凡人るいちの徒然ばなし

徒然なるままに書いていこうと思います。ぼくの考えたことを多めに時事問題と絡めてお届けしようと思います。参考になるかも知れないし、ならないかも知れない。けど、ぼくへの見方は変わるかも知れない。

真実はいつも1つ?

どうも、凡人るいちです。

最近はコロナウィルスの影響もあって、ほとんど外出できていない人が多いかなと思うのですが、そんな時のためにブログを更新をいつもより多めにしていけたら良いかなと思います。

この更新は裏でインスタライブをしながら書いているのですが、たまにはそうやって時間を使うのも交流できない中ではありなのかもしれないなと考えたりしています。

こういった非常時にも必要なことは、人と人とのつながりであって、正しい情報なんだなと感じています。

みなさんはこの1ヶ月何をしてすごそうと考えていますか?もしよかったら最後の質問箱におすすめの過ごし方とかも教えてくれると嬉しいです!あ、外出することはなしでお願いしたいです…

さて、今回はコロナウイルス関連で「情報」にフォーカスを当てたはなしをしていきたいと思います。

タイトルからお察しの方もいるかもしれませんが、某名探偵にけんかをうるわけですので最後まで楽しんで読んでいってもらえたらいいなと思います。

真実って何?

この話を進めて行く前に、「そもそも真実ってなにか?」をはなしましょう。

そして、同じように使われる言葉である「事実」の定義も確定させたいと思います。

まずは一般的な「真実」の解釈ですが、これはいつも通り大辞林新明解国語辞典を参照しておきます。

大辞林:うそいつわりのないこと。ほんとうのこと。また、そのさま。

新明解:あらゆる点からみて、それだけが偽ったり飾ったりしたところの無いそのものの本当のすがたであるととらえられる事柄(様子)。

うそいつわりなく、心からそう思っている様子。

という意味解釈が出てきます。

また、「事実」の意味解釈では、

大辞林:現実に起こり、または存在する事柄。本当のこと。

新明解:実際にあった事柄としてだれもが認めなければならないこと。

というものが掲載されています。

大辞林ではどちらも同じような意味で書かれていますが、新明解では真実と事実の間には明確な違いがあるような書き方がされていますね。

ぼくの解釈は新明解国語辞典のものに近いのですが、

真実:自分が見たもの。主観的な判断。

事実:自分以外も見たもの。客観的な判断。

と考えています。

このように考えているので、ぼくは真実よりも事実を重んじています。

さて、今回はぼくの真実と事実の定義を用いてここからの話を展開していこうと思います。

 

真実はいつも1つ?

本題に入る前に先ほどの章の最後に書いた定義をもう一度確認しておきましょう。

真実:自分が見たもの。主観的な判断。

事実:自分以外も見たもの。客観的な判断。

 

では、「真実」はいつも1つなのでしょうか?

ぼくは「真実はいつも1つではない」と考えています。

理由は定義にも載せたとおり、「真実とはきわめて主観的なものだから」です。

どういう意味か分からない方もいると思うので、簡単な例を提示しておきます。

「あるカップルがいます。彼氏(Aさん)は彼女(Bさん)とつきあい始めてちょうど1年の記念にプレゼントを贈りたいと考えていました。しかし、Aさんはここ最近のはやりや女性がほしがるものが分からなかったため、友人の女性(Cさん)に一緒に選んでくれるように依頼しました。翌日、プレゼントを買いに行くAさんとCさん。その光景をたまたま友人と買い物に出かけていたBさんが目撃してしまいます。もともと、AさんとCさんが仲がよいことを知っていたBさんはその光景を見て、『AがCと浮気をしている』と考えました。そして、Aさんの帰ってきたアパートでBさんはAさんを殺害してしまいます。・・・」

といった話があったとしましょう。(実際に起こらないことを祈るばかりですが…)

この話の「真実」と「事実」を整理してみましょう。

「真実」(それぞれの視点で異なるので、異なったものが2つあります。)

Aさん:友人の女性Cさんとプレゼントを買いに行った

Bさん:AさんとCさんが浮気をしている。

「事実」(それぞれの視点で異ならないので、共通したものが1つ以上あります。)

AさんがCさんと出かけている。

(AさんはBさんに殺害された。)

このようになるかなと思います。

ここで大切なのは、「真実がいつも1つであったなら、この事件は起こらなかった」ということです。

この話において、「真実」が2つ存在してしまった。そのことが、この事件を引き起こしてしまったわけです。

そして、Bさんの真実はきわめて主観的で、短絡的なものであったと言えるでしょう。だって、「帰ってから問い詰める」ことも「勘違いかもしれないと思う」ことも「何かの帰りかもしれないと考える」ことも(客観的に見れば)できたのですから。

さて、この話ではBさんが悪いと考える人が大多数だと思います。(一定数、女と出かけたAさんが悪いと考える人もいるかもしれませんが…)

しかし、現実では「真実」が異なるためにどちらが悪いと判断を下せない状況がたくさんあります。

だからこそ、普段はあまり目にしようとしない「事実」に注目したら良いのではないでしょうか。

今回のこの例において、「事実」だけ捉えれば、事件にはならなかったのではないかと思います。また、「事実」は1つなのだから疑いようのないことでもあります。

みなさんには、この「事実」を基に価値判断をしてもらいたいです。

最後に、「事実」を用いた価値判断の方法をお話しして終わりましょう。

 

事実で判断するために

「事実」で判断するために大切なことが3つあります。

1:自分と他人の感情を除くこと

2:主体(主語)をはっきりさせること

3:1つの事象を複数の視点で捉えること

この3つが重要になります。

1についてですが、「感情」というのは良くも悪くも主観的なものです。

例えば、1人の女性を見て、「かわいい!!」と思う人もいれば、「かわいくない!!」と思う人もいるわけです。そして、同じ「かわいい!!」と言う人の中でも、「目がかわいい」のか「声がかわいい」のか…と違いが明確にあるわけです。

この「感情」には「真実」が紛れ込んでしまうので、排除して考えましょう。

また、「感情」かどうか見極めるために必要なことは「形容詞(かわいい、きれい、楽しい、面白い…)が入っているかどうか」と「副詞(とても、すごく…)が入っているかどうか」です。このフレーズが出てきたら、(面倒な人だと思われますが)「どこがそう感じたのか」を聞くことで「事実」に近づけます。

2については、そのままで主語が分からないと「真実」か「事実」か判断のしようがないからです。

例えば、「日本人は礼儀が正しい」というのは一見「事実」のように見えますが、「真実」でもあります。だって、日本人全員が礼儀正しければ、大きな問題は起こらないはずですから。(おそらく、この例文においては「真実」が強いかと思います。)

主語を普段から明確にすることが、誤解のない「事実」を伝えることが出来ると思います。

3については、主観的ではなく客観的になる方法です。

私たちの多くは1つのものを1つの視点でしか捉えません。

例えば、車を見たときに(普通であれば)「車」と思うはずです。(それ自体は「事実」です。)それを視点をいくつも持って他の見方をしてみようということです。

そうすれば、「殺人兵器」と考えることもあれば、「人生の中でかなり金額が高いもの」と考えることともできます。(これがいわゆるラテラルシンキング=水平思考です。)

これらの方法によって、「事実」のみを抽出できるようになるのではないかと考えています。

もちろん、他の人とのディスカッションが大切になるわけですので、お互いの「事実」を共有して、一段上の「事実=共通見解」に結びつけていくことも必要です。

このようにして、みなさんのまわりにあふれる情報を「真実」と「事実」に分けてみてください。(このブログは「真実」にすぎません。)

そして、「事実」も大切にしながら、「真実」にも耳を傾けることをお忘れなく。

 

それでは、今回の記事はこれくらいにしておきましょう。

コロナウイルス関連の情報が錯綜していて、SNS等では様々な罵詈雑言が飛び交っていますが、こういったときに必要なことが「メディアリテラシー」であり、「自分自身の判断軸」です。

決してまわりに流されず、思考していってください。そして、月並みですが、不要不急のが移出は避けましょうね…

あと、ブログをしながらのインスタライブですが、めちゃくちゃに効率が悪かったのでもうしません…笑

 

こちらから、質問やリクエストを随時募集してます。どんどん書き込んでいってください。