものを進める」し、「やると決めたときの責任感は誰よりもすごい」し、「一つのものにかける熱量はめちゃくちゃ高い」し、「優しい」し…

挙げればきりがないほどなんです。それを上回るマイナスというだけで。

 

少し長々としているのでまとめましょう。

「類地祐矢」のここがすごい

・ポジティブ

・知識と情報量の塊

・まじめ

・責任感が強い

・熱い男

・発想力がたかい

・優しい

・たまに面白い

「類地祐矢」のここがダメ

・やる気が起きないとやらない

・正論だけで創られた話

・異常に論理的

・意見を曲げない

・人との関係構築をする気がない

・正しいと思うことしかしない

・組織に対するあきらめが早い

・考えていることを表に出さない

・自由度が高くないと手を抜く

 

こんな人間なんです。誤解されることが多いけど、(まだ)普通の人間だと思っているようだし、感情だって(たぶん)あります。悩むことだって(自分の答えをすぐ出すからないように見えるけど)あります。

これからもどうか末永く「類地祐矢」という人間と付き合ってあげてください。

きっと、みなさんの人生に新しい刺激がもたらされると思いますよ…

 

↓質問や私の知っている「類地祐矢」はこんな人というのを書き込んであげてください

 

【余談】

いわゆる自己分析という記事です。

就活ではもっと深いところまでやっていますが、その話をすると長くなるので読みやすくするために短くしています。

分かりやすく例えると、この記事の内容は「ヨーグルトを開けると溜まっている液体」です。

実際は「ヨーグルト」がありますので、これで自己分析は十分だというわけではないです。

むしろ、「ヨーグルト」の方が重要です。思考の要因や行動の理由、感情の変化などがこれにあたります。(ぼくはひとつひとつに「何で?」を繰り返しています。)

どんな進路に進んでも、必要なことだと思うのでやってみてもいいかも知れません。

人生とは、なんなのか・・・

どうも、凡人るいちです。

前回の更新からだいぶ経ってしまいました…

車の契約だったり、銀行での手続きだったり、インターンシップだったり、スイーツをたべにいったり…いろいろと忙しい夏休みを送っていた訳ですが、考えてみたらもう1週間でぼくの夏休みが終わりを迎えるんですよね…

こんなはずではなかったんですけどね笑

でも、毎日が充実しているので後悔はないですよ!!

夏休み真っ只中の大学生が多いわけですが、充実していますか?楽しんでいますか?

ということで、そんな身近な話題からぐっと伸ばして、今回は「人生論」について考えを述べていこうかなと思います。

充実しているってどんな状態?

何事もまずは定義がはっきりしないと、考えることが出来ません。なので、まずは「充実」について考えてみましょう。

ただし、これは「今回はこのように決めた」というもので、「一般的に使えるものではない」事もあるのであらかじめご了承ください。

ふと、自分のことについて考えてみると、「充実」とは、「1日24時間を無駄なく使い切ること」のような感じでした。もちろん、他の人にとっては「大切な人と一緒にいること」が「充実」かもしれませんし、「やりたいことを好きなだけやる」ということが「充実」かもしれません。

人によって定義はばらばらになってしまうのですが、今回は総じて「自分の考えたことをすぐに実行できる環境があること」を「充実」の定義としましょう。

ということは、これからは「自分の考えたことをすぐに実行できる環境があること」について考えていくことになります。(当たり前ですけどね…)

この状態の人って一体どれくらいいるんでしょう…?

例えば、時間も必要になってくる、お金も必要になってくる、人も必要になってくる、場所も必要になってくる、となったときにどれだけが実行できる状況になっているのかということです。

分かりやすくいうと、「野球をしたいのに5人しかいないし、お金も道具も場所もない。」という状況を考えてみてください。おそらく出来ない状況だという判断になるでしょう。ただ、「18人そろっていて、お金も道具もある。」という状況なら、変わってくると思います。

そして、問題なのが、今の時代を生きる人の多くは「だいたい前者である」ということです。

つまり、ほとんどの人が「充実」していないんです。

さて、問題がはっきりしたところで、この問題について考えていきましょう。

どうやったら充実できるのか?

ここまで読んできていれば分かりますよね。「自分の考えたことをすぐに実行できる環境があること」を作ればいいわけです。

じゃあ、どうやって?

それは、時間を与えて、お金も与えて、人も増やして、場所も提供する。たったこれだけです。どうです?簡単でしょう?

でも、これって本当はめちゃくちゃ難しいことなんです。というか、ほぼ実現不可能だとすら思っています。

そうすると、「充実できないのか?」ということにつながってきます。

いえいえ、そんなことはないと思っています。だって、ほとんど同じ状況で「充実」してきた経験が私たちにはあるのですから。

ぼくたちが「充実」するためには、「今の状況を変える」のではなく、「今の状況で楽しむ」ということが必要になってくるわけです。

例をあげると、「小学生の時のサッカー」ですかね。あのときって、わざわざ22人集まるまで待たなかったし、道具もボールだけで十分でしたよね。それ以外の道具はその場にあるものを使って楽しんでいたはずです。

これって、大人になると忘れてしまうものだと思います。分かっていてもやらなくなるんです。

つまり、ぼくたちが自分から「充実」からはなれていっているわけです。

ここに「充実」を得るためのヒントが隠されています。要は、子ども時代に戻ればいいわけです。それが出来れば全員が一気に「充実」に近づくはずです。

そもそもぼくたちは充実したいのか?

さて、最後に本題の「人生論」のお話です。

生きている以上、ぼくたちには「しあわせになりたい」というような願望があるはずです。分かりやすくいえば、「目標」です。

「目標」があるということは、それを達成するための「手段」があるはずです。

「充実」とは、この「手段」の中にあるものだと考えています。

つまり、人間は「目標」がある以上、「充実」が必要ということです。

「目標」のために多くの「充実」を見つけていくことが「人生」である。ともいうことが出来ると思います。

「目標」がある人間が、「充実」を望まないわけがないんです。

でも、そこにもう一つの落とし穴があります。それが「目標のない若者」です。

ぼくには「目標」(どちらかというと「志」ですが)があります。それは「すべての人を今よりもしあわせにすること」です。そのために、(悪い言い方ですが)利用できる企業を探しているというわけです。

しかし、多くの人はこの「目標」を話すことが出来ないのです。

ここで気をつけて欲しいことは、「将来の夢ではない」ということです。

ぼくは教員志望の学生が多く通うところで勉強しているわけですが、「教員になりたい」ということは、決して「目標」ではないです。あくまで「手段」であり、「充実」を得るためのものです。「何のために教員になりたいのか」を考えることが「目標」になっていきます。

これが曖昧な人が多くいるからこそ、「充実」したいと思っている人が少なく見えてしまうということになります。

ゴールのないマラソンをするよりも、ゴールのあるマラソンをする方がよっぽど楽だと思いませんか?

まずは「目標を創ること」や「自分の生きている意味を確定させること」をしてください。

「目標」さえあれば、どんなことをしていたって「充実」につながってくる。そんな風に考えていたりします。

それが一人ひとりの「人生」を作っていくのだと思います。

 

おわりに、少し前にインターンシップで出会った同い年の学生と3時間ほど雑談をしていました。そのときに出たのがこのような内容です。

アンパンマンのOPに「なんのためにうまれて、なにをしてよろこぶ」という歌詞があります。これを考えてみることから「人生」を始めてはいかがでしょうか。

考える力がついてきて、いろいろな情報があふれている社会だからこそ、初心に立ち戻る必要があるのかも知れません。

それでは、またいつか…

【今回の記事についての感想や意見、リクエストなどはこちらへどうぞ】

今必要な力って…?

遅くなりました。インターン終わってから疲れ果てて寝てました。

凡人るいちです。

今回は「今必要な力」について話していきたいと思います。

 

インターンに多く参加させてもらっている訳ですが、そこで多くの就活生と出会うことがあるわけです。その中でもすごいなという人がたいてい持っている能力と今のぼくが意識している能力、そして最後に企業の人から言われる必要な能力についての3つをお話しします。

 

就活生が持っている力

まず一つは、プレゼン力です。

何をどれを使ってどのように話すのかということを端的に伝えているということです。これが出来る人って多くはないんですよね。

つけるためには多くの練習をする必要があるわけですが、その機会をしっかり見つけてものにすることが必要になると思います。

そして、つぎは行動力です。

「即判断、即実行」ということが出来るということです。目標を持っていてそれに向かって行動することにどのような苦労があってもそれをいとわないという覚悟もあると思っています。

 

ぼくが意識している力

大きく2つあります。

1つ目は想像力です。これは経産省が出している「社会人基礎力」のなかに含まれている力でもあるのですが、ぼくがやっているのは「すぐ考えてそれを形にするためにものを創っていく」ということです。

これと同時に、「一つのことについてちがうみかたをするということ」です。ラジカルシンキングということです。ここから新しいものや付加価値がうまれる事が多いためです。

2つ目は影響力です。難しいことではあるのですが、自分の考えを自分の言葉で伝えるということです。ということは、その前に「自分の意思・意志がはっきりしている」ということでもあると思っています。それがない人はどれだけ話しても影響力はつかないとも思っています。だから、考え抜いて自分と向き合うこともしています。

 

企業が求めている力

これは企業によって異なるわけですが、どこでも変わらないのは先ほども挙げた「社会人基礎力」というものです。確か17くらいあったと思いますが、そのうち一つでも武器にして欲しいわけです。一つの目標に向かって経験を積むことが必要ということになります。

 

今日は少し雑な記事になってしまったのですが、少しでも刺激になれば良いなと思います。

そして大事なのは「大学に入ったときの力はどこの大学でも変わらない」ということです。そこからどのように経験をして、どのように学びへとつなげていったのかということです。

今からでも遅くはないですし、挑戦をたくさんしていってもらいたいなと思います。

また、明日も記事をあげようと思うので読んでもらえたら良いなと思います。

それではまた明日!

続・恋愛について

どうも、凡人るいちです。

ここのところ今までよりも良いペースで投稿している気がしているのですが、今まで休んでいた分の反動と言うことでお付き合いください…

また、ふとしたタイミングで休むことになると思いますので…

今回の記事は初めてtwitterのアンケート機能使って決めた記事になります。

「続・恋愛について」

前回の恋愛についてはこちらです。先に読んでから来てもらえるとより分かるかもです。
ruiyuu-zatsugaku-jiji-1998.hatenablog.jp

 今回の記事と前回の記事の大きな違いは「実際に経験したかどうか」ということだと思っています。

前回の段階で「経験もしていないのにようこんなに書けたな」と思ったりしているんですけど、もう少し書いてみようかなということで書いていきます。

あ、そういえばこんな質問も来ていましたねぇ…

この2つですね…(ぼくのTLって質問箱とブログのことしかないな!?おかげで探すのが大変だった…)

 どっちも話していくので、質問した人はぜひ見るんだぞ…!!

恋愛について ー経験してみてー

まずはこちらからいきましょう。

以前の記事では、「恋はシェアしたいもので、愛は独占したいもの」って書いた気がしましたが、今よくよく考えてみると「likeはシェアしたいもので、loveは独占したいもの」の方がしっくりする気がしています。

今回は訂正として、経験してみて分かったことです。

結論から言うと「恋はほっとけなくなること、愛はほっておけるようになること」だと思いました。

恋しているときってなぜだか相手のことが気になって仕方ないんですよね。今何しているんだろう?とかとか…

かくいうぼくもそうでした…

まぁ、愛の方に関してはまだ経験していないのでなんともですが、恋したときに愛についても同時に考えたんですよね。「どこまでが恋でどこからが愛なんだろう?」って。

そしたら、「ほっておけるようになったらそれはもう愛だな~」って考えついたんですよね。だって、ぼくはこうやって簡単に「ほっておく」とか言っていますが、普通は難しいんじゃないんですかね?

「相手に気持ちは100%向いているのに、相手のことをほっておく」なんて常人じゃないわけですよ。なんでそれが出来るのかというと「相手のことを知っていて、信頼しているから」なんじゃないかなって。

よく「束縛が激しい」なんてことを聞きますが、それって「相手のことをどこかで信頼していない」んじゃないかなって思ったりしています。どこかに裏切る可能性があるんじゃないかって不安に思っているわけですから。

もう1つ考えられるとしたら、「自分に自信がない」ってことですかね…

こっちなら「早く自分に自信をつけてその人にとっての一番になるべき」だと思います。とはいっても、「その人にとっての一番だから付き合っている」とは思いますが、そのことについても早く気付くべきですね。(ここにおいて、「2番だけど付き合ってるわ~」みたいなのは全否定しています。それはなんか気にくわない…)

恋と愛の違いについてはこんな感じです。

だから、皆さんは自信を持っていくべきだとは思います。何事においても。

 

初恋の話

わりかし秘密主義なので、そこまで話すことはないのですが珍しく話しましょう。(話せる友達がいないとか言わないで…!!)

質問箱でも話したとおり、どこまでを初恋とするかによって話す内容が変わってきそうですね…

告白したくなったのが「初恋」ならまぁなんだ…あれですよね…

1つ言えるのは、気付いたら好きになっていましたね。他の誰にも渡したくない的な。

そして、絶対に幸せにするって思っていました。(これについては今でも思っていますが…)

ただそれだけです。面白くないでしょ?

人の話なんて往々にしてそんなもんなんですよ。

だから、別に未練はそんなにないです。(全くないって言えないのが弱いところです…)

思った以上に書くことなかったですね…ってか、何を話して良いか分からないです…

余談として、その初恋を通して分かったことを少し話して締めましょう。

ぼくって人の顔が覚えられないんだなぁ…って。だから、相手の顔も実は覚えてないんです…見れば分かるんですけどね…顔じゃなくて雰囲気で分かったりします。

なので、顔の好みとかがないんだなぁ…ってわかりましたね。

きれい事のように聞こえるかも知れないんですけど、ほんとに性格とか行動でしか惹かれないんだなぁ…と思っています。(そもそも顔を覚えられないんだから仕方ない。)

あと、ぼくって面倒くさいなって今更ながら思いました。何がってそりゃあもう全部?

 

まぁこんな感じで今回の記事は終わりにしましょうかね。

皆さんも相手がいるなら、自信を持って接してみてくださいね~

それでは、またいつか…