凡人るいちの徒然ばなし

徒然なるままに書いていこうと思います。ぼくの考えたことを多めに時事問題と絡めてお届けしようと思います。参考になるかも知れないし、ならないかも知れない。けど、ぼくへの見方は変わるかも知れない。

みんな一緒で、みんな良い?

どうも、凡人るいちです。

四月も中旬に入って、春らしいことを一切せずにこのまま大型連休を迎えそうですが、こういった辛い時期こそ、近くの友人や遠くの親戚などと力を合わせて乗り越えていかないといけないと感じています。

いつも長くなってしまう前振りはこのくらいにしておいて、本題に早速いきましょう。

今回のテーマは「公正・公平・平等」です。

ぼく自身は今このテーマで書くことに意味があると思っています。この記事を開いてくださった方は最後まで読んでいただけると幸いです。そして、自分の意見を明確に持ってもらえたら良いなと思います。

headlines.yahoo.co.jp

今回はこのニュース記事からの話でもありますが、みなさんは特段読む必要はありません。

問題はこのニュース記事のコメント欄にあります。

本当に助けが必要な人に早くお金が回るようにするよりも、必要ない人が得をすることが許せないという感覚は大問題。
みんなで等しく不幸にならないと気が済まないのかな。必要な人にとってはスピードが命だから、結果のアンバランスには目をつぶらないと。」(原文ママ)といったコメントが投稿されていました。

このコメントが良いか悪いかはさておき(ぼく自身は特に悪く思っていません)、論点としては、「平等であるべきか、公平であるべきか」ということだと理解しました。

おそらく、松田さんは「支給は平等であるべき」と考え、コメントした方は「支給は公平であるべき」と考えていたのでしょう。

では、この2つの似た言葉にはどのような違いがあるのでしょうか。そして、そこに「公正」というもう1つの似た言葉を付け加えると何が変わるのでしょうか。

 

公平・平等・公正の違い

今回もいつもと同じく、3つの言葉の辞書的意味を載せてから始めます。

 

公平

大辞林:かたよることなく、すべてを同等に扱うこと。

新明解:(問題になっているものを)自分の好みや情実などで特別扱いする事が無く、すべて同じように扱うこと。

平等

大辞林:差別無く、みなひとしなみであること。

新明解:その社会を構成する、すべての人を差別無く待遇すること。

公正

大辞林:かたよりなく平等であること。公平で正しいこと。また、そのさま。

新明解:特定の人の利益だけを守るのではなく、だれに対しても公平に扱う様子だ。

 

こうやって並べてみると分かることですが、公平と公正は似たような意味で、そして平等はまた違った毛色があると分かるのではないでしょうか。

ぼくは大学生なので、授業で教わったことを引用させてもらいます。

「2mの高さの壁があったとする。その前に身長100cm、120cm、150cmの子どもたちがいたとする。3人ともこの壁の向こうの景色を見てみたい。しかし身長が足りなくて見ることができない。」という状況があったとします。(よく分からない方は絵で描いてみてください)

こういった状況の時、「公平」と「平等」(公正は判断レベルのことなので除外します。)

「公平」では、「全員に110cmの台を渡すからそれで向こう側を見なさい」とします。

「平等」では、「100cmの子には110cm、120cmの子には90cm、150cmの子には60cmの台を渡すからそれで向こう側を見なさい」とします。

これが、分かりやすい「公平」と「平等」の違いだよ。と教わりました。

さて、お気づきの方もいるとは思いますが、どちらにも問題があるようです。それを次の章であげていきましょう。

 

公平・平等の問題点

先ほどの例が分かったという方はこのままお進みください。まだ、ぼんやりしているという方はもう少し考えてみてからこの先に進んでください。

ここでは問題点を挙げて、それがどうして起こるのか。ということまでお話しできれば良いと思っています。というのも、本来であれば、「解決策の提示」まで行うべきなのですが、それは大変難しいです。実際にできていればこの記事を書く必要もないことだと思います。

とはいえ、みなさんには「こういった問題がある」と認識してもらいたいです。それが、今後の政策等を判断するにあたって「重要な指針」になる可能性があるからです。

では、問題点の列挙といきましょう。

公平の施策での問題点は、「見ている高さが変わってしまう」ということです。

身長が高い方が高い視点から壁の向こうを見ることができ、低い方は低い視点からでしか壁の向こうを見ることができません。

そうすると、身長が低い方は身長が高い方に向かって「お前だけそんな高くから見られるのはずるい」というでしょう。主張はもっともなのですが、高い方は「そんなこと言われても…」と困惑してしまいますね。

これが公平の問題点です。そして、この問題は「支援を受ける側」で生じる問題点です。

次に、平等の問題点です。

平等の施策の問題点は「全員もらえる高さが違う」ということです。

最終的な高さはみんな210cmで同じなので、3人は納得していると思います。(たぶん)しかし、まわりの大人から見ると、「同じ事をしているのに違う支給なのはおかしくないか」と考えるかもしれません。

そうすると、大人たちは支給した人に向かって「何で別々なものにしたんだ」というでしょう。すると支給した人は「そう言われてもな…」と困惑してしまいそうです。

これが平等の問題点です。そして、この問題は「支援を受けているのを見た側」で生じる問題点です。

当然人間の心理としては「みんな一緒でみんな良い」がいいと考えています。しかし、それが視点が変わると上手く機能しなくなってしまうのです。

だって、公平の問題点は「支援を受けているのを見た側」としては特段問題に思わないし、平等の問題点は「支援を受ける側」にとってはどうでも良いことですから。

 

公平・平等・公正についてのぼくの意見

ぼくは「公平であるべきか、平等であるべきか」論争については「支援を受ける側」の意見を採用したら良いと思っています。そしてそれは「公正に判断されるべき」です。

理由は、困っている当事者は「支援を受ける側」であって、「支援を受けているのを見た側」ではないからです。

しかし、世の中はそう簡単にいかないのが実情で、「支援を受ける側」と「支援を受けているのを見る側」が同じ人ということが十分あり得ます。

今回のお金の件に限らずですが、「所得減者に30万給付」の時は「支援を受ける側」が文句を言い、「一律給付」の時は「支援を受けているのを見る側」が文句を言う。そして、当事者たちは視点が変わっているのに気付いていない。

そんなことが起こっているような気がします。

また、政府も「支援を受ける側」にいちいち伺いたてをしている時間はありません。(それはコロナ禍だけではありません)だから、選挙をして、「国民の総意」を聞いているわけです。そこで投票もしないで批判をしているような方々は自分の所にブーメランしていると気付いてほしいものです。

これらを加味した上で、「公正に判断する」ことがされていれば良いなと考えています。そうしないと「独裁」と何ら変わりがありませんから…

 

今回は久しぶりに時事問題に触れて書いてみましたが、こんな状況だからこそ「政府批判」ではなくて、「国民共生」をはかっていきたいものだなと感じています。

それでは、またいつか。

 

今回の件についても、それ以外についても意見を募集しております。ぜひ書き込んでください。