凡人るいちの徒然ばなし

徒然なるままに書いていこうと思います。ぼくの考えたことを多めに時事問題と絡めてお届けしようと思います。参考になるかも知れないし、ならないかも知れない。けど、ぼくへの見方は変わるかも知れない。

人生とは、なんなのか・・・

どうも、凡人るいちです。

前回の更新からだいぶ経ってしまいました…

車の契約だったり、銀行での手続きだったり、インターンシップだったり、スイーツをたべにいったり…いろいろと忙しい夏休みを送っていた訳ですが、考えてみたらもう1週間でぼくの夏休みが終わりを迎えるんですよね…

こんなはずではなかったんですけどね笑

でも、毎日が充実しているので後悔はないですよ!!

夏休み真っ只中の大学生が多いわけですが、充実していますか?楽しんでいますか?

ということで、そんな身近な話題からぐっと伸ばして、今回は「人生論」について考えを述べていこうかなと思います。

充実しているってどんな状態?

何事もまずは定義がはっきりしないと、考えることが出来ません。なので、まずは「充実」について考えてみましょう。

ただし、これは「今回はこのように決めた」というもので、「一般的に使えるものではない」事もあるのであらかじめご了承ください。

ふと、自分のことについて考えてみると、「充実」とは、「1日24時間を無駄なく使い切ること」のような感じでした。もちろん、他の人にとっては「大切な人と一緒にいること」が「充実」かもしれませんし、「やりたいことを好きなだけやる」ということが「充実」かもしれません。

人によって定義はばらばらになってしまうのですが、今回は総じて「自分の考えたことをすぐに実行できる環境があること」を「充実」の定義としましょう。

ということは、これからは「自分の考えたことをすぐに実行できる環境があること」について考えていくことになります。(当たり前ですけどね…)

この状態の人って一体どれくらいいるんでしょう…?

例えば、時間も必要になってくる、お金も必要になってくる、人も必要になってくる、場所も必要になってくる、となったときにどれだけが実行できる状況になっているのかということです。

分かりやすくいうと、「野球をしたいのに5人しかいないし、お金も道具も場所もない。」という状況を考えてみてください。おそらく出来ない状況だという判断になるでしょう。ただ、「18人そろっていて、お金も道具もある。」という状況なら、変わってくると思います。

そして、問題なのが、今の時代を生きる人の多くは「だいたい前者である」ということです。

つまり、ほとんどの人が「充実」していないんです。

さて、問題がはっきりしたところで、この問題について考えていきましょう。

どうやったら充実できるのか?

ここまで読んできていれば分かりますよね。「自分の考えたことをすぐに実行できる環境があること」を作ればいいわけです。

じゃあ、どうやって?

それは、時間を与えて、お金も与えて、人も増やして、場所も提供する。たったこれだけです。どうです?簡単でしょう?

でも、これって本当はめちゃくちゃ難しいことなんです。というか、ほぼ実現不可能だとすら思っています。

そうすると、「充実できないのか?」ということにつながってきます。

いえいえ、そんなことはないと思っています。だって、ほとんど同じ状況で「充実」してきた経験が私たちにはあるのですから。

ぼくたちが「充実」するためには、「今の状況を変える」のではなく、「今の状況で楽しむ」ということが必要になってくるわけです。

例をあげると、「小学生の時のサッカー」ですかね。あのときって、わざわざ22人集まるまで待たなかったし、道具もボールだけで十分でしたよね。それ以外の道具はその場にあるものを使って楽しんでいたはずです。

これって、大人になると忘れてしまうものだと思います。分かっていてもやらなくなるんです。

つまり、ぼくたちが自分から「充実」からはなれていっているわけです。

ここに「充実」を得るためのヒントが隠されています。要は、子ども時代に戻ればいいわけです。それが出来れば全員が一気に「充実」に近づくはずです。

そもそもぼくたちは充実したいのか?

さて、最後に本題の「人生論」のお話です。

生きている以上、ぼくたちには「しあわせになりたい」というような願望があるはずです。分かりやすくいえば、「目標」です。

「目標」があるということは、それを達成するための「手段」があるはずです。

「充実」とは、この「手段」の中にあるものだと考えています。

つまり、人間は「目標」がある以上、「充実」が必要ということです。

「目標」のために多くの「充実」を見つけていくことが「人生」である。ともいうことが出来ると思います。

「目標」がある人間が、「充実」を望まないわけがないんです。

でも、そこにもう一つの落とし穴があります。それが「目標のない若者」です。

ぼくには「目標」(どちらかというと「志」ですが)があります。それは「すべての人を今よりもしあわせにすること」です。そのために、(悪い言い方ですが)利用できる企業を探しているというわけです。

しかし、多くの人はこの「目標」を話すことが出来ないのです。

ここで気をつけて欲しいことは、「将来の夢ではない」ということです。

ぼくは教員志望の学生が多く通うところで勉強しているわけですが、「教員になりたい」ということは、決して「目標」ではないです。あくまで「手段」であり、「充実」を得るためのものです。「何のために教員になりたいのか」を考えることが「目標」になっていきます。

これが曖昧な人が多くいるからこそ、「充実」したいと思っている人が少なく見えてしまうということになります。

ゴールのないマラソンをするよりも、ゴールのあるマラソンをする方がよっぽど楽だと思いませんか?

まずは「目標を創ること」や「自分の生きている意味を確定させること」をしてください。

「目標」さえあれば、どんなことをしていたって「充実」につながってくる。そんな風に考えていたりします。

それが一人ひとりの「人生」を作っていくのだと思います。

 

おわりに、少し前にインターンシップで出会った同い年の学生と3時間ほど雑談をしていました。そのときに出たのがこのような内容です。

アンパンマンのOPに「なんのためにうまれて、なにをしてよろこぶ」という歌詞があります。これを考えてみることから「人生」を始めてはいかがでしょうか。

考える力がついてきて、いろいろな情報があふれている社会だからこそ、初心に立ち戻る必要があるのかも知れません。

それでは、またいつか…

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