凡人るいちと0から学ぶ時事問題

凡人大学生と0から今現在起こっていることについて学んでいこうというブログです。毎週水曜日更新!!

“好き”と“嫌い”、だいたい“普通”

凡人るいちです。

今回取り上げるテーマは“好き”と“嫌い”についてです。

とらえ方によっては恋愛にも活かせるかもしれませんが、ぼくは主にぼくが感じる最近の風潮からこの2つを見ていきます。

正直ぼくもまだ20年そこらしか生きていないので「必ずこれが答えだ!」というものではありませんし、もちろん感情なので人それぞれのものであっていいと思います。なのでぼくの考えを押しつけたりするということはないです。

実際ぼくはこのブログ自体を好きで書いていますが、見てくれている人からしてみれば何通りもの考え方があると思います。見てくれている人の意見をぼく自身は取り入れていきたいと思っていますが、そうもいかないのも現状です。

そういったジレンマもあるなかで、そして最近の風潮をみての意見を少し書き連ねていこうと思います。

“好き”になることとそのまわり

ぼくは“好き”になることに理由はいらないと考えているタイプの人間です。

なので、「読書が好きなんだ!」と人に言うと、「どの作家が好きなの?」と聞かれるのがかなり苦痛だったりします。

ぼく自身は“本を読むこと自体”が好きなので人で選んだりはしないわけです。(ジャンルで選ぶことの方が多いです)

こういう質問って結構あると思います。もしかしたら自分もしているかもしれません。

さらに、好きだと発信すると「○○知ってる?」などの質問が来て、知らないと「にわかだ~」とか「新参者のくせに~」とか言われてしまうわけです。反対にそのことについて少し詳しいだけで「ガチ勢かよ~」とか「オタクじゃん」とか言われるわけです。

こんな状況では簡単に好きということもできなくなってしまいます。

“好き”に関してはまわりはもっと寛容に、そして自分はもっと発信的な方がいいと思います。

今後の動きを作ってくれるのは、新しく好きになってくれる人です。もっと優しく出来るとみんなが楽しくコンテンツを利用できるのではないかと思います。

“嫌い”にはなぜ理由が必要なのか

反対に“嫌い”になることには理由が必要だと思っています。

ぼくはあいにく人に嫌われやすいタイプの人間なのでそういったことには慣れっこだったりするのですが、そうでない人も結構(というかぼくが異常なのでしょう)いると思います。

“嫌い”なコト/モノ/ヒトがある人もいるかと思います。なぜ、苦手ではなく“嫌い”なのか、自分自身に問いかけてみると案外分からないかもしれません。

ぼくが“嫌い”に理由が必要だと考えるようになったのは、ある先生の考え方があります。というかむしろ、その考え方に納得したというのがとても大きいです。

その先生がどんな考えを持っていたのかの話をしていきます。

ぼくが高校生だった頃、日本史に若くて生徒に人気な先生がやってきました。ぼく自身は日本史をとっていなかったので、その先生に教わることはありませんでした。その先生は野球がとても好きでしたが、巨人がとても嫌いでした。そのため、巨人のことはよく知っていました。これだけ聞くとおかしな先生で片付いてしまいそうですが、実際はその裏にはその先生なりの思想がありました。それが、「嫌いなものを嫌いになるためには理由が必要だ。だから、嫌いになるために嫌いになる情報を探しているんだ。」というものです。高校生ながらこの話を聞いたときになるほどなと感じたのを覚えています。

そこから時は流れ、いろいろなことをぼく自身学んできました。その中で考えることが増えてきてこの考え方を発展させていきました。

みなさんがいっている“嫌い”って本当に理由があるのか?その裏の背景を知った上でやっぱり嫌いなのか?ということです。

たとえば、ある野菜が嫌いだとしましょう。その野菜が嫌いな理由が苦いからだとします。でも、その野菜が苦い理由が体を構成するのに必要な栄養素だ、と知っても嫌いのままでしょうか?それで、それなら仕方ないとなれば、それは“苦手”なのではないでしょうか。

簡単に言うとこういうことです。なのでぼくは“嫌い”という言葉をあんまり使わないです。それは、そのもののことを完全に知っているわけではないからです。

しかし、このことはあることの全てを知っていなければ好き嫌いの話をしてはいけないということではないです。それはもう人の自由だと思っています。

ただ、“嫌い”ということは人を傷つける可能性があることは知っておいてほしいです。(好きが傷つける場合もありますが…)

だいたい“普通”?

日本人はよく真ん中を選ぶと言われます。

これにはぼくもそうだなと思っていて、アンケート調査とかすると毎回3に○をつけているような気がします。

嫌いではないけど好きでもない場合はだいたい“普通”なんですよね。なぜかは分からないですけど。そもそも「どちらかというと好き」とか「どちらかというと嫌い」とかも日本人の特性をよく表わしている言葉だなと思っています。

はっきり言わない方がうまくいくこともあるとはおもいますが、それでも毎回“普通”でやり過ごしていてもいいかというとそういうわけでは無いと思います。

あまり自分自身の意見を押し殺しすぎるとここぞというときに自分の意見が出せなくなってしまうかもしれません。

何事も状況を見て対応は考えないといけないですね。

 

今回の記事は、ぼくの考えを本当につらつら述べるだけになってしまいました。でもここから、好き嫌いについて深く考えてもらえるようになればいいなと思っています。(そして、ぼくのことを“嫌い”ではなくなってほしいなと思います)

嫌いになられてしまったらなられてしまった方も少し理由を考えていきたいものですね。

また来週は時事問題についての記事をあげようと思っています。正直何日か前に決めるのでどんな記事になるかは分からないです!面白そうと思ったらまた見てください!