凡人るいちの徒然ばなし

徒然なるままに書いていこうと思います。ぼくの考えたことを多めに時事問題と絡めてお届けしようと思います。参考になるかも知れないし、ならないかも知れない。けど、ぼくへの見方は変わるかも知れない。

人生とは、なんなのか・・・

どうも、凡人るいちです。

前回の更新からだいぶ経ってしまいました…

車の契約だったり、銀行での手続きだったり、インターンシップだったり、スイーツをたべにいったり…いろいろと忙しい夏休みを送っていた訳ですが、考えてみたらもう1週間でぼくの夏休みが終わりを迎えるんですよね…

こんなはずではなかったんですけどね笑

でも、毎日が充実しているので後悔はないですよ!!

夏休み真っ只中の大学生が多いわけですが、充実していますか?楽しんでいますか?

ということで、そんな身近な話題からぐっと伸ばして、今回は「人生論」について考えを述べていこうかなと思います。

充実しているってどんな状態?

何事もまずは定義がはっきりしないと、考えることが出来ません。なので、まずは「充実」について考えてみましょう。

ただし、これは「今回はこのように決めた」というもので、「一般的に使えるものではない」事もあるのであらかじめご了承ください。

ふと、自分のことについて考えてみると、「充実」とは、「1日24時間を無駄なく使い切ること」のような感じでした。もちろん、他の人にとっては「大切な人と一緒にいること」が「充実」かもしれませんし、「やりたいことを好きなだけやる」ということが「充実」かもしれません。

人によって定義はばらばらになってしまうのですが、今回は総じて「自分の考えたことをすぐに実行できる環境があること」を「充実」の定義としましょう。

ということは、これからは「自分の考えたことをすぐに実行できる環境があること」について考えていくことになります。(当たり前ですけどね…)

この状態の人って一体どれくらいいるんでしょう…?

例えば、時間も必要になってくる、お金も必要になってくる、人も必要になってくる、場所も必要になってくる、となったときにどれだけが実行できる状況になっているのかということです。

分かりやすくいうと、「野球をしたいのに5人しかいないし、お金も道具も場所もない。」という状況を考えてみてください。おそらく出来ない状況だという判断になるでしょう。ただ、「18人そろっていて、お金も道具もある。」という状況なら、変わってくると思います。

そして、問題なのが、今の時代を生きる人の多くは「だいたい前者である」ということです。

つまり、ほとんどの人が「充実」していないんです。

さて、問題がはっきりしたところで、この問題について考えていきましょう。

どうやったら充実できるのか?

ここまで読んできていれば分かりますよね。「自分の考えたことをすぐに実行できる環境があること」を作ればいいわけです。

じゃあ、どうやって?

それは、時間を与えて、お金も与えて、人も増やして、場所も提供する。たったこれだけです。どうです?簡単でしょう?

でも、これって本当はめちゃくちゃ難しいことなんです。というか、ほぼ実現不可能だとすら思っています。

そうすると、「充実できないのか?」ということにつながってきます。

いえいえ、そんなことはないと思っています。だって、ほとんど同じ状況で「充実」してきた経験が私たちにはあるのですから。

ぼくたちが「充実」するためには、「今の状況を変える」のではなく、「今の状況で楽しむ」ということが必要になってくるわけです。

例をあげると、「小学生の時のサッカー」ですかね。あのときって、わざわざ22人集まるまで待たなかったし、道具もボールだけで十分でしたよね。それ以外の道具はその場にあるものを使って楽しんでいたはずです。

これって、大人になると忘れてしまうものだと思います。分かっていてもやらなくなるんです。

つまり、ぼくたちが自分から「充実」からはなれていっているわけです。

ここに「充実」を得るためのヒントが隠されています。要は、子ども時代に戻ればいいわけです。それが出来れば全員が一気に「充実」に近づくはずです。

そもそもぼくたちは充実したいのか?

さて、最後に本題の「人生論」のお話です。

生きている以上、ぼくたちには「しあわせになりたい」というような願望があるはずです。分かりやすくいえば、「目標」です。

「目標」があるということは、それを達成するための「手段」があるはずです。

「充実」とは、この「手段」の中にあるものだと考えています。

つまり、人間は「目標」がある以上、「充実」が必要ということです。

「目標」のために多くの「充実」を見つけていくことが「人生」である。ともいうことが出来ると思います。

「目標」がある人間が、「充実」を望まないわけがないんです。

でも、そこにもう一つの落とし穴があります。それが「目標のない若者」です。

ぼくには「目標」(どちらかというと「志」ですが)があります。それは「すべての人を今よりもしあわせにすること」です。そのために、(悪い言い方ですが)利用できる企業を探しているというわけです。

しかし、多くの人はこの「目標」を話すことが出来ないのです。

ここで気をつけて欲しいことは、「将来の夢ではない」ということです。

ぼくは教員志望の学生が多く通うところで勉強しているわけですが、「教員になりたい」ということは、決して「目標」ではないです。あくまで「手段」であり、「充実」を得るためのものです。「何のために教員になりたいのか」を考えることが「目標」になっていきます。

これが曖昧な人が多くいるからこそ、「充実」したいと思っている人が少なく見えてしまうということになります。

ゴールのないマラソンをするよりも、ゴールのあるマラソンをする方がよっぽど楽だと思いませんか?

まずは「目標を創ること」や「自分の生きている意味を確定させること」をしてください。

「目標」さえあれば、どんなことをしていたって「充実」につながってくる。そんな風に考えていたりします。

それが一人ひとりの「人生」を作っていくのだと思います。

 

おわりに、少し前にインターンシップで出会った同い年の学生と3時間ほど雑談をしていました。そのときに出たのがこのような内容です。

アンパンマンのOPに「なんのためにうまれて、なにをしてよろこぶ」という歌詞があります。これを考えてみることから「人生」を始めてはいかがでしょうか。

考える力がついてきて、いろいろな情報があふれている社会だからこそ、初心に立ち戻る必要があるのかも知れません。

それでは、またいつか…

【今回の記事についての感想や意見、リクエストなどはこちらへどうぞ】

今必要な力って…?

遅くなりました。インターン終わってから疲れ果てて寝てました。

凡人るいちです。

今回は「今必要な力」について話していきたいと思います。

 

インターンに多く参加させてもらっている訳ですが、そこで多くの就活生と出会うことがあるわけです。その中でもすごいなという人がたいてい持っている能力と今のぼくが意識している能力、そして最後に企業の人から言われる必要な能力についての3つをお話しします。

 

就活生が持っている力

まず一つは、プレゼン力です。

何をどれを使ってどのように話すのかということを端的に伝えているということです。これが出来る人って多くはないんですよね。

つけるためには多くの練習をする必要があるわけですが、その機会をしっかり見つけてものにすることが必要になると思います。

そして、つぎは行動力です。

「即判断、即実行」ということが出来るということです。目標を持っていてそれに向かって行動することにどのような苦労があってもそれをいとわないという覚悟もあると思っています。

 

ぼくが意識している力

大きく2つあります。

1つ目は想像力です。これは経産省が出している「社会人基礎力」のなかに含まれている力でもあるのですが、ぼくがやっているのは「すぐ考えてそれを形にするためにものを創っていく」ということです。

これと同時に、「一つのことについてちがうみかたをするということ」です。ラジカルシンキングということです。ここから新しいものや付加価値がうまれる事が多いためです。

2つ目は影響力です。難しいことではあるのですが、自分の考えを自分の言葉で伝えるということです。ということは、その前に「自分の意思・意志がはっきりしている」ということでもあると思っています。それがない人はどれだけ話しても影響力はつかないとも思っています。だから、考え抜いて自分と向き合うこともしています。

 

企業が求めている力

これは企業によって異なるわけですが、どこでも変わらないのは先ほども挙げた「社会人基礎力」というものです。確か17くらいあったと思いますが、そのうち一つでも武器にして欲しいわけです。一つの目標に向かって経験を積むことが必要ということになります。

 

今日は少し雑な記事になってしまったのですが、少しでも刺激になれば良いなと思います。

そして大事なのは「大学に入ったときの力はどこの大学でも変わらない」ということです。そこからどのように経験をして、どのように学びへとつなげていったのかということです。

今からでも遅くはないですし、挑戦をたくさんしていってもらいたいなと思います。

また、明日も記事をあげようと思うので読んでもらえたら良いなと思います。

それではまた明日!

続・恋愛について

どうも、凡人るいちです。

ここのところ今までよりも良いペースで投稿している気がしているのですが、今まで休んでいた分の反動と言うことでお付き合いください…

また、ふとしたタイミングで休むことになると思いますので…

今回の記事は初めてtwitterのアンケート機能使って決めた記事になります。

「続・恋愛について」

前回の恋愛についてはこちらです。先に読んでから来てもらえるとより分かるかもです。
ruiyuu-zatsugaku-jiji-1998.hatenablog.jp

 今回の記事と前回の記事の大きな違いは「実際に経験したかどうか」ということだと思っています。

前回の段階で「経験もしていないのにようこんなに書けたな」と思ったりしているんですけど、もう少し書いてみようかなということで書いていきます。

あ、そういえばこんな質問も来ていましたねぇ…

この2つですね…(ぼくのTLって質問箱とブログのことしかないな!?おかげで探すのが大変だった…)

 どっちも話していくので、質問した人はぜひ見るんだぞ…!!

恋愛について ー経験してみてー

まずはこちらからいきましょう。

以前の記事では、「恋はシェアしたいもので、愛は独占したいもの」って書いた気がしましたが、今よくよく考えてみると「likeはシェアしたいもので、loveは独占したいもの」の方がしっくりする気がしています。

今回は訂正として、経験してみて分かったことです。

結論から言うと「恋はほっとけなくなること、愛はほっておけるようになること」だと思いました。

恋しているときってなぜだか相手のことが気になって仕方ないんですよね。今何しているんだろう?とかとか…

かくいうぼくもそうでした…

まぁ、愛の方に関してはまだ経験していないのでなんともですが、恋したときに愛についても同時に考えたんですよね。「どこまでが恋でどこからが愛なんだろう?」って。

そしたら、「ほっておけるようになったらそれはもう愛だな~」って考えついたんですよね。だって、ぼくはこうやって簡単に「ほっておく」とか言っていますが、普通は難しいんじゃないんですかね?

「相手に気持ちは100%向いているのに、相手のことをほっておく」なんて常人じゃないわけですよ。なんでそれが出来るのかというと「相手のことを知っていて、信頼しているから」なんじゃないかなって。

よく「束縛が激しい」なんてことを聞きますが、それって「相手のことをどこかで信頼していない」んじゃないかなって思ったりしています。どこかに裏切る可能性があるんじゃないかって不安に思っているわけですから。

もう1つ考えられるとしたら、「自分に自信がない」ってことですかね…

こっちなら「早く自分に自信をつけてその人にとっての一番になるべき」だと思います。とはいっても、「その人にとっての一番だから付き合っている」とは思いますが、そのことについても早く気付くべきですね。(ここにおいて、「2番だけど付き合ってるわ~」みたいなのは全否定しています。それはなんか気にくわない…)

恋と愛の違いについてはこんな感じです。

だから、皆さんは自信を持っていくべきだとは思います。何事においても。

 

初恋の話

わりかし秘密主義なので、そこまで話すことはないのですが珍しく話しましょう。(話せる友達がいないとか言わないで…!!)

質問箱でも話したとおり、どこまでを初恋とするかによって話す内容が変わってきそうですね…

告白したくなったのが「初恋」ならまぁなんだ…あれですよね…

1つ言えるのは、気付いたら好きになっていましたね。他の誰にも渡したくない的な。

そして、絶対に幸せにするって思っていました。(これについては今でも思っていますが…)

ただそれだけです。面白くないでしょ?

人の話なんて往々にしてそんなもんなんですよ。

だから、別に未練はそんなにないです。(全くないって言えないのが弱いところです…)

思った以上に書くことなかったですね…ってか、何を話して良いか分からないです…

余談として、その初恋を通して分かったことを少し話して締めましょう。

ぼくって人の顔が覚えられないんだなぁ…って。だから、相手の顔も実は覚えてないんです…見れば分かるんですけどね…顔じゃなくて雰囲気で分かったりします。

なので、顔の好みとかがないんだなぁ…ってわかりましたね。

きれい事のように聞こえるかも知れないんですけど、ほんとに性格とか行動でしか惹かれないんだなぁ…と思っています。(そもそも顔を覚えられないんだから仕方ない。)

あと、ぼくって面倒くさいなって今更ながら思いました。何がってそりゃあもう全部?

 

まぁこんな感じで今回の記事は終わりにしましょうかね。

皆さんも相手がいるなら、自信を持って接してみてくださいね~

それでは、またいつか…

判断と認識の差の話

どうも、凡人るいちです。

珍しくやる気のある投稿頻度なのですが、休んでた分しっかり書かないとなのでね…

さて、今回は「判断と認識」の話をしていこうと思います。

皆さんは「判断力」ありますか?そして、「認識力」は持っていますか?

そんな話をしていきたいと思います!どちらも社会に出てからとても重要になるので…

 

判断力の話

最初にお話しするのは、「判断」の方です。これは前回ともつながる部分が少しあるので、先にやってしまおうということです。

実際には、認識→判断→行動の流れになるのですが、今回は逆から行こうというわけです。(前回が行動の話を少ししているので…)

判断をすること、されること

皆さんは判断したことはありますか? …ほとんどの方がしたことあると思います。言い換えるならば、選択なのでそういった意味では前回の話との共通点があるわけです。

では、反対に判断されたことはありますか? …これもほとんどの人がされたことがあると思います。要は選ばれるということなので。

人間はこの判断をどうやって行なっているのかというと、(脳科学的なことは分からないのでそこは調べて欲しいのですが)直感だと思っています。

これについては哲学思想の中でさんざん話になっていたことなので、ぼくも一哲学者気取りとしての考えです。

人は何かを判断するときに「その状態に近い何か」を想定してから「その際に取った行動をする」という判断をしていると思います。ただ、「その状態に近い何か」は自分の経験・知識の中に無数にあるものなので、それを抽出するのが「直感」というわけです。

その「直感」は、年齢を重ねるごとに遅くなっていくわけです。それはなぜか。機能が低下したわけではなく、「その状態に近い何か」が多すぎるからです。選ぶのに時間がかかりすぎるというわけです。

だから、ぼくは提案として「理性」による判断というものを出しておきます。

これは少し難しいですが、「良いか悪いかについて考えて行動する」というものです。文面だけでは簡単に見えるのですが、場合によっては好手になる場合もあれば、悪手になる場合もあるので難しいのです。

例として、「りんごが木になっている」状況を思い浮かべてください。そのときに皆さんが空腹で食べ物を探していたら、このりんごを食べるのは正解でしょうか?

答えは言わないでおきます。無数にあると思うので。

これは発言とかでも同じで「理性」による判断が最も大切になってくるのではないかと思います。

それができれば、「北方領土は戦争で…」とか言わないわけですが…

皆さんは判断するときには「直感」だけに頼らない「理性」を使う判断をしてみてください。

そして、もう一つ。それが判断されることです。

これに関しては、自分の力で操作することができません。だって判断するのは自分以外だから。

でも、その判断されたものを変えることが可能です。どうやるのか。印象操作です。

簡単にできる印象操作は、テスト前とかに「勉強やってないわwww」というやつです。それによって安心する人もいれば、不安にさせることもできますから。

基本的には言葉での印象操作が多いですが、恋愛とかで使われるのが行動による印象操作ですかね。長くなるので話さないですが、ぼくはこれがすこぶる苦手です。なのでよく炎上しかけています。

こんな感じで判断するにもされるにも自分の能力が関わってくるわけです。少し勉強すると面白いかも知れませんね。

判断力の付け方

大事なところです。判断力を付けるには、「手っ取り早く決める」。これにつきると思っています。AかBかとなったら、すぐに決めること。これが判断力の付け方です。

とは言っても大変なんですよ。これが。

なので、時間はかかりますが「周りを良く見る」ことと「成功したものにすがらない」ことの2つでより判断力が上がっていくと思います。実践してみてください。

 

認識力の話

テーマの2つ目は見て捉える力の話です。

これは正直に言うと、年齢による劣化があります。だから、高齢者ドライバーが事故を起こすわけです。

高齢者ドライバーについては気が向いたら書きます。(少し追いついてないので…)

この「認識力」をあげるにはどうしたら良いかということですが、これも「よく見る」事に尽きます。

ただし、ここで言っている「よく見る」のは、目に見えるものだけではないです。

目で捉えられるものは現実のみです。いわゆる事実です。(真実ではないのでご注意を)この現実だけ見ていると「認識力」は上がりません。

重要なのは「時間を見る」ということです。

上手く説明できているか分かりませんが、ぼくが思うに前者(現実を見る)は平面理解です。そこに広がっているものを写真として理解するというわけです。それに対して、後者(時間を見る)は空間理解です。今ある現実の先には何が起こっているのだろうか。もしくは今ある現実の前には何が起きていたのだろうか。ということを見るわけです。後者に関しては「メタ認知」とも呼ばれるものに近いと思います。

この「時間を見る」ができないと「認識力」の向上にはつながらないわけです。

自分の周囲で起こっていることの前後関係を考えて捉えることが「認識」したということになります。

 

今回は駆け足で後半進めてしまいましたが、理解できたでしょうか?

難しいところがあれば答えるので質問してみてください。

この2つの能力を鍛えて楽しい人生にしてくださいね。

それではまたいつか…

 

人生ってどんなもの?

こんばんは。凡人るいちです。

最近は考える時間をゆっくり取ることができているので、このブログの筆も進みそうで一安心しております。

そういえば、前回の記事で閲覧数が1200を突破していました!!いつも読んでくださる方ありがとうございます。今後もできる限り面白い記事を書いていこうと思っているのでご愛顧お願いします。

さて、今回のテーマは「人生」でいきたいと思います。

これまた一生のテーマである「人生」ですが、ぼくなりの視点で読み解けていけたらと思うので、最後までおつきあいください。

 

人生とは何か?

皆さんもこういった質問されたことがあると思います。最近は若い世代からこの問題について考えないといけなくなってしまったので大変だなぁと思うわけですが、なぜ考えないといけないのかということが今度はその問題になってくるわけです。

今回は「なぜ人生について考えないといけないのか?」ということと「人生とは何か?」ということの2つをこの章で考えていこうと思います。

なぜ人生について考えないといけないのか?

近年の風潮で「QOL(クオリティ・オブ・ライフ)」や「ワークライフバランス」というものが声高に主張されるようになってきました。

この2つの主張で重要になっているのが「人生」です。

簡単に「QOL」と「ワークライフバランス」について説明しておきます。

QOL」は「自分の人生の質を考えよう」というもので、具体的にいうなら「どういう生まれ方をして、どういう学校に行って、どういう仕事について、どういう遊び方をして、どういう死に方をするのか」ということです。最近では死に方も選べるようになってきたために「終末医療」という言葉とも関連が強いものになっています。

そして、「ワークライフバランス」ですが、こちらは「仕事(オフィシャル・公)と遊び(プライベート・私)のバランスをどうするか」というものです。この用語は「ブラック企業」だったり「働き方改革」だったりという言葉と結びつきが強い気がしています。

ということで、どちらも「自分の人生をどうするか/どうしたいか」ということを考えるものだということが分かってもらえたと思います。

この2つを考えないと近い未来に失敗する、もしくは後悔するのではないかなと思っています。(あくまでもぼくはそう考えているというだけのことです)

20代になったばかりですが、正直不安なことはたくさんあります。前回の「頑張り」についてとも重なりますが、見えないものとの戦いだからです。

だからこそ、今人生について考えるときなのかなとも思います。

人生とは何か?

さて、考える理由が分かったところで「人生とは何か?」のぼくなりの答えをおはなししていきます。人それぞれ「人生」というものについての考え方が違うと思うので、影響されても良いし、されなくても良いです。参考程度にどうぞという感じです。

ぼくにとっての人生とは「分かれ道」です。

すごくありきたりの人生観だとは思いますが、やっぱり「分かれ道」です。「坂道」でも「階段」でも「線路」でも「エスカレーター」でも「エレベーター」でもないです。

なぜ「分かれ道」なのかですが、ぼくは「人生は常に選択の連続である」と思っています。人生には無数の選択肢があって、そのひとつを選ぶこと、もしくは選ばないことによって「今の自分」が存在しているということです。だから、例えば「今日外に出かけた自分」と「今日外に出かけなかった自分」を比べれば、間違いなく「違う自分」になっているということです。正直に言えば、どちらが良くてどちらが悪いなんて事は分かりません。だってそこにいるのはどちらかの自分なんですから。その点において「置かれた場所で咲きなさい」という言葉は的を射ていると思います。つまりは、「後悔したって変わらないんだから、後悔しない方を先に選んでしまおう」ということにもつながってきます。

ということがぼくの人生観です。常に何かを選んでいるから「分かれ道」。戻ろうと思っても、同じ場所には戻ってこれないから「分かれ道」。そんな感じです。

ちなみに、ぼくの人生計画としては「22で教員になって、50代で教授職になって、65歳以降は山奥の家で何匹かの動物と楽しく暮らす」ということです。すごく楽しそうでしょ?今からワクワクしてますもん笑

蛇足ですが、付け加えておくと、「決めておくことで選べるようになる道が増える」ということです。そして、「決めておくことで選ぶべき道が分かる」ということです。それ以上は何も言わなくても分かりますよね…笑

 

人生について考えるときの考え方

最後の章で「人生の考え方」ということをお話しします。「まだ考えていないよ~」という方は実践してみてください。もしかしたら、就活に使える自己分析になっているかも知れないですから…(就活については気が向いたら書きます。ぼくだけが知っている方が有利に働くかも知れないので…)

早速伝授していきます。いくつかのステップがあるので順番に書いていきますね。(ああ、これもあくまでも「るいち式 人生の考え方」ですからね。本に載っていたものではないですから。参考までに。)

①いつ、何をしたいかを考える

これについては先ほどお話しした「人生計画」というものです。まずはそれを考えましょう。

これは人によると思います。「結婚したい~」という人はその予定が入ってくると思いますし、「世界一周したい~」という人はその予定が入ってきます。ただし、年齢は具体的に決める方が良いと思います。

②なぜ①をしたいのか考える

①でしたいことを決めた皆さんはここでそれを深掘りしていく作業になります。

ぼくが「65歳で山奥の家で動物と暮らしたい」のは、落ち着いたところでのんびりと自分の好きなものに囲まれて、自分の好きなことだけをしていたいからです。

理由があることで、予定は目標に変わっていきます。そして、夢になります。

③過去について考える

今までは未来について考えていたわけですが、視点を過去に戻して「いつ、何をやって来たんだろう」と振り返ってみてください。それが人生を考える最後のステップです。

 

「過去」と「今」と「未来」は全部つながっています。「過去」に決めた結果「今」があり、「今」に決めた結果「未来」がある。そうやって人生はできています。

「この人生きていて楽しそうだなぁ…」とか「この人すごいなぁ…」と思う人は、「過去」と「未来」をもうすでに見つめている人です。結果として「今するべき事」が見えているから、すべてが上手にいっている「ようにみえる」だけです。上手くいっているわけではありません。上手くいっているように「みせている」だけです。

なんとなくで決めたことよりも信念を持って決めたことの方が力が入るのは当然のことだし、何よりあきらめがつきます。だって、逃げ道がないんですもん。「失敗したらそれで終わり。だから本気でやるか…!」って。

「人生が決まれば今が決まる」そんなことが伝わっていれば良いなと思います。

それではまた今度…

(↑今回の記事を読んでの意見や感想などは質問箱へどうぞ。必ず答えます。)

努力の話

お久しぶりです。凡人るいちです。

1週間ぶりでしょうか…少しでも文を書くことから遠ざかってしまうとできなくなってしまう気がしますね…

お気づきの方もいるでしょうが、ブログタイトルを変えました!!

今までは時事についての記事も書いていたのですが、最近はめっきりになってしまったのでそれならタイトルもそれにあわせたものの方が良いだろうと思い変えました。

内容は今までと大差ないので、そのままお楽しみいただけたらと思います。

今回は「努力」について考えてみたので、それを書いていきます。

努力すること

今回この記事にした理由は5月に入ったからです。

意味が分からない人も多いと思うので、少しだけ補足をすると、「5月になって今までやって来たことに自信がなくなってきた」ということを解消してほしいと思ったからです。いわゆる「5月病」対策ということです。

では、なぜ「努力」なのかということです。

皆さんが決して「努力」が足りないというわけではありません。むしろその逆です。「努力」をしすぎなのです。

「なぜそんなに頑張るのですか?」と聞くとたいていは「自分はダメだから…」とか「こうしないとできないから…」という言葉が返ってきます。悪いことではないと思います。でも、なにごとも「やり過ぎ」は良くないものです。(その反対に「やらなすぎ」も良くないです。正確に言えば、やらないことを「やり過ぎ」なのですが…)

頑張りすぎる(努力しすぎる)とどうなるのか。というと、疲れます。それだけです。

ただ、この疲れが怖いものなのです。それはなぜか。人間は一定時間同じ動作を続けると「慣れ」がきます。疲れにも慣れというものがあって、気付かなくなってしまいます。

それでも、体の中には疲れは溜まっていきます。そして、それに気付かずに努力をし続けると壊れてしまいます。力をかけ続けた金属のように急に折れてしまいます。

これが「鬱病」のもとになっていくわけです。

ここで「なんでそれが言えるのか?」ということになりますが、答えは「ぼくが経験しているから」です。

思い出したくもないので今回は書かないですが、気になったら個別で聞いてください。

この鬱病の怖いところは、鬱病になってもなお「頑張らないと…」と思うことです。

それはもちろん、まわりからの「努力が足りない」とか「甘ったれてる」とかの声もありますが、自分の中の部分が大きいと思います。つまり、「出来ないと思われたくないから頑張らないと…」というものです。「頑張ること」や「努力すること」に慣れてしまっているのです。

だから、鬱病になったらまずして欲しいことは「頑張らないこと」です。

鬱病になっていなくても抱え込んでやろうとする人には必ず「今まで頑張ってきたのに、何をまだ頑張ることがあるんだい?」と声をかけるようにしています。「もう頑張る必要なんてないよ」と。

「5月病」も同じで、ここまで新しい環境で「頑張ってきた」「努力してきた」人がなるものだと思います。なので、ここらであえて「頑張らないことを頑張って」みませんか?

そうしたらきっとここらがスッと軽くなるはずです。そしたら、目の前には今まで見えなかった景色が広がっているかも知れません。

 

ぼくの「努力」観

ぼくの努力観はすごく厳しいもので、自分自身に言い聞かせているものでもあります。

それは「人の前でしかできない努力など、努力とは呼ばない」というものです。

人はみな、褒められたいという欲求を持っています。それは仕方のないことで、ぼく自身にもあることです。

ただ、努力を見せて褒められるのでは、それは正しい過程だとは思いません。

「ぼくはなぜ努力をするのか?」そう問いかけたときに「褒められたいからする」というのと「能力を伸ばしたいからする」というのでは大きく違っています。効果も段違いなものになります。

何事も正しい過程をとらないと、効果は半減してしまうものなのです。

あ、そうそう。「努力は必ず報われる」という言葉がありますが、アレは嘘ですから皆さん信じないようにお願いしますね。

「努力は常に続けたものの中で1番長くしたものだけが、ごくまれに報われる」という感じなので、要は「続けることが一番の努力だよ」くらいのイメージです。

なので、「やってるのに報われない」というのはそういうことです。

細くても良いから「頑張りすぎないで継続して」みてください。もしかしたら報われるかも知れません。

 

 

今回はここまでです。

皆さんは努力してますか?しているよという方もしていないよという方も、そして分からないよという方も「ほどほど」にしてくださいね。

それではまたいつか、気が向いたときにお会いしましょう!!

 

今回の騒動について

お久しぶりです。凡人るいちです。

毎週定期の更新をしなくなってからアクセスすることもなかったのですが、今回はちょっと更新しないといけないと感じたので簡単にですが書いていきます。

 

すごく仰々しいタイトルをつけたのですが、ぼくはそこまで大事に感じてはいません。

ぼくのことをtwitterでフォローしている人やリアルで知っている人向けの記事になっています。

4月29日にツイートしたことから一気にプチ炎上してしまったわけですが、正直に言うと今回はぼく自身の認識の甘さに問題がありました。(もしかしたらその前から火種はあったのかも知れませんが、間違いなく火に油を注ぐことになったのはこのツイートだと思っています)

質問箱関連でプチ炎上を起こすのは実は2回目なのですが、今回はそのときほど激しくはなく、さらにこういった長い文章を書ける場所もあるので負担にはなっていません。

問題のことなのですが、「今思えばしなくても良いことをした」という感覚です。ツイートした当時の感情を呼び起こして考え直すことはできませんし、当該ツイートを消す気もないですが、今の状況ならツイートは間違いなくしていないだろうなと思います。

そのツイートが原因で不快な思いをする人が一定数いた事についてもお詫び申し上げます。

ただ、今回に関してはこの後書くことで終わりにしていただけたら良いなと思います。

批判も甘んじて受け入れるつもりでいるので、このブログのコメントに書き込むなり質問箱にぶち込むなり好きにしてください。

話したい内容については2点あります。

1つ目は今後について、もう1つは皆さんへのお願いです。

 

今後についてですが、相手ともお話しをしっかりしてぼく自身の気持ちについて整理がついているので特に何もないと思ってください。

皆さんに届けている情報が少ししかない状況ですが、ケンカ別れをしたわけではないということだけはお伝えしておこうと思います。

今後とも相手とは仲の良い友人として接していこうと共通で確認しましたし、持ちつ持たれつの関係が継続していくと思っています。

未練に関してはたらたらなのでどうしようもないですが、それだけ本気で好きになった人だということです。気持ち自体は相手に届かなかったですが、ぼくは良い経験をしたと思っています。ショックで食べ物の味がなくなるなんて事なかなか経験できないですから。

とにもかくにも、すべて今まで通りだということなので安心してください。

 

皆さんへのお願いとしましては、1つは今後もこういったことになる可能性はもちろんありますが、そのときは正直に言ってください。誠意を持って対応させていただきます。

そしてもう1つですが、「質問箱の利用方法を変えるつもりはない」ということです。現在ぼくの質問箱は200件近い質問が来ていて、回答は98%となっています。(ぼくが覚えている限りで答えていないのは、ぼく以外に関することと間違えて自分で質問したものだけです)

つまり、ほとんどタブーなく答えているわけです。今後もその方針は変える気が一切ないです。

もちろん文句のある方がいるのも承知ですし、やめるべきだと思っている人がいるのも分かっています。しかしながら、楽しみにしてくれている人もいれば応援してくれている人もいるわけです。そういった人たちが少ないことも知っていますが、その少数の人のためにも続けていくつもりです。

なので、お願いとしては「今後も変える気はないのでよろしくお願いします。」「少しでも不満に思うなら見なくて良いし、書き込まなくて大丈夫です。静かにブロックしておいてください。」の2つになります。

 

質問箱の機能上、ぼくから相手のことを知ることはできませんが、相手からぼくのことを知ることは可能です。正直400近いフォロワーから誰がしたとかいう犯人捜しもする気はないです。

ストレスが溜まっているならはけ口に使ってもらって良いですし、不安があるから相談に乗ってでも良いです。それはお任せします。ぼくは来たものすべてに対して、ぼくの持っているすべてで回答していこうと思っています。

1つ付け加えておくと、その全力に対する皆さんの受け取り方もお任せします。「やってみるか」でもいいし、「うるせぇ!!できてたら苦労しないわ!!」でもいいです。

そして、その回答を見た人も「一般的でつまんなwww」とか「そんなの理想論じゃんwww」とか送ってくるのも構いません。それに対しても真摯に回答します。

それがぼく自身のやり方だし、ぼくらしさだと思うので後はお任せします。(ただし、さすがにやばいかもなと思ったものに関してはスルーすることはあるかも知れません)

炎上商法でも、売名行為でもなんでもないです。

よくある質問で「このブログでいくら稼いでるの?」みたいなことがありますが、0です。1円ももらっていません。ただの暇つぶしです。

皆さんにとってぼくを炎上させるメリットはあっても、ぼくにとって炎上させるメリットは1ミリもないです。

だから思う存分殴りかかってきてください。ぼくがどう思うかは知りませんが…

 

*今回の記事や騒動について何かお叱り等ございましたら送ってください。

*特になければスルーして、いつも通り接してください