凡人るいちの徒然ばなし

徒然なるままに書いていこうと思います。ぼくの考えたことを多めに時事問題と絡めてお届けしようと思います。参考になるかも知れないし、ならないかも知れない。けど、ぼくへの見方は変わるかも知れない。

行動すること、あきらめること

お久しぶりです。凡人るいちです。

前回更新から日が空きすぎていつも通りの文章が書けるのか非常に心配ではありますが、内容的には大差ないようにしていきたいと思いますので、最後まで読んでもらえればと思います。

今回のテーマは「行動」と「あきらめ」です。

全く正反対と思われる言葉ですが、関連するところがあると思って設定してみました。

ぼくが大切にしていることでもあるので、それを忘れないように書き残しておく意味もありますが。

それでは本編に移っていきましょう。

 

行動することとそのパターン

まずは、「行動」について書いていきます。

一般的には「行動」は2つに分けられています。

「考えてから行動する」と「行動しながら考える」です。

前者は、失敗しないように考えてから行動するもので、特徴としてはリスクを事前に回避することができますが、その反面で行動を開始するまでに長い時間がかかってしまうことが問題になります。

後者は、失敗を顧みずどんどん挑戦しながら理由を考えるものです。この特徴は行動量と時間は短くて済む良さがありますが、失敗の回数が増えてしまうことが問題になっています。

では、どちらのほうが良いのでしょうか?

この2つについては、時代によって良いとされるものが変わってきています。

少し前の日本の社会では、「考えてから行動する人」が求められていました。それは、少ない資源でより良いものを作るためには設計段階から良いものを作り上げなければならないためです。

ところが今の日本では(日本以外でもそうですが)、「考えながら行動する人」が求められています。それは、情報化が高度に進展した社会では1分1秒の時間も無駄にできず、絶えず変化し続けていて、それに対応する必要があるとなると自然と行動も早くしなければいけません。すると、失敗が目立つよりも行動量と速度が求められていくのでこちらの「行動」が優遇されるわけです。

ここまでが一般論の話ですが、ぼくはここに少し疑問があります。それは「なぜ、0か100でしか評価されないのか」「行動後の考える作業はないのか」の2つです。

そもそも評価軸が、良いと悪いの2択しかないのも不満です。好手か悪手かしかないなんて普通はありえないはずです。

なので、ぼくがしたいと思う「行動」は「考えてから考えながら行動して考える」です。

思考の回数が少ないのであれば、単純に増やすしかないと思っています。でも、リスクは極限まで減らしておきたい。じゃあどうするか?頭と体を分離させればいいわけです。

実際にぼくがこの「行動」をしたと思う例を挙げておきます。(なぜ「と思う」なのかは、その段階ではそんなこと考えて行動していないので、振り返りの結果となるためです。)

この前お話しした団体の結成などはこれに近い状態でした。

時系列的に話すと、去年の11月ごろに①団体の結成を思いついて、そこからはひたすらに練り上げをして、理念や指針などを固めていく時期としていました。4月ごろになって、就活は落ち着き、コロナ禍にも慣れてきたところで、②もう一度考えをまとめなおし、メンバー集めから始めて結成をした流れになります。そして、活動のたびに、③「次はどうするか?」や「何がいけなかったか?」などを考えて、次に生かす。といった形です。

もちろん活動の最中にも、④時間配分や適切な進行などについて考えているところですが、まだまだ答えは出ません。

ぼくの目指している「行動」と照らし合わせると、①と②が「考えてから」、④が「考えながら行動」、③が「行動して考える」となります。

あくまでぼくが思っているだけですが、この思考パターンにはまった時は失敗をしたことがないです。いわゆる勝ちパターンですね。

では、そんな勝ちパターンを持っているぼくがなぜ「あきらめ」を「行動」と一緒に並べるのかについて答えていきます。

 

あきらめることの大切さ

さて、先ほどは「考えてから考えながら行動して考える」で失敗したことはないといいましたが、それでも「あきらめている」ことはたくさんあります。

それはなぜか?実は「行動」している最中に「あきらめる」選択もとっているためです。ちょっとよくわからないですよね。

うまく言葉にできるかわからないですが、できるだけ伝わるようにやってみますね。

「人前で話す」という行動をとるときに「関西弁で話す」と「標準語で話す」という選択肢を頭に思い浮かべます。その際に「関西弁で話す」を選択すると、もう一方はあきらめたことになります。そのあとに「関西弁でゆっくり話す」と「関西弁で早く話す」の2つの選択肢を頭に思い浮かべます。そのうちどちらか一方を選びます。・・・・・を永遠に繰り返していくわけです。

つまり、「選ばれなかった選択肢だけで話すことができるのにそれをあきらめた」ということです。この「あきらめ」はできるだけ早く行う必要があるので(話している最中に決めないといけないので)、自然と「あきらめる」も増えていくわけです。

もちろん選択の基準はありますが、ほとんどはノリと勘です。選択の基準になるのは経験則なので、この思考法をしている人によって変化していくものとなります。

 

まとめて…

ここまでながながと書いてきたわけですが、言いたいことは2つだけ。

1つは「行動と考えるとあきらめるは常に行うこと」。

もう1つは「考える前にあきらめないこと」。

あきらめるはあくまでも、前進するための手段です。結論ではありません。それは行動も同じです。

車で例えるなら、「行動」も「あきらめる」もエンジンです。ブレーキは「考える」です。ブレーキなしには車は安全に走れません。このブレーキが強いか弱いかはその人の「思考力」次第です。

その思考力については次回の記事で詳しく書くことにしましょう。

皆さんも「行動」と「あきらめる」と「考える」のバランスを保って生存していきましょう。

 

↓質問や意見、感想等はこちらまで

 

↓前回の記事です。読んでいない方はこちらもどうぞ。
ruiyuu-zatsugaku-jiji-1998.hatenablog.jp