凡人るいちと0から学ぶ時事問題

凡人大学生と0から今現在起こっていることについて学んでいこうというブログです。毎週水曜日更新!!

“いじめ”と”人の弱さ”の話

どうも、凡人るいちです。

今回はタイトル通り、“いじめ”の話をしていこうと思います。その途中で人の弱さということにも触れていこうと考えています。

今日のテーマについては、しっかりと考えていきたいのであまり面白い要素はないのであしからずです。(いつもあんまり面白くないけどね)

今回のこのテーマを選んだ理由としては、ぼくが教育者を目指したいとおもっていることもあるのですが、それよりも大きな理由として“誰にでも起こりうる”ということを知ってもらいたいと考えたためです。

“誰にでも起こりうる”とはいっても、そういった経験はほとんどないですし、正しいことが伝えられるとはぼく自身思ってもいません。

だけど、社会に出て働いていく世代、そして今後親になっていく世代として少しでも現状や問題を伝えられたら幸いです。

実際の“いじめ”の事例を用いて

※“いじめ”というテーマに関しては実体験がないので今回は全編調べた内容についてのお話になります。また、全て書いてしまうと長かったり気分を害することがあるかもしれないので、重要な部分のみの抜粋とさせていただきます。

 

今回取り上げる事例としては中学一年生の男子(Aくん)に起こったものです。

Aくんの通うことになった中学校は3つの小学校(B小、C小、D小)から集まってくる公立中学校でした。

その中でも、Aくんの出身小学校のB小はそこまで人数が多くなく、親しい友人は他の中学校へと進学してしまいました。(そのことはAくん自身も知っていたようです)

Aくんの中学校ではC小から来るせいとが断然多くほとんどコミュニティができあがっている状態でした。

そのような中でAくんはそのコミュニティにうまく入ることが出来ず、他のコミュニティに入ることにしました。

しかし、何かと目立ってしまうAくんはC小のコミュニティから目をつけられてしまい、そこから“いじめ”へと発展していきました。

その内容としては、軽いもので無視、ひどいものでは椅子でなぐられるということがあったそうです。

そうして、Aくんは周りの人間が信じられなくなってしまい相談をすることはおろか自分の世界に閉じこもることになったと話しています。

その一方で、Aくんは学校に行かなくなったり自殺してしまったらまわりに負けることになるからそれだけはいやだという気持ちで1年間は皆勤したということも話していました。

苛烈をきわめた“いじめ”だったのですが、学年が上がることで解消され最後まで無事に学校に通えたということです。

 

この話を読んだときにこういったことが実際に起こるのか…と少し驚きました。

そして何よりも、最後まで無事に学校に通えたということは本当に良かったことだなと思います。

この話を読んでのぼくが思ったこと

先ほどの最後にも書きましたが、Aくんにその後何事もなく本当に良かったということが第1です。

その上で詳細まで読んだ感想を少しだけ書きたいと思います。

Aくん自身も中学に入学してすぐに“いじめ”を経験することになるとは思ってもいなかったでしょうし、その年齢で“いじめ”を乗り越えることになるなんて思わなかったとおもいます。

彼の楽しくなるはずだった中学時代を奪ったいじめた人たちは許されるわけがないのは言うまでもないです。

“いじめ”の話でよく言われるのは「いじめた人間が必ず悪い」ということなのですが、Aくんの場合は“自分の世界に閉じこもる”という描写から「(Aくん)自身にも悪いところがあるのではないか」と考えていたのではないかと思います。(深読みかもしれません)

ただ、たとえAくんがこう思っていたとしても3人称視点からすれば「いじめた人が絶対悪」ということもこれまた真理だと感じました。

いじめた人を成敗するのが先か、いじめられている人を守りケアするのが先かこれまたしっかり考えさせられる問題だなと思いました。

“人の弱さ”と“いじめ”の関係性

ここからは“いじめ”について考察を入れていこうと思います。

いじめは無くならないのかということについては、ぼくは無くならないと考えています。その理由としては“人間の弱さ”が無くならないためです。

人は自分と違うものを見ると良くも悪くも影響されます。それが悪い方に働いて“いじめ”になると思っています。

それは社会に出ても同じで最近話題になっているハラスメント関係もそういうことが関係していると思います。“出る杭は打たれる”というの確かに端的に言い表しているなと感じますね。

“いじめ”はいじめている人間が一番弱いので止めることも出来ないものです。そういった弱さがある以上、“いじめ”を外から見れる人間が手をさしのべる必要があるのです。

ただ、“出る杭は打たれる”とはいってもそれが自分の個性を殺してもいいということでは無いと思っています。みんながみんなまわりに忖度するようになってしまったら、機械と何ら変わりなくなってしまい都市伝説で良くでる“ヒューマノイド”になってしまうのではないでしょうか。

“人の弱さ”はあることは仕方ないと認めてそれを許容できるようになると“人の強さ”に変わっていくのかなと思います。

 

今回は少しまじめな話になりましたが、自分自身のことはもちろん子ども世代や孫世代でも考えていかなければならないものだと思います。皆さんも考えてみてください。

今週で夏休みが最後になってしまうのでこの特別企画は終わりになります。意外と好評ならたまに定期更新以外で更新すると思います。

では、また水曜日にお会いしましょう。