凡人るいちの徒然ばなし

徒然なるままに書いていこうと思います。ぼくの考えたことを多めに時事問題と絡めてお届けしようと思います。参考になるかも知れないし、ならないかも知れない。けど、ぼくへの見方は変わるかも知れない。

自由と幸福の関係

どうもいつも見て頂いてありがとうございます!!

最近どことなく楽しくなってきたな〜と思ってきている凡人るいちです。
「気の持ちようだろ」という方がいるとは思いますが、ぼくに会えば分かると思います。本当に心の底から楽しくなってきたなと思っています笑
このブログもそうですが、人生含めて分からないことに挑戦するってワクワクがとまらないですよね笑
まぁ、こんな話は置いておいて、今回のテーマですが「自由と幸福」です。題名通りです笑
それではどんどん進めて参りましょう!!

自由って何?

「自由とは何か?」

と聞かれて即答できる人はなかなかいないのではないかなと思います。

その理由が「そこにあるから」です。

当たり前のものって知らず知らずのうちに考えることをやめていってしまうものだと思っています。そのひとつが「自由」です。

そもそもですが、「自由」という言葉があるのがおかしいんですよね…

それはなぜか。名前がつくということは、それが“特定”しなければならいものだからです。

ぼくたち人間にはひとりひとり固有の名前があると思います。おそらくですが、名前のない人って多くはいないのではないでしょうか?

それはひとつひとつ定義する必要があるからです。

たとえば、ぼくで言えば、「出身は○○の、△△の経験をした、××才の、るいち」でひとりに絞られると思います。(もともと珍しい名前なので、もっと簡単に定義できますが…)

「自由」も同じです。定義しなければいけない状態だから定義する。つまり、「自由ではない状態がある」から「自由な状態がある」ことを定義するということです。

だから「自由」という言葉が存在するし、その定義を聞かれるんです。

でも、今は「自由」であることが当たり前になっているし、答えられないと言うことです。

では逆にこう聞かれたらどうですか?

「不自由とはなんですか?」

これなら答えられると思います。たとえば、「時間で制限されること」「お金で制限されること」「年齢で制限されること」「性別で制限されること」「愛の対象で制限されること」などなどたくさん出てくると思います。

なるほど。「不自由」なら分かるんです。では、少し数学の手法を取り入れて「自由」を考えてみましょうか…

「その命題が真なら、その対偶も真である」という法則があります。対偶とは、どちらも否定して順番を入れ替えることです。

この手法を用いて見てみましょう。

「時間で制限されるなら不自由だ」→「不自由でないなら時間で制限されない」

「お金で制限されるなら不自由だ」→「不自由でないならお金で制限されない」

こんな感じですかね。

出した対偶が二重否定なのでわかりにくいので元に戻します。

「自由なら時間で制限されない」と「自由ならお金で制限されない」という感じです。

だいぶ「自由」が定義できてきましたね。つまりはこういう事です。

「不便なことから不便ではないことを考え出す。」ということが発想法の秘訣です。

さて、ここまで読んでくれた皆さんならもう「自由とは何か?」と聞かれても即答できますね。

ということで、次の話にうつっていきましょう!!

幸福とは…?

皆さんは幸せですか?

ぼくは先にも言いましたが、幸せです。特に何もないけど、幸せです。

ここから話していく「幸福」はおおざっぱに言えば“概念”です。

なので、人によって違うのが当たり前です。ただ、ここから皆さんにはあえて「不自由」なルールをつけます。

それは、「人の幸福を馬鹿にしないこと」です。簡単ですよね。これから内容にはいっていくに当たって、これだけは守ってください。

人には人の「幸福」があります。それは本当に差があります。

ぼくは「人の前で話せること」を幸せに感じてますし、ある人は「世界が笑顔になること」を幸せに感じているかもしれません。

でも、同じ幸せです。それに数値などはないです。マイナスはあるかもしれませんが、プラスの数値はないと思います。

だから、「幸福」には「馬鹿にできるもの」が存在しません。

皆さんが「幸福」だと思うこと。それ自体が「自由」でもあります。

少し次の話に入ってしまいましたが、最後はそのことについて話していきます。

自由と幸福の関係

ここまで「自由」と「幸福」の2つを見ていきましたが、これって関連はあるのか?というのがここからの話です。

端的に言ってしまうと、あると思います。ぼくは研究をしたわけではないですが、関係はしていると思います。

それはなぜか。「自由だから幸福を感じる」ためです。また、「幸福だから自由を感じる」ためです。

なにかを「自由」に考えられるから「幸福」も感じられるし、「幸福」があるから「自由」も感じられる。というわけです。

あくまでもぼくの意見です。違いがあって当然だと思います。反論だって求めています。

最後にぼくのはなしをしましょう。

ぼくは最初に「楽しい」と言いました。ここでは読み替えて「幸福だ」と捉えてもらってOKです。

その理由は、「人前で話せるから」というのもありますが、大きいのは「幸福のレベルを下げているから」というのがあります。意図的に下げています。

楽しく生きたいから、幸福は自分の近くにあるものに設定しました。

幸せでいたいから、今だけを見ることにしました。

そしたら、なんだか楽しくなってきました。(実は声に出したりもしています笑)

怖いですか?でも、幸せって伝播するんじゃないかなと思っています。(というか、感情すべてがそうだと思います)

だから、せめて外にいるときは「幸福」でいたい!!と思っています。

これがぼくの生き方でもあり、「自由と幸福論」でもあります。参考になったら嬉しいですね。

 

↓意見質問があれば書いていってください。必ず答えます。

 

今回の記事はここまでです!ちょっと浅いですね…

皆さんの「自由」を奪ったからもう少し深くても良いかなとは思ったんですが…

ぼくの言葉ではないですが、金言を2つ載せておきましょう。

「幸せはいつだって足下に転がっている。遠くを見すぎているとその幸せにも気付かなくなる」

「自由を行使しなかったものが後悔する。安定を求め、他と一緒を求めた結果だ。」

そして最後にぼくからの言葉で締めます。

「自由を手にするのはいつだって自分だし、幸福を手に入れるのだっていつだって自分だ。問題はその方法だけである。あなた方はこの2つについて何を考え、行動するのか。」

それでは、また水曜日に会いましょう!!