凡人るいちの徒然ばなし

徒然なるままに書いていこうと思います。ぼくの考えたことを多めに時事問題と絡めてお届けしようと思います。参考になるかも知れないし、ならないかも知れない。けど、ぼくへの見方は変わるかも知れない。

社会って「暗記科目」なの?

どうも、凡人るいちです。

今日は日曜日ですが、夏休みで暇なので普段ぼくが考えていることについて書いていこうと思います。(大学生の夏休みは丸2ヶ月もあり、陰キャ大学生であるぼくは後半やることがなくなってくるのです)

 

今回は、タイトル通り「社会は暗記科目なのか?」ということについておはなししていこうと思います。

結論から言ってしまうと、あくまでもぼくは「社会は暗記科目ではない」と思っています。その理由は、社会が暗記科目であれば他の科目全ては暗記科目だと思っているからです。

こういうことを他の人に言うと、「社会は暗記科目だけど、○○は違う!!」みたいに返されてしまうので、社会が好きなぼくにしてみればすごくショックなのです。

「社会が暗記科目ではない」ということについて詳しく話していこうと思います。

例えば他の教科について考えてみます。国語なら、「なぜ、敬語を話すことが出来るのか?」数学なら、「なぜ、100円の消費税が8円なのかを瞬時に求められるのか?」英語なら、「なぜ、こんにちはをhelloというと知っているのか?」理科なら、「なぜ、天気が西から変わっていくのを知っているのか?」といった感じです。(ここでは、生活に密着したものを例としています)

おそらく皆さんは、こう答えるでしょう。「そんなの、習ったからだよ」と。

ぼくからしてみれば、その「習った」ということ自体が「覚えた」と大差ないと思います。そしたら、どの教科だって「暗記科目」だと考えたっておかしなことではないでしょう。

しかし、実際は社会と他の4教科だと扱いが異なっているのです。

では、どうしてそういう状況になってしまったのでしょう?

ぼくは、同じ「覚えた」でも他の4教科は「体で覚えた」ものなのに対して、社会は「頭で覚えた」ということが多いから、「社会は暗記科目」という結論になると考えています。

社会という科目は、人生の経験的に“頭で覚える=暗記科目”という図式が完成してしまっているのです。社会に好き嫌いの差が出てしまうのもこういった背景が原因でしょう。社会が好きで教えたりしている人からしてみれば、嘆かわしい状況です。

ただ、社会という科目は最初にいったとおり「暗記科目」ではないのです。

18歳に選挙権が与えられたり、憲法改正云々が話題になっています。その中で、「頭で覚えていただけだから、何も知らない」で済むのでしょうか?ニュースで話題になっていることも「ただの騒音」と片づけてしまうのでしょうか?そんなもったいなく、意味のないことはないと思います。

確かに、社会はまず用語を知るということが必要になる科目ではありますが、そこからさらに考えないといけないことが多く用語を知っていただけでは何も役に立たないのです。だから、社会という科目は「暗記科目」ではなく、いうならば「思考科目」だと思います。

今後AIが発達すれば、計算をすることや言葉を話すこと、天気や災害を知ることが出来るかもしれません。だけど、AIには私たち人間のように「考えること」は出来ません。そうしたら、この後の社会で人間が生き残っていくためには何をしないといけないのかは考えられると思います。

AIや機械技術が発達している現代だからこそ社会」という教科の重要度は増していっていると思います。

覚えるだけでなく考えることが勉強や学問の本質なのではないのでしょうか。

 

ここまでの内容の全ては、あくまでもぼくの一意見でしかありません。これを読んでくれた人が、今後の社会という科目への向き合い方が少しでも変われば嬉しいです。

もちろん反論もあると思います。ぼくはそれでも構いません。むしろこの記事を読んで考えてくれているのだから大歓迎です。

 

それでは、また水曜日にお会いしましょう!!