凡人るいちの徒然ばなし

徒然なるままに書いていこうと思います。ぼくの考えたことを多めに時事問題と絡めてお届けしようと思います。参考になるかも知れないし、ならないかも知れない。けど、ぼくへの見方は変わるかも知れない。

日本と戦争のはなし

年の瀬になってきて段々と憂鬱な行事が近づいてきたな~と少し悲しんでいる凡人るいちです。

まぁ、今年は簡単な予定が入っているからそんなことも考えなくてすみそうだし、最近はただの1日だから気にしてはいないんですけどね~

この話はまたいつかするとして、今回のテーマは「戦争」です!!

何で今回はこの話かというと、防衛費うんぬんかんぬんの話題がすごく盛り上がってきていて、以外に知らないことも多いんじゃないかなと思ったからです。

「戦争」と「日本」は一見考えられないようになってきた時代だからこそ、この話題をもう一度見返してみましょう!!

 

そもそも「戦争」って何?

戦争の内容について語っていく前にまずは「戦争」と「紛争」と「内戦」の違いについて押さえておきましょう。

「戦争」とは、民族、国家あるいは政治団体間などの武力による闘争のことを指します。典型例として、国家が自己の目的を達成するために兵力による闘争があります。

かつては、「戦争」をすることが認められていたのですが、現在では当然のことながら国連憲章により禁止されています。

ただし、国連憲章下でも何回か「戦争」が起きています。例えば、1950年の朝鮮戦争湾岸戦争などがあります。このときには、国連が多国籍軍を組織するように依頼して結成された軍(国連軍ではないです)による戦争なので、国同士の戦争ではないです。まぁ、実際はアメリカ対その他といった形式なのですが…

ちなみにこの国連憲章では、軍事的措置の他に非軍事的措置を取ることができます。その例としては、北朝鮮への経済措置があげられます。

最終手段としての軍事的措置になるということです。

「紛争」は対立するもの同士の争いのことです。

この広義には「戦争」も含まれるのですが、一般的には戦争よりも小規模のものを指すことが多いです。

最後に「内戦」ですが、こちらは読んで字のごとく国内で起こった争いのことです。

この「戦争」に関わる意味は今後のニュースなどで耳にすることがあると思うのでイメージだけはしておけるようにしておくと良いと思います。

簡単にまとめると、定義的には「紛争>戦争>内戦」で、一般的に聞く範囲では「戦争>紛争>内戦」となるという感じです。

 

戦争に関わる用語の紹介

集団的自衛権

同盟国が攻撃された場合、密接な関係にある他国がその攻撃を自国の安全を危うくするものとして認め、必要かつ相当の限度で反撃を認める権利のことを指します。

ドラえもんでたとえるのなら、ジャイアンのび太を攻撃したら、ドラえもんジャイアンを攻撃できる権利を持つという感じです。

国連憲章の51条に認められているものでもあります。ただし、安全保障理事会が有効な手段を取るまでとされています。

日本ももともと持ってはいるのですが、日本国憲法第9条により制限されていました。しかし、2014年に閣議決定されたことにより行使することができるようになりました。

条件としては(1)日本と密接な関係にある他国が武力攻撃され、日本の存立が脅かされる明白な危険がある事態(2)我が国の存立を全うし国民を守るために他に適当な手段がない(3)必要最小限度の実力行使のすべてをクリアしたときにのみ使うことができます。

個別的自衛権

武力行使を受けた国が必要かつ相当な限度で防衛のために武力で訴える権利のことを指します。

こちらもドラえもんでたとえるのなら、ジャイアンのび太を攻撃したら、のび太ジャイアンを攻撃する権利を持つという感じです。

これは日本国憲法第9条下でも使えるものとされ、専守防衛の基本ともなっています。

先ほどの集団的自衛権と同時に発動するものでもあるので、国連憲章下でも認められています。こちらも安全保障理事会が有効な手段を取るまでとされています。

日本国憲法第9条

今更ですが、ちょくちょく出てきていた憲法第9条についてみていきましょう。

2つの項に分かれていて、「(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(2)前項の目的を達成するために、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」となっています。

ちなみに(1)の“これ”は“国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使”を指しますが、(2)の1つ目の“これ”は“陸海空軍その他の戦力”、2つ目は“交戦権”ということになるので、注意が必要です。

ここでいう、“陸海空軍その他の戦力”に自衛隊は含んでいないと政府は見解を出していますが、学者は違憲だとしています。ですが、自衛隊が今もなくなっていないのは、違憲立法審査権をもつ裁判所が“統治行為論”というものを使い判断を避けているためです。

交戦権

国が交戦者・交戦国として行使できる国際法上の1つの権利のことです。

日本は「戦争」をするの?

ここまではかなり理論的な話をしていましたが、少し実践的な話をして終わりたいと思います。ただ、ぼくも憲法論者ではないので正確かどうかは分からないですし、おそらく憲法論者でも正確な答えは出せないのではないかと思っています。それでもいいよという方は最後まで読んでみてください。

ぼくは日本は戦争をする可能性があると思っています。

それはニュースにあげる防衛費のことが理由ではないです。

もともと政府見解では個別的自衛権を持つと理解されています。つまり、防衛戦争なら行うことができるということです。一方でその反対の侵略戦争国際法上でも憲法第9条でも否定されていることからできないです。

ただ、防衛戦争であっても侵略戦争であっても「戦争」に変わりないので、戦争をする可能性があるという判断になります。

もし有事の際は、自衛隊安保理の判断を待つまでの間戦うことになりますが、そこにアメリカ軍やその他の国の軍が集団的自衛権を行使して参加するので基本的には一般市民が戦うことはないと思います。その点は安心することができるかな…と思います。

 

今回の記事はここまでになります。「戦争」は国際情勢の中でいつ日本にやってくることになるかわからないものでもあります。もしもの時のためにこういった予備知識をつけて自分で判断できるということはとても大切になってくると思います。

それでは、また来週お会いしましょう!!

〈参考ニュース〉

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日本の会社と外国の会社

段々と寒くなってきて普段割と寒さには耐性があるのですが、毛布の中でぶるぶるしている凡人るいちです。

年の終わりに向けて段々と課題やらテストやらが忙しくなってきて、毎回遅い時間の投稿になってしまい申し訳ないです…

できるときに書き溜めとかもしたいのですが、時事問題は新鮮さがいのちだと思うのでなかなかできなくて、もしかしたらるいち哲学の方が増えるかもしれないです。

さて、今回のテーマは「会社」の話です!!

最近はカルロス・ゴーンの問題など世間を賑わせているので少し気になっている人もいるのではないかと思うのですが、今回はそんな会社を日本と海外で比べてみて違いや共通点を見ていきましょう!!

 

そもそも「会社」ってなんだ?

会社法により設立された営利を目的とする社団法人のことを会社といいます。会社が作られる目的として、資本の結合、労力の補充、危険の分散をはかることがあります。

現在、日本の会社は、株式会社・合名会社・合資会社合同会社の4つのみ認められています。

この4つの形態について1つずつ解説していきます。

株式会社とは、株式を発行して出資者を募ってその出資金を元に営利活動を行っていく企業のことです。

私たちがよく耳にする日経平均株価とかはこの株式会社が関与しています。

そしてこの株式会社が発行する株式ですが、私たちも買うことができます。

さらに、この株式は買うときに決められた金額を払うことと配当を受け取る義務のみを負うこととなります。つまり、ある企業が倒産したからといって、株式保有者(株主)は何かを支払う義務を負うことはありません。ただ、同時に受け取る権利もなくなってしまう事には注意が必要です。(この辺の話は又他の記事でまとめようと思います)このことを株主は有限責任を負うといいます。

次に合名会社についてみていきましょう。

合名会社とは、持分会社のうち無限責任社員のみからなる会社です。

この形態の会社に勤める社員は債権者について直接に連帯して無限責任を負います。無限責任とは、先ほどの例と逆で倒産した際に支払いの義務を負うというものです。

こういった特徴があるので、家族経営の会社に多くみられます。

よくドラマとかで「父親の会社が倒産してその借金1000万があるんだ」みたいなセリフがありますが、これは合名会社だからということになります。

3つ目は合資会社です。

合資会社持分会社のうち無限責任社員有限責任社員で構成される会社のことです。

無限責任社員は合名会社の時と同様に無限責任を負い、会社の経営に関与しますが、有限責任社員は経営に参加せずに限られた監視権を持つにとどまり、配当を受け取ることができます。

出資者と有限責任社員の違いですが、簡単に言うと会社内部なのか会社外部なのかということです。

最後に、合同会社です。

合同会社持分会社のうち有限責任社員のみで構成される会社のことです。

形態的には株式会社と近いですが、株式会社にはある制限がこちらにはなかったりと少し違いもあります。

日本には多くの会社がありますが、そのほとんどが株式会社でその他の割合は少なくなっています。皆さんがよく目にする会社はほぼすべて株式会社だと思ってもらって良いと思います。

ただ、就活などをする際には必ずどういった企業形態なのかは確認する方が良いと思います。「間違って合名会社に入ってしまった…」などがあったら大変なことになってしまいます。(たぶんないとは思いますが…)

このほかにも、いろいろな形態があるんですが、すべて紹介していたら読むのが大変になってしまうので、今回はこの4つについて覚えていってください!

日本の会社の特徴

先ほどまでは企業を分類してきましたが、日本の会社の特徴としてどういったものがあるのでしょうか?いくつかの観点に分けてみていこうと思います。

・家族内で会社を経営していこうという考え方で、最近では、大塚家具の相続で問題になっていましたが、そういう企業形態の会社も多かったりするのが現状です。

・企業間関係としては、1つの銀行から融資を受けるというメインバンク制を採用している会社が多く、企業グループを作ることにより外部から邪魔されない安定的な経営をしている会社が多く見られます。

・雇用制度は皆さんが知っての通り「新卒採用・終身雇用・年功序列」の3つがあります。就活ルールがなくなったことでこの形態は大きく変わる可能性があります。

・市場慣行として業界団体内による調整のおかげで強い規制がある市場になっています。そのため、例えば飲料関係では新しい企業が参入してこないといったことも起こっていたりします。

・意思決定については、集団主義的でボトムアップ方式を採用している会社が多いようです。そのために生じる問題も多くあります。

少し短いですが日本の企業の特徴はこのような感じです。

この特徴があるおかげで日本経済が発展してきたということもできますし、逆にない方が自由競争が活発に行われるといった指摘ももちろんあります。

ただ、良い面しかないということは複雑なものになっていけばないのは当然のことですよね…

外国の会社の特徴

次に外国の会社の特徴を見ていきましょう。

イメージは様々ありますが、果たしてそれが正しいのかどうかは分からないですし、すべてに当てはまらないのも事実です。今回は“外国の会社”と極限まで広く取っているので、あくまでも一般論だと考えておいてください。

また、今回はよりわかりやすくするために“外資系企業”を参考にしていることにも注意してください。

それではいきましょう!!

・雇用制度は、終身雇用制度という概念はなく安定した職ではない事が多いです。ただ、日本にある外資系企業には日本の法律が適用されるのでその点は安心してください。

・仕事の内容は、ある1つの分野についてのスペシャリストになることが求められています。そのため、成長は望めないということもあります。

・評価の方法は、「実力主義」を採用しているため年功序列などはありません。できる人には問題ない環境ではあります。

・給料は、出来高制を採用しているところが多いので結果が直結してくるのが特徴です。できない人は安賃金のままでクビということもあるかもしれません。

簡単ですが、このような特徴があるんだなということは分かったと思います。

日本と外国を比較して

日本は保守的な会社が多いのに対して、海外の会社や外資系企業は挑戦的な会社が多いのではないでしょうか。

そう言われてみると、今世界で活躍している企業のほとんどは外国の会社ですよね。twitter社しかり、Amazonしかり、facebookしかり…

こういう挑戦的なところで革新的な技術ができていき、技術が進歩していくんだなと痛感するばかりです。

そして、もう一つぼくが「日本企業が保守的だ」という理由があります。

それは、「ゾンビ」だからです。

企業は倒産することで強い企業が残り弱い企業は消えていくといった弱肉強食の世界で生きています。しかし、日本の企業は倒産することがほとんどありません。それはなぜか。それは死んだ企業に資金がどこからか注入され復活するためです。

今回の時事ネタとしてはこの「ゾンビ企業」が中心だったりします。

確かに、簡単に倒産されてしまったら失業率や経済の問題に直結しかねないのは事実です。しかし、そう言って競争力の弱い企業に金をつぎ込んでも負けるだけなのは分かることだと思います。

例を挙げていえば、ジャイアンのび太のケンカで賭けをしたとき、のび太の方に書ける人はいないでしょう。

そんなおかしいことが国レベルでは普通に行われている。ということが問題なのです。今回はこれ以上は書きませんが参考ニュースの欄に貼っておくので読んでみてください。

 

今回の記事はここまでです。

就活に近づいている身として、また、これから就活に挑んでいく人にとってはすごく大事な話題になっていると思います。

ぼくは経済学者でも何でもなくただの一般人です。もっといえば凡人です。そんなぼくでもこの問題についてはおかしいなと思うところがあります。皆さんも暇なときに考えてみてください。

その考えたことが自分の人生に影響する重要なことになるかもしれません。

それでは、また来週会いましょう!!

 

〈参考サイト〉

会社(かいしゃ)とは - コトバンク

株式会社(かぶしきがいしゃ)とは - コトバンク

合名会社(ごうめいがいしゃ)とは - コトバンク

合資会社(ごうしがいしゃ)とは - コトバンク

合同会社(ごうどうがいしゃ)とは - コトバンク

日本的経営 - Wikipedia

外資系企業に入るには?国内企業との特徴の違いや年収、転職方法まとめ | 資格広場

〈参考ニュース〉

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東京と大阪での一大イベントと問題点の話

毎回読んでくれている方、今回が初めてだよという方も凡人るいちです。

最近知り合いが続々と新しいバイト先で仕事を始めていてそういう季節にもなったか…としみじみ感じている次第です。

このブログを書いているのがぼくだけなので、そろそろ自己紹介とかもいらないかなと思うんですが実際の所はどうなんでしょう?

まあ、それについては後々考えていくとして、今回のテーマは「オリンピックと万博」です。

タイトル見たらだいたい分かるようになってきましたね…笑

今週がこのテーマの理由としては、先週決まった大阪万博ともう1年半程で始まる東京オリンピックについておさらいしておこうと思ったためです。

では、本編いってみましょう!!

 

万国博覧会大阪万博について

先週決まったばかりの大阪万博なのですが、詳しい話をする前にまずは「万国博覧会」とは何かについてみていきましょう!

万国博覧会(通称:万博)」は国際博覧会条約によると「複数の国が参加した、公衆の教育を主たる目的とする催しであり、文明の必要とするものに応ずるために人類の利用することの出来る手段又は人類の活動の一若しくは複数の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門における将来の展望を示すものをいう」とされています。

めちゃくちゃ長いし、難しい言葉がたくさん出てくるしで全然分からなかったと思います。ぼくも正直分かっていません。

おそらく要約すると、「たくさんの国が参加して、教育や未来のためになるものを発表していこうぜ!」という感じだと思います。

ここまでは、定義というか目的を見てきましたが、次は歴史の方に目を向けていこうと思います。

第1回の万博はロンドンで1851年に開催されました。ここで有名な建物の水晶宮、別名クリスタルパレスが建造されています。

その後少し時間は経って1889年にはパリで万博が開かれ、ここではエッフェル塔が建てられています。

余談ですが、このエッフェル塔は国内のカトリックの大聖堂がパリ市内を一望できるところに建造されていてそこから見下ろされないようにあのような高い建物にしたという逸話が残っています。こういった権力闘争のおかげで素晴らしい建造物が2つも残っているのは興味深いしありがたいことですね。(当時の住民からしたら迷惑だったかもしれないですが…)

日本では、大阪と愛知の2回が一般博としての開催となっています。なので、今回は3回目の万博ということになりますね。

さて、ようやく大阪万博についてみていきます。

先ほどもお話ししましたが、大阪での万博は2回目になります。

1回目の万博は、1970年3月から9月までの183日間で6421万8770人が入場したとなっています。今の人口でいっても日本国民の半分が来場していることになります。

万博のテーマは「人類の進歩と調和」で、太陽の塔や月の石などが展示されていました。

海外参加は76ヶ国、4国際機関、1政庁(香港)で、国内参加は32団体となっています。今の規模では考えられないぐらい小さいです。

そして、大阪で2度目の万博は2025年に55年ぶりの開催となります。

1回目は万博記念公園での開催でしたが、次は夢洲(ゆめしま)という人口島が舞台です。統合型カジノリゾートも建設されることが予想されているので、よりいっそうのインフラ整備がなされていくだろうとみられています。

テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」で、150ヶ国の参加が見込まれています。

人口島での開催や規模から見ても半世紀での発達の具合が分かると思います。

経済効果は全国で約2兆円、入場者見込みは約5月3日から11月3日までの185日間で約2800万人となっています。

1970年の時よりも入場者が減っていますが、何回も来る人もいればふらっと来る人もいると思うので、実際はかなり上振れするのではないかな…?とぼくは予想しています。

展示内容もAIなどかなり近未来なものになっていて、この後6年強でかなり技術が発展していくのでは無いかなと感じています。

 

東京オリンピックについて 

次に東京オリンピックについてみていきましょう。東京で開催されるのは2020年で3回目となっています。

「何を言っているんだ?次で2回目だろ」という指摘もあると思うんですが、実は3回目なんです。1度目は1940年で開催が決定していましたが、日中戦争の深刻化により返上しているため「まぼろし東京五輪」とされています。しかし、公式記録では残っているので事実上3回目ということです。

少し話がずれましたが、実際に開催された・開催される予定の2回について書いていきます。

1回目は1964年の第18回オリンピックで、93の国と地域が参加しています。競技者人数は5133人で20競技163種目となっています。

競技者のほとんどが男性で女性は全体の1割より少し多いぐらいです。

また、このオリンピックはアジア初・日本初・有色人種国家初というオリンピックでもありました。参加した国の数も当時の最高を記録するなど「記録にも記憶にも残るオリンピック」だったことは間違いないでしょう。

メダル数もアメリカ、ソ連についで全体で3位と今では考えられない順位で力の入り具合が伝わってきます。

そして、2020年に開催予定の第32回オリンピックは7月24日から8月9日までの17日間で考えられています。

このオリンピックにもある史上初があります。それは、「アジア初の同一都市での複数開催」です。ここまで来てしまうと何でもありな気がしますね…

参加国数の予定は207の国と地域、競技者人数は12000人と前回のほぼ2倍の数値となっています。スポーツが段々と普及していることが分かりますね。

なので、当然のことですが競技数も33競技339種目となっています。

いろいろ話題になっている費用についてですが、都の試算では1.39兆円となっています。一見すると「高いな~」と思う数字ですが、過去の大会で最も費用がかさんだのは2008年の北京オリンピックで3.4兆、次いで2012年のロンドンオリンピックの3.17兆となっているのでそこから比べると半分くらいの数字になっています。

さらに、経済効果は32兆3000億円、雇用は120万人増加すると考えられています。これだけ見るとかなり帰ってきている計算になります。

 

2つの大イベントの問題点

さて、ここまではイベントのいい面を中心に見てきました。でも本当にそれだけなのでしょうか?

ということで、ここからはぼくが考える問題点をいくつかあげていこうと思います。すでに世間でいわれているものがほとんどですが、もう一度考えるきっかけになると思います。

1つ目は「災害」です。

東京では首都直下地震が起こる可能性が非常に高く、大阪でも新たな活断層が見つかったため起こらないとは言い切れません。この問題をどう解決していくのかが今後の焦点になっていくと思います。

2つ目は「予算」です。

東京オリンピックの試算は出しましたが、大阪万博でも1250億がかかるとされていてそれを国・府と市・経済団体の3つで分けようと考えています。しかし、そんな大金を出してくれる経済団体たちが現れるかも現時点では不透明となっています。

3つ目は「気候」です。

東京は夏季開催なので当然暑くなることは想定されますが、長い期間行う大阪万博でもそれは同じ課題になってくるのかもしれません。ましてや、「未来社会」がテーマの万博で環境問題については触れないわけにはいかない問題でしょう。

4つ目は「外国人の受け入れ」です。

最近は比較的寛容になってきたようにも思いますが、それでもまだ外国人に対して優しくない状況もあります。そういった日本人の感情についても、そして社会体制についても変えていかないといけないかもしれません。

5つ目は「インフラ」です。

東京では大規模な交通渋滞による競技の遅延が予想されていますが、大阪でも同様でも課題が想定されます。これは、大都市ならではの問題なのかもしれませんね。

 

こんな感じで多くの課題をまだまだ抱えている2つの大イベントですが、この課題を乗り越えたときこそが「本当の日本の実力」が世界に分かってもらえる時なのかもしれません。

 

今回は万博とオリンピックについてみていきました。不思議なことに前回の2つも同じようなタイミングで開催されています。半世紀で日本がどれだけ強い国になっているのか示す機会にもなっていると思いました。

否定的な意見もかなり多いですが、ぼくはこの2つのイベントは間違いなく日本を成長させてくれる分岐点にもなっていると思いますし、それよりも心が躍りますよね。

今後長い目で見ていきたいです。

今週の記事はここまでです。来週も通常通りあげていくのでよろしくお願いします!!

それではまた来週!!

 

〈参考サイト〉

https://www.expo70-park.jp/cause/expo/

https://ja.wikipedia.org/wiki/国際博覧会

https://ja.wikipedia.org/wiki/2020年東京オリンピック

 

〈参考ニュース〉

www.nikkei.com

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情報とどう付き合ったらいいのか

最近やることがなくなってきて気付いたら布団の主になってしまっている凡人るいちです。

最近はいろいろな技術が発展していて、すごい勢いで物事が変化していって大変な世の中ですよね…

布団の主になっているようなぼくはあんまり情報を入手するのが得意というわけではないのでこういった流れの中で置いてけぼりを食らっているわけですが、このような社会にとって値千金の価値を持つのが“情報”です。

先週の記事とあわせて今回はそんな“情報”に関するぼくの考えについてお話ししていけたら良いなと思っています。

 まだ先週の記事を読んでいない方はこちら↓

 

ruiyuu-zatsugaku-jiji-1998.hatenablog.jp

“情報”とは何なのか?

“情報”についての話をする上で欠かせないのはそもそも論の話になるかなと思います。

なので、最初に“情報”についてのぼくの考えを話していこうと思います。

ぼくにとって情報とは「踊り踊らされる存在」です。

ちょっと難しい言葉を使っていますが、いいたいことは簡単です。情報にはいろいろな種類があります。目から入ってくる視覚情報や耳から入ってくる聴覚情報がその例です。

この情報たちは無意識にも入ってくるものです。道を歩いていて何気なく耳に入ってきた知らない音楽が数日経ってから気になり始めたり、少し前に読んだ単語が他の日に違う記事で目に入ってきたりとこんな感じです。

ということは、ぼくたちは、この無意識に入ってくる情報と意識的に入れている情報にどうやっても影響されてしまいます。それを「踊らされている」という表現に言い換えています。

そして、「踊る」の方ですが、こちらは情報というものはいくら調べても実態が不明なものが多くつかめない(もしくはつかみにくい)ということです。

もちろんこれは凡人的定義なので、辞書などで調べればもっとちゃんとしたことが出てくると思います。

今回は凡人的定義を使ってこの後の話を進めていきます。

 

“情報”は悪魔か天使か

それでは本編の方へ入っていきましょう!!

最初は情報の特性についての考えです。ぼくが思う情報は天使だと思っています。決して姿が見えるわけではないですが、もし擬人化したなら天使なんだろうと思っているということです。

その理由は、情報が幸せな気分にしてくれることが多いからです。「それはさすがに楽観的過ぎるだろう」という声も上がりそうですが、ぼくは基本的に性善説をとっています。なので、情報の基本は善であり、その使用の方法を失敗することによって悪になるという風に思っているだけです。

想像しやすくするなら、どんなに優しい性格の人でも人生のうち何回かは悪いことをしているよって感じです。むしろわかりにくくなりましたね…

ただ、今現在で「情報は悪魔である」とする人の気持ちも分かります。

なぜなら、今の情報は明らかに使い方を間違っているものが多すぎるためです。

情報は本来人を幸せにするために使うべきであるというのがぼくの立場なので、現状人を傷つけるために用いられている情報は暴走状態にあるといっても良いほどです。

正しい使い方はまだ分からないですが、間違えた使い方なら分かると思います。それを知るだけでも間違いを犯すことはぐっと減るものです。

人間は失敗から学ぶことが出来る生物です。そこは譲れませんね。

ちなみに失敗の話というのも情報なのですが、時には我慢してそういった話に向き合うことも大切です。成功はたまたま起こることがあるものですが、失敗はたまたま起こることはありません。

 

情報とのつきあい方

ぼくは情報に対しては必ず1度は批判しなければならないと思っています。つまり、どんなに信用できそうなことが書いてあっても1度は自分で考えないといけないということです。

最近ではこの能力を持ち合わせている人が少ないような気がします。

フェイクニュースの方がデータもあって正しいことが書いてあるように思う」という高校生が増えているようです。かなりショッキングな話題なのですが、この話に関しては、単に「批判的視点」の欠如ということだけが問題でもないです。

まずは、「批判的視点」という点からお話ししますが、先週も言った通り世の中には必ずしもいい人しかいないわけではありません。だましてお金を儲けようとする人もいれば、慌てる姿を見て喜ぶといった人もいます。

だからこそ、「批判」しないといけないと思っています。

教育現場などでは、「批判は良くない」みたいな話を聞きますが、ここで言っている「批判」は「否定」の方にむしろ近いものであって似て非なるものであることは間違いないです。

議論の場や研究の場では「批判」をしていかないとよりよいものは作れません。つまり、「批判」とは「相手の意見を尊重し受容した上で自分の立場はこうだと述べること」です。(ちなみに「否定」は「相手の立場を受け入れることなく自分の立場を一方的に述べること」です)

情報は一方的に送られてくるものですが、それに対する自分の立場というものも当然あります。それをただ受け入れるだけではなく、「批判」をしてほしいと思います。

もう一点、最近の情報にある特徴の話をしていきます。

あくまでぼくの直感の域を出ないのですが、最近の情報は特定の方向に誘導するように作られているのではないかと思います。

実際に世論調査などでは行われている例もあるようなのですが、もっと言えば身近にもあるのではないかと思っています。例えば、情報番組の話題のスポットや都市伝説で流行っているものですね。 人を呼ぶためにあえて情報を連呼しておいて勘違いさせているんじゃないかなと感じます。(サブリミナル効果というやつですね)

 実際にぼくも情報を特定の方向に向けるために使っていることがあります。(このブログではそういったことをしていないのでご安心を)

つまり、情報に対して素人のぼくでもある程度なら出来てしまうのです。なので、ぼくが実際に使っている方法を紹介するので覚えてもらって騙されないようにしてほしいなと思います。

1つめは、データを用いることです。

ここで言っているデータは恣意的に作り上げたもので構いません。要はでっち上げても大丈夫と言うことです。(文書にするならある程度信頼できるデータを持ってきてください。言葉ならだいたいで大丈夫です。)

例文) このブログを読んでいる人は600人もいるんだから読まない理由なんてないよ。

この文章は半分あってるけど、半分あってないというような文章です。こういった文章が詐欺師からはぽんぽん出てくるわけです。だから、騙されてしまうし気付くことが出来ないんです。どこが間違えてたかなんて覚えているわけがないですから。

2つめは、権威を用いることです。

この権威に関してはよく使われているので、分かると思います。

例文) 東京大学首席のAが教える最強の勉強術

すごい信頼できそうですよね。ここに例えば、「3回繰り返してやると良い」とか言う当たり前なことが書いてあっても「すげ~!やってみよう!」となるでしょう。簡単に言えばこういう事です。

この2つをあわせてみるとどういった文になるのでしょうか?

例文) 東京大学の教授が言うには、ここの土地は30年以内に90%の地震が来るそうです。この情報を得ている地区の人たちは土地を手放して安全なところに移動しはじめています。そこでこの土地を我々B不動産で買い取らせてください。いまなら1000万の所ですが1200万で買い取らせてもらいますよ。

あ~バカ長い文章が誕生しましたね…まぁ、テクニックを詰め込むとこういう事になるわけですね。信頼できそうだし、200万も得するなら手放しても良いかなってなりますよね。

でもこれがもし嘘だとしたら?本当は地震なんて来なかったりしたら?この土地は2000万の価値があったとしたら?

考えるだけでもぞっとしますね…

ぼくは詐欺師ではないので詳しいことは分かりませんが、人を信頼させて「そうなんだ!」と思わせるだけならこの2つを押さえておけば良いだけです。

つまり、この2つにさえ気づければ騙される可能性はずっと低くなるわけです。

「最近は情報の使われ方が間違っている」と話したのもこれが悪用され続けていると言うことです。

もちろん他に多くのテクニックが見え隠れしているのですが、ぼくが知っているテクニックとしてはこの2つです。長い例文に関してはもっと批判的に分析してみてください。

皆さんは情報を正しく使って、幸せな人生を送ってほしいなと願っています。

 

今回の記事はここまでです。途中で「批判」をたくさんしてほしいといいましたが、すべてを疑えというわけではないです。これだけは譲れないという信念みたいなものも情報相手には必要かもしれないですね。

ちなみに、ぼく個人の好き嫌いの話になってしまうのですが、「根拠を提示せずに解決策もない。けど否定する人」がめちゃくちゃ苦手です。監督人事とかで良く見るようなやつです…あれどうにかならないんですかね…?

そんなことはさておき、来週は時事問題の方について触れていきたいと思います。

そして、最後になってしまいましたが、アクセス数が600を超えました!!いつも見てくれている皆様本当にありがとうございます!!今年度中に1000アクセスいけるように面白い記事を書けたら良いなと思っているので、これからもよろしくお願いします!!

それではまた来週お会いしましょう!!

日本のメディアの問題点と情報

最近朝早くから稼働しているので、授業後どうしても眠くなってしまい、その結果寝過ぎて寝違えてしまいゆっくり休めないという悪循環を引き起こしてしまった凡人るいちです。

こういう事してるからいつまで経っても凡人なんですよね…

このついでに残念な頭の方も付け替えられないかな~って思ったりしています。

さぁ、前振りはこの程度にしておいて、今回のテーマの方にいきましょう!!

今回のテーマは「メディア」です。

皆さん聴いたことあると思うので、「今更聴くことなんて無いよ」と考えるかもしれませんが、メディアに関する話題は常に動いていると言っても過言ではないです。

それでは、みなさんも0に戻った気持ちで「メディア」について考え直していきましょう!!

どんなメディアがあるの?そもそもメディアって何?

メディアとは、情報の伝達、記録、保管などに用いられるものや装置のことで、記録、保管のためのメディアとコミュニケーションのためのメディアに大別できます。

今回の記事では主に後者について触れていくことになりますが、一応前者にはどんなものがあるのかという紹介をしておきます。

記録、保管のためのメディアとしては、CDやDVD、ブルーレイディスクなどがあります。意外に皆さんの身近にあるものが含まれているのです。

そして、もう一つのコミュニケーションのためのメディアですが、こちらは「マスコミ」や「マスメディア」と日常で使われているものとほぼ同じです。なので、内容としては、テレビやラジオ、新聞、ネットなどがあります。

それでは、今度はもう少し細かく分類してみていきましょう。

まずは、マスメディアというものです。

こちらは、少数の送り手が不特定多数に情報を送る時に用いられます。そのため「マス(mass)」という「大量・集団・おおきな」を表わす単語がついています。

イメージとしては、先ほどのテレビやラジオ、新聞、雑誌が入るんだろうなぁという感じですが、さらに音楽や映画も含めることが多いそうです。

確かにどれも1人やグループレベルで多くの人に発信していますね。

そして、もう一つネットワークメディアというものも存在しています。

こちらは複数の送り手が複数の送り手へと情報が行き交うものとして定義されています。

代表例としては、インターネットやパソコン通信ですが、電話や郵便も含みます。

また、インターネットは用途が多様になっているので、分類が複雑になっていて、電子掲示板や電子メール、ブログはこのネットワークメディアに分類されるのに対して、ウェブページはマスメディアに分類されています。

さらに、この分類の中でSNStwitterといったソーシャルメディアが近年では台頭してきています。

ちなみに「twitterSNSではないよ」というように本社が公式声明を出しているので、SNStwitterという風に分けることが正しいです。そこまで気にしなくても良いと思いますが…

ここまでは「種類」について着目して分けてきましたが、次は「時間」に注目して分けていきます。

その際に出てくるものとして、「オールドメディア」と「ニューメディア」というものがあります。

まず「オールドメディア」の方は、その名の通り“古いメディア”ということです。

含まれるものとしてはテレビ、ラジオ、新聞などです。

そして、「ニューメディア」の方は、“新しいメディア”ということです。

こちらに含まれるのが、インターネットや携帯電話、スマートフォンになります。

では、どこからを“古い”と“新しい”の基準にするのかということですが、これは人により様々ですが、参考にしたサイトでは1980年代初頭というようになっていました。

最初にもいったとおりメディアは毎日のように変化しているので、この定義自体もう古いものかもしれませんね。

このようにメディアに関しては複数の視点から分けることが出来るので、「メディア論」という学問分野も面白そうです。

 

メディアの問題点って何?

さて、ここまではメディアについて確認してきましたが、ここからは問題点の方について見ていこうと思います。

もちろん、メディアにも良い点はあるのですが、今回は少し批判的な視点をもってもらいたいということや問題を解決するために自分は何をしたら良いのかを考えてもらいたいということもあり、問題点の方に注目していきます。

まずは、テレビを例に見ていきましょう。

日本のテレビには、公共放送のNHKとそれ以外の民間放送があります。

NHKは国民から受信料を徴収して番組を作っていくためCMというものが番組の合間に入ることはありませんが、民間放送局は広告収入によって番組を作成していきます。

ここに問題点が隠れています。

広告収入を得るためには視聴率(多くの人が見てくれること)が重要になってきます。最近はやりのyoutuberも同じような感じです。

そのため、視聴率を得るためにどの民間放送局も苦心していきます。そして、その結果として、どのチャンネルも同じような番組を作らざるを得ないということになってきます。この傾向が最も強いのは朝の情報番組でしょう。どのチャンネルでも、グルメのことや最近のおすすめスポットの話題ばかりです。

視聴率偏重型の番組構成になることで受け手は興味をなくしてしまい結果として、テレビ離れ、ニュース離れが進んでいくということにもつながっていきます

では、つぎに新聞についてみていきましょう。

こちらにも問題がないように見えて問題が隠れています。その問題がぼくたちの意識に関することです。

その問題について簡単に見ていきましょう。

日本には5大新聞というものが存在しますが、最近では進んできているものの電子化には消極的な対応を示しているものもあります。また、他の国と比べても知識はあるのに、その情報に対する「信頼度」「有効性」「関心」が低いという特徴を持っています。

なぜこうなったのかはもう少し研究していかないと分からないのですが、メディアが今までぼくたちの「信頼」に値するような記事を書けていなかったことがあるのではないかと考えています。これについてはもっと深い問題があるようにも思います。

最後にこれらの問題が深刻化するとどうなってしまう可能性があるのかということについて話していきます。

いくつかのパターンがあるそうなのですが、最悪のパターンは意見の極化がさらに進みかねないということです。

各放送会社、新聞社ともに人を集めるために特色を強めていくとこういう事になりかねないとしています。これが進んでいるのは近年のアメリカです。

この問題が解決し良い方に進むにしても、悪い方に進むにしてもぼくたちは考えないといけないですね。

 

その情報ほんとに信用できますか?

今日の記事の最後に今見ている貴方に疑問を投げかけてみたいと思います。

ぼくが書いているこのブログは出来るだけ事実を書こうとしていますが、それでも間違えている情報がないとは言い切れません。むしろ、専門家から見れば間違いしかないかもしれません。でも、このブログを見てる貴方は疑ってかかったことはあるでしょうか?

所詮ひとりの凡人大学生が書いている記事ですが、この記事が何回も読まれればそれは本当になりかねません。

その例として、フェイクニュースというものをあげていこうと思います。

最近耳にすることが多くなってきたので、少し興味があったりする人もいるかもしれませんが、知らない人のために紹介しておきます。

フェイクニュースとは簡単に言うと、「情報の出所が分からず、真偽も分からないもの」です。もっとかみ砕いていえば「釣り記事」です。

海外では多くのフェイクニュースが流れているという話は聞きますが、日本ではあまり聞きません。

では、日本にはフェイクニュースはないのでしょうか?

そんなことはありません。日本でも大量に起こっていると言えるでしょう。

フェイクニュースとは少し変わってしまいますが、国際信州学院大学の例をここでは挙げておきます。

この事件の詳細についてはリンクを貼っておきますが、簡単に紹介すると架空の店が架空の大学を対象に炎上させたというものです。

よく調べれば簡単に嘘だと分かるのですが、瞬く間に拡散されてしまい炎上するという現代の日本人のメディア意識を明らかにする象徴的な出来事だと思っています。

社会には必ずしも人を正しい方向に動かそうとしている人ばかりではありません。疑うことも大切な能力です。

他にも、権威に弱かったり、数字に弱かったりいろいろあるのですが書き始めてしまうと長くなるので、また今度に回したいと思います。

 

今回の記事はここまでになります。

メディアという身近な存在について少し見る目が変わったでしょうか?

今回の記事では全部は話せていないのでまた来週の更新で詳しいことについて触れようと思っています。そちらも読んでもらえると嬉しいです。

 

 

〈参考サイト〉

https://ja.wikipedia.org/wiki/メディア_(媒体)

http://www.d-laboweb.jp/event/report/121115.html

 上の記事の教授についての情報http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/faculty/hayashi_kaori

国際信州学院大学についてのまとめ

 ①https://eitokun.com/770.html

 ②https://eitokun.com/772.html

 

〈参考ニュース〉

headlines.yahoo.co.jp

 

様々な愛のかたちと社会の話

少し前になんの気なしにアクセス数を確認したら500を超えていて驚いた凡人るいちです。

400人行きました!!という報告をしたのがちょうど1ヶ月前だったのでかなり速いペースなのではないかと思っています。毎度毎度しょうもないことしか書いていないのに読んでいただいてありがとうございます!!

そしてもう一つご報告なのですが、ぼくが何を書いていたのか気になってみていたところ、記事に貼り付けているニュースリンクが削除されていることがありました。どうやらぼくの記事には賞味期限があるようなのでお早めにお読みください!!

 

では今回の記事のテーマですが、LGBTで行こうと思います。

最近よく話題になっていますが、「そもそもLGBTってなんだ?」という人も多いと思います。

しかし、この話題に関しては今後生きていく上で知らなくていい話題ではないと思います。

この記事を読んでLGBTの一端にでも触れていただければ良いなと思っています。

それでは本編いってみましょう!!

そもそもLGBTって何?

LGBTとは性的少数者のことを指す略語です。その中に含まれているのが、「レズビアン(女性同性愛者)」「ゲイ(男性同性愛者)」「バイセクシュアル(両性愛者)」「トランスジェンダー(性別越境)」です。

この中でもトランスジェンダーに関しては幅広く定義されています。

例えば、心と体の性別が一致しない方はFTM(Female To Male)やMTF(Male To Female)と呼ばれ、心の性別がない方はFTX(Female To X)やMTX(Male To X)と呼ばれています。

これらの単語はヨーロッパでは自らのことについてポジティブに語ることばとして使われています。

日本では、こういったLGBT関連の言葉は主に蔑称としてでしか使われていないのに対して、海外では受け入れが進み始めているのが分かる部分でもあります。

LGBTの方の割合ですが、2016年時点で8.0%いるようです。これは左利きの人やAB型の人よりも多い割合だそうです。

つまり、ぼくたちが左利きの人を差別していないことと同じように、またAB型の人を悪くいわないことと同じようにLGBTの方に対しても同じように接する必要があるということです。

そして、LGBTは4つだけを対象にする用語ですが、他にもインターセクシュアル(I)やアセクシュアル(A)、クエスチョニング(Q)なども存在しています。

何が問題になっているの?

LGBTというものがどういったものなのかある程度分かったと思うので、次に社会はどういう風になっているのかということについてお話ししていきましょう。

日本ではLGBTの方への対応はまだ十分とは言えないのが現状です。

2015年には渋谷区議会で異性カップルと同等の権利が保障することを条例で採択し、話題になっていました。この採択をきっかけに他の市区町村でも実施されました。

しかし、あくまで条例に過ぎないので法的拘束力が存在しないことが課題です。(法的拘束力がないと聞くと良いことのように聞こえますが、法に守ってもらえないということでもあります。)

これによって、同性パートナーへの遺産相続権がなかったり生殖医療の適用が出来なかったりという問題が発生しています。

また、2017年3月には、いじめ防止基本方針の改訂も行われLGBT生徒の保護という観点が初めて盛り込まれました。

ですが、やはり学校ではLGBT生徒へのいじめや差別がなくならないのが実情です。

それでは海外ではどうなっているのかということも気になりますよね。

海外では日本よりももっとLGBTの方への対応が進んでいます。

2010年にアイスランド同性婚を認める法案を全会一致で採決し、首相がレズビアンであることを告白しました。また、2011年には国連人権理事会が性的志向性自認に基づく暴力や差別に重大な懸念を示す議決を採択しました。

その他にも、2014年にはインドでトランスジェンダーが法的に認められ、2015年にアメリカ全州で同性婚が合憲化されたりしています。

一方で圧力をかける国もあるといったことが現状です。

話を日本に戻して、今度は会社ではどうなっているのかということについてお話ししていきます。

近年多くの有名な会社で制度改革やサービス改革が行われています。そして、人事等も改善されつつあるようです。しかし、日本労働総組合総連合会が実施した調査によると、職場にLGBTの方がいることに抵抗があると答えた割合は3人に1人で男性の方が女性の2倍抵抗を示すことがわかりました。また、年齢層が上がるにつれて抵抗も強くなるようです。

これらのことから、会社では制度は変わっても人の心に根ざすものまでは変わっていないということも分かります。

愛のかたちについてのぼくの考え

最後にぼくの意見を紹介して終わろうかなと思います。

まずぼくはそこまで性的少数者について抵抗がありません。それは普段からぼく自身が社会において少数派だからかもしれませんが、それとは別に価値観は違って当然という考えを持っているためです。ただ、ぼくはこれまでに一度もLGBTの方から好意を寄せられたことがありません。(というか普通に異性からもないのですが…)もしそうなったときにぼくはどういう行動をとるのか、相手のことを考えられるのか正直分からないというのも本音です。

次に、考え方のベースとして知っておいてほしいこともあります。

プラトンが書いた『饗宴』という著作に人間の起源について述べられているものがあります。そこには、「もともと人間は背中合わせの1対の状態で存在していたが、神の怒りによって引き裂かれた」というようなことが書かれています。

この1対は「男女」「男男」「女女」という3つがあって、おのおの自らが最もあう性別を求めているという考え方につながります。「いま多数派の人たちはたまたまそういうことであって、もともとは3種類だったんだ」と考えると面白いですよね。

ほかにも、結婚のプロポーズの時に「2人で完璧になりませんか?」という風にいう国もあるそうです。なかなかロマンチックですよね。

話がだいぶずれてしまいましたが、こういうように昔の著作や他の国の風習から学ぶことも多いものです。日本だけや現在だけにとどまらない考え方を持って接していってください。

最後に、ぼく自身は差別やいじめといったものは人の心が変化していかない限りなくならないと思っています。心を変えるためにも現状を知った人は告白しやすい環境を整えていくべきですし、LGBTの方はもっと告白していってほしいなと思います。

 

今回の記事はLGBTについてで進めてきました。

人の多様性を認めようと社会が主張していても、その社会に受け入れる基盤がないことは非常に残念で悲しいことです。もっとLGBTについて調べていってほしいですし、知ってほしいとも思っています。ぜひ、理解を深めていってください。

それではまた来週お会いしましょう!

そして、しばらく諸事情によりストップしていた質問箱の方も再稼働をはじめたので、「こんな記事書いてほしい!」というリクエストやぼくの私生活についても質問してみてください!!100%回答します!!

〈参考サイト〉

https://www.weddingpark.net/magazine/97/

 〈参考ニュース〉

www.nikkei.com

news.livedoor.com

 

 

学問とはどういうものなのか

どうも、凡人るいちです。

今回の記事は意外にも人気があったりしたり無かったりする凡人るいち哲学です。

テーマは“学問”です。ぼく自身が大学という学問をしていく場所に在籍していることもありますが、今後大学を卒業していっても“学ぶ”ということは継続していかなければならないと考えています。

ということで、今回はぼくが考える“学問”とは何であるかを少しお話ししていきたいと思います。

学問と勉強の違い

ぼくは学問と勉強については一定の差別化が出来ているものだと考えています。

もっと具体的に言うと、高校まででしてきたものは“勉強”で大学以降でしていくのが“学問”といった感じです。

では、まずなぜ高校までは“勉強”でしかないのかということについて話していきます。

高校までの学習(ここでは“勉強”とも“学問”とも違ったものとして“学習”を使っていきます。本来の意味とはちがいますがご容赦ください)は、基本的には「誰かにやらされてきた」ものではなかったでしょうか?

たとえば、「義務教育だから小学校や中学校に行く」とか「高校に行かないと今時働き口がないから進学する」などなど、家庭や社会に要請されて学校に行くという受動的なものだったと思います。

とか言っているぼく自身も高校時代にはそこまでモチベーションは高く維持できませんでしたし、なので高校までの知識はほとんど残っていないです。おそらく好きでもないことを無理矢理ごまかしてやっていたからだと思います。

こんな感じで高校まででは、どう頑張っても「やらされている」という気持ちが前面に出てしまうような気がします。(もちろんそうではない人もいるとは思います)

ただ、それと比べると大学という機関、それに加えて大学院という機関はそれではやっていけないが実情です。

それはなぜかというと、大学以上の学習では自発性が求められるからです。

ここまで12年間も受動的だった人たちがそんなすぐに変われるのかというとそれこそ人それぞれだと思います。

大学という機関は、「行かされているから行く」という場所ではなく「これをもっと知りたいから行く」という感じで明らかに目的が変わっていくのは気付くと思います。

例えば、「経済学を知りたい!」だったり「人の心の動きってどうなっているのかな?」など動機はそれぞれだと思います。

ぼくの場合は「教員になりたいから行く」というのがスタート地点でしたが、大学で“学ぶ”うちに「政治教育をどうにかしてあるべき社会にしたい」という風に変わったりしています。

これが“学ぶ(=学問)”と“勉強”の違いだと思います。

何も目的を持たずに大学に来るぐらいなら、その4年間をさっさと社会のための労働力として提供したらいいとも思っています。

なぜぼくたちは“勉強”をしてきたのか

前の章では結構厳しい話もしましたが、ここからはなんでぼくたちは“勉強”をしてきたのかを考えていきたいと思います。

あくまでもぼく個人の見解ですが、「“勉強”は学問や何かを考えるための材料づくり」だと思います。

なぜそう考えるようになったのか?というと、あるとき高校生に「勉強して何の意味があるんだ?」と聞かれたことがありました。その当時はそんなことを考えたことなど無かったので「特に理由など無いと思うよ」という話をしました。考えていないことをそう話したことはかなり無責任だったと思います。そのときその話を聞いていたある人に「まだ勉強の本当の意味に気づけていないけど、これから分かるよ」というように言われました。そこから思考していき、「全てのことはつながっているな」とまとまっていきました。これが理由です。

わかりやすく具体例を出していきましょう。

ある知り合いにピロシキを作ってくれと頼まれたとします。

何も知らない中でピロシキを作れるでしょうか?おそらく、「とりあえず、和食ではなさそうだ」と思うぐらいが限界かと思います。材料も分からなければ、調理法も全く分からないという状況に陥ると思います。

でも、もし「ピロシキはロシアの方の料理だ」や「温かい食べ物だ」など情報を事前に“勉強”していればある程度の想像はつくと思いますし、調べて確認することも可能です。(調べること自体が“勉強”なので何も知らないときに調べても“勉強”になるのですが)

こういうことだと思います。知らないことは深く考えられないし、そもそも言語化できないかもしれません。

これが“勉強”する意義でもあり、価値でもあると思います。

こう考えていくと少しは“勉強”を楽しめるのではないでしょうか。ぼくは「楽しくなければ勉強じゃない」と思っているので、魅力が伝わっていれば嬉しいです。

結局、学問とは何であるか

ここまで長々と書いてきた“学問”と“勉強”についてようやく結論を書いていきましょう。

ぼくは、「学問とは、既存の知識や常識を疑い、新しい発見をするものである。」と考えます。これに関しては十人十色の“学問”があると思います。

だから、学問を極めていくものは時に孤独であると思います。なぜなら、100人が正しいと思っていることに1人で嘘だと主張していくのですから。

ぼくはまだ“学問”を究めたことはないです。もっといえば、何も究めたと言えるものはないです。ただ、それでもこう想像をすることは出来ます。学問を究めたあとは、なんともいうことができない感情に達するのだろうと。

ぼくの究極的な目標は、「世の中の常識をぼくがつくること」です。それは学問でのみ達成できうるものだと思いますし、それが一番の楽しみだとも思います。

 

今回は、“学問”と“勉強”という暮らしに密着したものをテーマに取り上げてみました。

ぼくの話が多くなってしまったのが恐縮な点なのですが、これがきっかけで明日から“学問”や“勉強”をやってみようというようになってもらえれば、書いたかいがあります。

最後にもしかしたらピロシキが気になるという方がいるかもしれないので、レシピを貼っておきます。もし作ったらぼくに差し入れしてくれると喜ぶと思います。

今週も最後まで見ていただきありがとうございます!!では、また来週お会いしましょう!!

ピロシキ

www.ntv.co.jp